対談 植木さん 写真 伝説のアルバイター

ファーストリテイリング東京総務に勤務する植木さんは
広島に出来たユニクロ第一号店で開店翌日から
アルバイトをしてたらしい。
学生アルバイトからみた
ユニクロ創成当時ってどんな感じだったのだろう?
そんな植木さんの目にはSKIPはどう写っているのだろう?
経済書では決して読めない
ファーストリテイリングのお話です。





イズミ 植木さんがファーストリテイリングの
バイトに入ったのは何歳の頃だったんですか?
植木 僕はね、19歳の時ですよ。
イズミ まだ小郡商事だった頃ですか?
植木 もう当然小郡商事ですよ。
僕ね、その時、浪人生だったんですよ。
浪人の2年目。 5月の連休明けてですね、
もう勉強したくなくなっちゃったんです。
イズミ 出身は尾道でしたよね?
植木 尾道ですけど、
当時は広島市内に下宿してたんです。
最初はね、1年目は、
予備校の寮に入れてくれるんですけど
2年目は追いだされちゃう。
それで、行き場は無いは、
勉強はしたくないわで、
自分の居場所をとにかく探してたわけですよ。
そこにユニクロ1号店が出来てきたんです。
1984年6月2日がオープンなんですけど。
イズミ 1984年6月2日ですか。
植木 ええ。僕はその6月2日に
初めてユニクロに行ってみて、
これはすごいな、と。
なんとなく店のボリューム感というか、
今までに広島には無かったんですよ、
そういうお店はね。
当時、ああいう宣伝広告、チラシを見ても
インパクトがすごくて、
「こういうところでバイトしてみたいなぁ」
と思ったのがきっかけです。
僕、実家が洋服屋なんですよ。
田舎の田舎の店ですけど
要はこれも小売りで
おふくろとか親父がメーカーに仕入れに行って
買ってきたものを小さい店で売ることが
生業だったんです。
子供の頃から、服には本当に慣れて
自分たちは育ってきましたから。
で、もうこれはここで働くしかない、と
その時、ほんとに思ったんですよ。
イズミ へぇ〜。
植木

で、誰に言えばいいんだろうな、って
思ってアルバイト募集って書いてあったから、
当時550円が時給で、
それも魅力だったんですよ。
確かマクドナルドが
400円ちょっとくらいですよ。

イズミ それって結構、当時の水準でも高いですよね。
植木 ま、そのぐらい、
オープン時期というのもあって、
人手が要ったんだと思いますね。
で、当時の店長、森田生夫さんっていう方ですね。
あの人のところに行けって言われたんですよ。
森田さんって
今でも僕の大尊敬している方なんですけど。
じゃあ彼が「明日から来いよ」って言われて。
で、オープン2日目から働き始めて。
ついでに僕はその年に
一応、予備校から地元の大学に入ったんですね。
それで大学に入ってからも
継続してバイトをすることになったんです。

イズミ 柳井会長って、当時からお店には
ちょくちょく来られてたんですか?
植木 週に1回は必ずいらっしゃってましたね。
イズミ 柳井会長はお店に
どんな事をされに来てたんですか?
植木 とにかく商売を自分でやりたい人なんで、
週に1回、現場をきちっと自分の目で確認して、
お客さまの売れ筋、売れ具合、
何を触られてるかってのを
全部自分で確認してました。
ですから、ディスプレイひとつも自分で直される、
気に入らなければ。もちろん声出しもする。
イズミ 「いらっしゃいませ〜」
とか、
「ありがとうございま〜す、
 どうぞまたお越しくださいませ」
っていう声出しですか?
植木 もちろん。
だから、本当にそういう意味では、経営者が、
当然1店舗しかないですから、
小郡商事のОSショップっていうのは、
宇部の方に何店舗かあったんですけど、
ユニクロとしては1店舗しか
なかったんで、それは本当に気合いを入れて。
それは柳井会長だけでなく、
各MDも必ず週に1回は店舗を訪問して、
自分が買ってきたものが
売れているかどうかっていう確認は
当然してましたね。
イズミ 直接は聞いてないんですけど、会長が
お店が唯一のプロフィットセンターという言い方を
よくされるじゃないですか。
やっぱりそういうのが大事にされてるのかなぁ、
接客とかされてたんですか?
植木 されてたでしょうね、当然。僕がイメージ残っているのはね、
やっぱり店を全部チェックして、
店長とふたりで店の前に立って、
ちょっと離れて店を見てる。
かならずそれをやってましたね。
今も店舗応援に毎週行ってるんですけど、
やっぱり必ず店を外に出て見ますよね。
これってお客さまが入ろうとするのは
玄関から入ってくるわけなんで、
そこの印象ってすごく大事だってことですね。






イズミ 6月2日にユニクロが出来て、
すぐバイトを始めたんですよね。
どんな感じだったんですか?
植木 とにかくめちゃくちゃ面白かった。
今考えてもバカだと思いますが
働いている時間は受験勉強しなくていいわけだし、
楽しい上にお金まで貰えるって事ですからね。
でもね、根本的な原因ってのは
やっぱりあるんですよ、本人の中では。
要は最初、とにかく何も教えてもらえない中で、
店に入りきれないお客さまが山のように来てて、
とにかく声出しをして。
それはそうでしょ。何もできない人は声出しか
商品整理くらいしかないわけですよ。
一生懸命、見様見まねで
「いらっしゃいませ!」をやってたんですね。
1週間位そうやっていると、
僕がバイトだったっていうのに
気がついたっていうことを
皆さんがおっしゃってくれたわけです。
そんなこともあって
僕は今でも、声出しには自信がありますよ。
イズミ それまで皆さんは
なんだと思っていたんですか?
植木 オープン当時は猫の手も借りたい状況だったので
メーカー応援っていうのがみんな来てたんですよ。
要はシャツのメーカー、パンツのメーカー、
みんな、担当の方が代りばんこで応援に来ていた。
で、ずーっとそうだと思っていたと。
ある日、僕がアルバイトだとわかって、
みんながね、
「おまえアルバイトだったのか。」と
とてもそうは見えなかった、
とおっしゃっていただいて。
それが本当にうれしくてね。
なんかそれって
すごく自分が評価されたのかなって、
勘違いをしちゃってね。
イズミ あ、勘違いなんですか?
植木 ええ。だからすごく楽しくなっちゃって。
イズミ 大事ですよ、勘違いも。
植木 で、だんだんやってると、
3ヶ月経った時に
時給600円に上げてくれたんですよ、店長が。
これがまた弾みになっちゃって。
イズミ もう俺はそうとうここのお店に期待されている、
俺はいなくちゃいけない人間だ、と。
植木 なんていうのかな、
評価されたってのがすごくうれしかった。
イズミ 学校の成績以外のところで、初めて社会人として
認められたっていう、
そんな感じのうれしさっていうのが
あったんでしょうね、きっと。
植木 まさにそうですよ。
初めて自分がお金儲けしたのが、
ユニクロのアルバイトで、
その時に短期間で評価してくださったって
いう方がいらっしゃった、
ということですよね。
それが僕の会社で商売することの原点ですよね。
そうなると人間、弾みがついてくるんですよ。

イズミ オープンの時から
お客さまはすごく多かったんですか?
植木 ものすごく多かったです。
イズミ ああ、それはなぜですかね?
植木 広島にはああいう広告を打ったり、
ああいう店舗形態のお店も無かったですよ。
あれだけのボリュームの商品を
バーンとエレクターで並べて、
とにかくお客さん自由に買ってください
という店ですから
当時、老舗のお店でも、
接客ありきだったんですね。
「自分で勝手に選んでください」
というスタイルですし。
でも、スーパーじゃないんですよ。
売りたいものがハッキリ出ている。
スーパーみたいに、
行ってどっか探そうみたいなのじゃなくて、
その時々に主張が出てきますよね。
レイアウトによって、
それがハッキリお客さんにも伝わったんですよね。
イズミ そうですね。売り場みただけで
今、ユニクロが何を売ろうとしてて、
「あ、チラシにこれが入っているんだな」とか、
金曜日の売り場を見ると
「明日のチラシの限定ってここだろうな」
っていうのが、だいたいわかりますよね。
植木 袋町のお店は面白かった。
隣に某大手スーパーがあるんですよ。
食料品売り場がある
地下に昼飯を行くじゃないですか。
そこは沢山の人でにぎわっているんだけど
衣料品売り場に行くと
全然、人が入ってないんですよ。
僕なんか親が小売りしてたんで
そういう大手スーパーに
どんどんお客さま取られて、もう商売として
成り立たなくなったのが、印象にあったんですね。
だけどその大手スーパーの隣にある
僕が働いてるお店ってのは、
お客さまがたくさん来てくれて、
そのスーパーは本当に閑古鳥が鳴いていた。
当時、いっつも食料品売り場に行っちゃあ、
帰りに衣料品売り場を見てました。
イズミ よっしゃぁ、勝った〜、とか言って?
植木 勝ったというかね、なんでお客さまいないんだろうなぁ、
って思いながら。
イズミ その時の植木さんって
一(いち)バイトですよね。
植木 そうですね。
イズミ 一バイトがそこまで意識を持てるかっていうと、
他の職種のバイトが
そこまで考えるかなぁって思うんですね。
もう、ファミリーのようにユニクロを考えている
一バイト植木さんがいたわけですよね。
当時からファミリーみたいな
感じだったんですかね?
植木 あのね、
やっぱりファミリーにしてくれたのは
森田さんですね。
僕は柳井会長はこれだけ大成功されて、
当然大尊敬してますけど、
やっぱり森田さんって店長が、
僕にとっては彼が素晴らしい店長だった。
とにかく面倒見のいい人で、
スタッフを絶対に突き放さないというか、
見捨てないというか。
当時(18年前)に
女性スタッフの大半は茶髪ですから。






イズミ ヤンキーですね。
今じゃ考えられない。
植木 ほんとにヤンキーですね。
もう休憩室でタバコをスパスパね。
僕はどっちかっていうと、割とまじめな学生。
だけど本当にやんちゃを集めたみたいな
集団でしたよ。
イズミ 550円でも?
植木 人が足りないもんだから、
働き始めてしばたくすると社員にするんですけど、
森田さんと森田さんの奥さんが
そういう人たちをものすごい良く面倒を見てて。
イズミ スクールウォーズみたいな話ですね。
植木 ほんとスクールウォーズ!
まさにそうなんですよ。
マンションの1、2階が店で、
3階が店長の社宅と、
バックルーム兼社員の宿泊所兼、
休憩所みたいだったんですけど、
店長宅に月に何回かみんなで上がり込んでね。
イズミ めちゃめちゃですねぇ。







植木 当時の森田さんは、
チェーン展開もまだしてない時期だったから
1店舗で勝負しなきゃ行けない。
1店舗で結果を出さない限り、
会社がこれからどうなっていくかっていうのは、
そこの結果が出ない限り、
次の展開はあり得ないので
やっぱり本当に、命懸けて仕事してたし…。
で、森田さんはね、命懸けて仕事をしすぎて、
体を壊してしまったのね。
生死の境をさまよったようなことも
あったみたいで。
それで袋町の店長を降りたんですけどね。
イズミ で、今、カスタマーセンターで。
植木 めっちゃ、がんばってますねぇ。
イズミ 今、森田さんっておいくつなんですか?
植木 45ぐらいかな。
イズミ 45歳なんですか〜。
この前もトラックストアに来た
お母様なんですけど、
自分の子供が就職するんだけど、
今、どこの資料請求とかしても、
どんな人事の人と会っても
ハートがある人に出会えない、っていう。
で、ホームページとか見させてもらったんだけど、
すごいハートがある会社ですね、って
言っていただいたんですね。
けど、その頃ってもっとすごかったですね。
植木 う〜ん、すごいね、そういう意味では。
イズミ ハートに満ちあふれていた。
植木 今、思えばまさにそうですね。ただ当時はね、
それが当り前でやってたんですよ
別にね、これが森田さんって
すっごい迫力のある人でもなんでもないのよ。
当時、森田さんは26、7才くらいで
まだ、若いんですよね。
年齢的には今のうちの店長くらいですよ。
だけど、今のうちの26、7才の店長とは
当時から彼はもう、全然違ってたね。
ホントに風格があったし、
すごく痩せている人なんだけど
やっぱり店長らしかったですよ。
だから柳井会長は森田さんを一号店の店長に
抜擢したんだと思うんですよね。
イズミ なんなんですかね、
そのみんなを引きつける力ってのはね。
この人のためにやりたいって感じなんですか?
植木 ええ。そんな感じです。
イズミ 店長がお客さまのことを
本気で考えているから、
ってことかなぁ。
植木 まあ、お客さまの事も然りだけど自分たちのことを
本当に考えてくれているっていうのが、
やっぱり一緒に仕事しているからわかるんですね。
イズミ なんか自分の損得じゃないなぁ、
って感じなんでしょうね。






イズミ ところで植木さんからみた柳井会長って
どんな方ですか?
植木 柳井会長はねえ、
私なんかが言うのはおこがましいの一言につきますが
ホントに優しいかたですよ。
イズミ それはわかります。
こんな事を言ったら、
ぶん殴られるのかもしれないですけど
「かわいい人なんだろうなぁ」
と思います、うふふ。
植木 ああやって人の前に出たら
もう、毒舌で。(笑)
ものすごく怖い
雷おやじっていう風にも見えますけど
やっぱりね、気持も行動も本当の意味で戦った人は
ものすごく大事にする。
だけど、その気持ちが無い人は
「ケチョクソ」。(笑)






植木 やっぱり印象深かったのは
岡山に新店をオープンさせた時だなぁ。
これは面白かった。
これは究極のアルバイトをさせられましたよ。
イズミ なんですか?
その究極のアルバイトって。
植木 確か次の年の夏休みだったと思います。
岡山で2店舗同時にオープンさせたんです。
準備もすごく大変だったと思いますが
しかし、バイトの私がいうのは生意気ですが
皆さん無理された分、
ある意味自信になったのでは
ないでしょうか?
イズミ やっぱり、無理しないとダメなんですかね。
植木 絶対そうですよ。
一店舗オープンすることは出来るとは思うけど
二店舗同じ日にオープンさせる。
この二店舗は10キロくらい離れているんだけど
岡山で初めての店を出すことでもあったし。
郊外の駐車場のある一店舗と
商店街のど真ん中にさらに一店舗。
これを夏の熱い時期に
同時オープンさせたわけですね。
この時はみんな死ぬ気でオープンさせましたよね。
イズミ 多分、出来ることで想像しちゃ、
ダメなんでしょうね。
だって無理じゃないですか?
10キロも移動距離がある中で
2店舗を同時オープンさせることなんて。
植木 当時はそんなに沢山の人がいる
会社じゃなかったしね。
だからぼくみたいなアルバイターが
広島から電車に乗って応援に行ったと。
もちろん宿泊費も何も無しですよ。
みんなでアパートに雑魚寝して。
朝から晩まで働きましたよ。
ようやく前日を迎えて
朝の6時オープンなんですけど
その日はもう、帰って寝る暇もないわけですよ。
そしたら朝の4時半くらいかなぁ。
パンと牛乳が届けられて
「良かった、
 朝飯にこれを食って頑張るぞ!」
ってことだと思って喜んでいたら
「これ、お客さまに配って来い」と。(笑)
これはお客さまのものであって
お前らのものじゃないと(爆笑)
イズミ そりゃ、勘違いしますよね。
植木 いや、確かに量は多いなとは思ったんだけどね。
まず、食えってことかと思ったら
まず、配れってことだったということでね。
でも、朝5時くらいから
何百人も並んでくださっていたから。
配りましたよ。
で、気づいたらパンと牛乳を渡すと
列から抜けて行く人がいるわけですよ。
イズミ ああ、パンと牛乳をもらったら
満足したんですかね。
植木 それだったらいいんだけど、
これがまた、列に並ぶんだよ。(笑)
それでも配りましたけどね。
イズミ パンと牛乳って
服とかけ離れすぎて意外すぎて
思いつかないですよね。
普通、プレミアム商品を
配りたがるじゃないですか?
これはどなたのアイデアなんですか?
植木 それは柳井会長じゃないかなぁ。
で、朝の6時に店を開けて
夜の12時に店を閉めるという。
イズミ セブンイレブンに対抗してってやつですね。
植木 当時はセブンイレブンなんて
田舎には無かったからねえ。
イズミ だいたい、10時に店は開くもんでしょうから。
植木 そうだねえ。あと、
社員旅行に連れていってもらったり、
柳井会長と一緒に映画を見たのは
よく覚えてるなぁ。
イズミ そんなことがあったんですか?
植木 後、ボーナスももらってましたよ。
イズミ アルバイトなのに。
植木 ええ。お年玉ももらったし。
当時は正月から営業している店って
少なくとも広島にはほとんど無くてね。
正月から開店するって事で
社長自らスタッフにお年玉下さってましたね。
私は1回に2つも頂いた記憶がありますよ。
そういう意味で恵まれていたなぁ。
これを楽しいと言わずして
何を楽しいというかって感じだった。
合コンの帰りも
必ず店の前を通って電気がついていたら
店長が仕事している証拠なので手伝ったりして。






イズミ でも、そんな植木さんも
ユニクロでのバイトを辞める
時期が来るわけですよね。
植木 ゼミが忙しくなってからは
バイトが出来なくなってね。
イズミ でも、時間がある限りは
ユニクロ行ってたんでしょ。
植木 うん。店長の家で飯だけは食ってた。
仕事はしてようがしてまいが
ユニクロはライフサイクルにきれいに
組み込まれていたみたい。
就職がどうにもならんかったら
ユニクロで働こうと思っていたし、
当時、柳井会長も
「うちで働けば」
って冗談かどうかはわからないけど言ってたし。
でも、うちの親から
「アルバイトはアルバイト。
 それを一生の生業にするのはダメだ」
って反対を受けまして。

イズミ どうしてなんですか?
実家も洋服屋だったわけだから
理解はあるとは思うんですが。
植木 ぼくもそう思って言ってみたんですよ。
「立派な仕事だと思う」って。
そしたら
「人に頭を下げる」ってことを
自分達は小売で
今まで散々やってきたって言うわけですよ。
子供たちに同じようなことをさせたくないと
親は思っているんですよ。
洋服屋と言っても
田舎の商売だから「つけ」がきくんですよ。
つまり、お金の無い人に商品を渡して
これって、貸しているにも関わらず
「つけ」を回収する時には
また頭下げてお願いして
払ってもらわなければいけないってことが
当たり前であったんです。
親にとっては
小売っていうのはそういう認識であったわけです。
貸す貸さないは別としても
お客さまに頭を下げないと
商売が成立しない。
オヤジは公務員か普通のサラリーマンに
なれっていうんですよ。
当時、ぼくも気が弱いから
オヤジのいうとおりに就職活動をしたら
一社目で決まったんですよ。






イズミ ちなみにどんな会社に就職したんですか?
植木 鉄鋼メーカですね。
そこに就職して12年間お世話になったんですけど
その鉄鋼メーカでもね、
ぼくはユニクロで学んだことが
商売の原点でしたよ。
営業をやり始めてからね、
それが凄くぼくの糧になってたんですよ。
イズミ 具体的にはどういうことが糧になってんでしょう?
業種があまりにも違い過ぎると思うんですが。
植木 やっぱり、お客さまっていうのは
ニーズありきなんですよ。
これって、ユニクロで
自然に身体に身についていたから。
何が欲しいかってことがわかれば
商売はずっと出来るなって思っていたんですよ。
ただ、鉄鋼業は何が欲しいかってわかっても
原価に経費をのせていくと
売れないんですよ。
どんどん、原価を割っていくしか商売出来ない
ってことがずーっと続いて。
お客さまにはかわいがっていただいてたんだけど
あるときにね、これがたまらなくなった。
ホントの商売ってこういうことじゃないなと。
お客さまも喜ぶけど自分も喜んだり
家族も喜んだりっていうことが
あって然りだと。
鉄鋼業って構造的に儲かりにくくなっていたんですよ。
だからぼく一人ではどうにもならないなと思って
上司や社長にも相談してたんだけど
業界全体の構造が変わらない限り
どうにもならないなと思って辞めることにしたんです。






イズミ それですぐユニクロに入ったと?
植木 いや、まだ鉄鋼メーカにいる時に
森田さんに10数年ぶりに
会いにいったことがあるんですよ。
たまたま営業エリアが山口になった時期があって。
連絡はとってたけど、
大学を卒業して以来、会って無かったからね。
で、会いにいったら
社長が待ってくださっているから本社に会いに来い
って言ってくれてね。
で、柳井会長と一時間くらい
話をさせていただきましたよ。
イズミ へえ。会長とも会ったんですか。
どんな話をしたんですか?
植木 当時の仕事についてですよ。
鉄鋼メーカで今やっているのはこんなことで・・・
っていうことを話ていたら
「何をやってんだ、お前は」って話になってね。
「辞めたらどうですか」っていう訳ですよ。
そんな事いうから
「じゃ、社長、
 今の会社を辞めたら雇ってくれるんですか?」
って言ったら
「そんな事はできませんよ!」
っていうわけですよ(爆笑)

イズミ 一見、親身に相談にのっていると
思いきや?
植木 「うちはそんなに甘い会社じゃないんだっ!」
って。だから
「そうでしょう。
 そりゃ、そうですよね。
 今の自分があるのは
 社長や森田さんがあるわけですけど
 それはそうですよねえ」
って、それはそれで終わって。
でも、ホントに会社を辞めた時に
「またユニクロでバイトをしてみよう」
って思ったんですよ。
で柳井会長にメールを打ったら
「まぁ、会いに来なさい」ってことになって
来てみたら役員会か何かやっててたみたいで
途中抜け出して商談室に
きてくださったみたいなんです。
人事部長とお二人だったんですけど
柳井会長は人事部長にこうおっしゃられてました。
「こいつは今まで会社をやってきた中で
 一番、印象に残っているアルバイトだ」と。
で「お前は何がやりたいんだ」
と聞かれても
「手に職ありませんから
 とにかく店舗で働かせてください。」
と、正味、5分くらいかな。
そしたら、「わかった」ってことで
雇ってもらえたんです。
それで去年の4月から働き始めました。
年も年なんで最初はきつかったけど
楽しかったよね。
久しぶりに店舗で働いて。
イズミ それでどちらで働いたんですか?
植木 大阪の梅田店ですよ。そしたらある日突然、
東京に来いってことになって
総務部にいるんです。
だから総務って仕事は
今でもよくわからないですけど
でも、人間、出来ることしか出来ないよね。
自分が出来ることって何?
ってことを考えたら
忙しい人がいれば助けてあげればいいんだし、
店舗が忙しければ店舗に行って
働けばいいだろうっていう
至って単純な行動です。






イズミ じゃ、植木さんから見て
SKIPってどう思います?
植木 ぼくはフーズはねえ、
やればやるほど伸びる会社だなというのは
思ってますよ。
だけど、今のままでできるかというと
そうじゃなくて
どっかでねえ、こう
恥のかきすてっていうじゃないですか
あの、かきすてじゃなくて
恥って絶対無駄にならないと思ってるんですよ。
ぼくは店舗で訴求するときも
お客さまに笑われるまで訴求する。
イズミ あははっ。
どんな風に笑われるんですか?
植木 やっぱりね、やっている姿っていうのは見てね
滑稽に見えるんです。
わかりやすく言うと
バナナの叩き売りと同じですかね。
だからそう思ってくれたら
もう、ぼくは自分の勝ちだと。
やっぱり、それ印象づくじゃないですか。
イズミ 実際には、これどうやって
お客さまに訴求するんですか?
植木 今、店舗ではパンツの3本セールだったでしょ。
神戸三宮店だと
近くの人にやかましくなく遠くまでとおる声で
「ただいまユニクロでは
 パンツの3本セールを開催しております。
 男性物女性物、お好きな組み合わせで
 3本お選びいただきますと
 6990円と大変お買い得となっております。
 どうぞ、この機会に
 ご家族、お友達とご利用くださいませ。
 尚、男性ものは地下一階、
 女性ものは2階のフロアとなっております。
 本日はご来店いただきまして
 ありがとうございます。」
と、こういうことばを
コーナーを巡りながら
ずーっと訴求していくんです。
こう、訴求と接客って違うんです。
イズミ ええ、違いますね。
植木 そこは訴求しながら
お客さまが来たら接客するわけで、
だけど、あれだけ広い店で
大量にお客さまが入ってきた時に
どこで何を売っているか、
それがいくらなのか?
っていうことは
まず、どこがってことが最優先なんですよ。

イズミ なるほど。
植木 お客さまはチラシを見てるんですよ。
で、今日、これ買いたいなと思っているんだけど
それって大体、限定商品に限られているんですね。
どこに何がってことを教えて上げることによって
お客さまとして買いたいものを意識して
そこの売り場に到着できる。
ぼくに言わせたら、それが訴求なんですね。
で、そこに担当者がいたら
ここで接客が成立して
もし、お客さまが質問してくださったら
接客すればいいと。
だから、必ず訴求する人は
お店の中に一人、
もしくはフロアに一人いなければならない。
それが無い店っていうのは
ものすごーく、寂しい店に。
つまり、お客さまはいるけど、
活気の無い店にみえてしまう。
忙しい時ってのは
そういう行為をしている人がいれば
防犯対策にもなるわけですよ。
ぐるっと、巡って来ているから
いつどこで声をかけられるかもわからない。
多分、万引きなんかもね、
非常にしづらい状態に
店がなっていくのかなぁっていう。
イズミ それで、トラックストアの時に
「ワイワイ騒いで」声を出して
接客しているのをユニクロのお店の人が見て
うらやましいと思ったんでしょうね。
植木 そう、そういうところがあるでしょうね。
イズミ ホントはああいうことをやりたいんだけど
それもマニュアルに無いんですよね。
だからやっても問題ないんですけど、
もしかして、やって怒られるのがやだな、
とういうのが多分あると思うんですよ。
やってお客さまから
クレームが来たらいやだなとか、
そういうのが凄くあるかなぁって気はしますね。
植木 それは今のSKIPが?
イズミ SKIPだけでなく、
ユニクロもそういうところが
あるんじゃないかなぁと。
植木 ああ、なるほどね。
イズミ 変な意味で「尻尾」を出さないようにしようと
するとつまんなくなっちゃう。
植木 ガンガン、ぼくはそういうことをやろうと思っています。
訴求しないと
やっぱり物って売れないです。
それを教えてくれたのが
柳井会長であって、森田さんであって。
彼らが訴求してたわけじゃないんですよ。
自分で「こうすれば売れる」と思ってやったことを
彼らはそれを正しいことである
という風に当時は認めてたという
何も、言わないっていうかね。






イズミ じゃ、そろそろ最後の質問に行きます。
さっきもちらっと言ってたんですけど
今のままじゃSKIPはどうかな?
ってことがあったじゃないですか。
ユニクロの立ち上げから見てこられて
外から見てて具体的に
「SKIPこうしたらいいんじゃないか?」
「こうしたら、もっと良くなるんじゃないか?」
ってことがあったら教えてもらいたいんですけど。
植木 具体的に言うのって難しいんですけどじゃ、
ぼくが野菜を売れるのか?
っていうとそうでも無いと思うし。
イズミ でも知らないから解るとか
見えることがあるような気がするんです。
SKIPから伝えるべきことが
圧倒的に不足していると思うんです。
これはお客さまにとっても
社員の方に関しても、
店舗の方に関しても。
まず、それをなんとかしないといけないなぁと
思っているんですけど。

植木 うん。
SKIPでもユニクロでもそうだと思うんですけど
やっぱり、サービス精神があるか
どうかだと思いますよ。
ぼくはユニクロっていうブランドの
自分なりに思ってる商売っていうもの、
つまり、ホントに商売気があって最高のサービスで
お客さまに物を売ろうという姿勢と、
今のSKIPはちょっと違うと思う。
イズミ 商売気ってわかるような気がします。
それは自分もひしひしと感じている部分なので。
言いたいことはこんな事だろうな
ってことはもやもやとしてるんです。
植木 うん。
やっぱり全員が店に立てる集団って
ことじゃないかなぁ。
ホント、お客さまと向き合える集団ということに
なれるかどうかだと思うよね。
今くらいの小さい規模で始めてるわけだから
「私は何係です」っていう会社になっちゃ
いけないかなぁっていう気がしますね。
イズミ 当然、皆、得意、不得意があって
WEBをやってたりとか
マーケティングをやってたりとか
物流をやっていたりするんでしょうけど
やっぱり商売がすごく好きじゃないと
ダメなんでしょうね。
お客さまと接したり
物が売れる、買っていただくってことに
凄い喜びを感じる人じゃないと。
それが前提にあって
各部署ってことがあるんだと思います。
そうじゃないと弱いんじゃないかと
思ってるんですね。
植木 この間、柳井会長とちょっと
SKIPの話をしましたよ。
「ちょっと商売気が足りないですね」って。
ホンの一言ですけどね。
イズミ うん。小さい組織なんですけど
各担当の枠の中で考えがちなんです。
もちろん、各担当の中で信じられないくらいの
仕事をこなしてはいるんですけど。
ただ、各担当の人が店頭にでてくると
意外に、おもしろい発見がたくさんある。
いい気づきをするんですよ。
植木 だから、ぼくは一日も早くリアル店舗を出すのが
一番効果的だと思いますよ。
ホントに店として機能しようとすると
みんな、きちっと出来て当たり前で。
それを一通りみんなやってみないと
前に進まないのかなぁって気はしますけどね。
イズミ たかだか、トラックストアなんですけど
多分、これってみんなやった方が
いいんじゃないかなと思ったことが以前
あったんですよ。
今はリアル店舗が無いけど
トラックストアでも充分その役割は
果たせるんじゃないかと。
植木 ホントにそうですよ。ああやってお客さまに
ホントに売ってみてということを
繰り返さないと。
イズミ トラックストアをやってて
商売ってホント難しいなぁって
物ってホント売れないなぁって
痛いくらいに思いました
「こうやってみたいなぁ」ってことがどんどん
フィードバックしていくというような
ことができるといいと思いましたし。
植木 ぼくもSKIPのお店が出来たら
働いてみたいね。(笑)
イズミ ダメって言っても来るんでしょうね。
でも、なんか一緒に店舗で働いている
イメージが湧きますよね。
絶対、オープンの時とか来てくれるんだろうな。
植木 もちろんですよ。(笑)

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