「絶望の反対語は、希望じゃなくてユーモア」(7月28日)

・いまのような状況では、「物言えば唇寒し」で、
 どういう立場で何を言うのにも、難しさが伴います。
 それでも、「言えることの少なさ」を考えたうえで、
 このくらいは言っておきたいということは、
 誰にでも、あると思います。
 できるかぎり人を傷つけないように、
 なるべく際限のない言い争いにならないようにと、
 気をつけたうえで、言えることを言います。
 
 『正しいリスクの伝え方』(小島正美・著)という本の
 前書きに、こんな文章を見つけました。
 
 <人類を最も多く殺してきたのは何だろうか。
  核兵器だろうか。原子力発電所だろうか。
  ダイオキシンのような有害な化学物質だろうか。
  車だろうか。薬だろうか。
  どれも違う。
  最も人類を殺してきた最大のリスクは
  「思想」「イデオロギー」(自分が正しいとする
  強力な価値観や倫理観、宗教観)だと
  私は思っている。>
 
 ずっとぼくが言いたくて、いろんなふうに言い方を変え、
 くりかえし言ってきたことは、
 こういうことなんだと思ったのです。
 人を救う最大の力も、人のこころからのものでしょうが、
 人を殺す最大の力も、人間のこころから出るものです。

 こころが、いちばん怖いなんて、言いにくいですが。
 「こころを荒らさない」「こころを強ばらせない」‥‥
 正義か悪かよりも、ぼくが大事にしたいのは、
 そういうことなんだと思っています。
 やはり最近、知ったことですが、
 「絶望の反対語は、希望じゃなくて、ユーモア」
 と言った人がいるそうです。
 「こころを荒らさない」って、そういうことです。
 歴史上の戦争も大量殺りくも粛正も反対派の弾圧も、
 まじめに真顔で正しく行われたことでしょう。
 でも、おそらく「こころは荒れていた」と思うんだよな。
 「こころ」って、ほんとに、ものすごいものです。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
「ほぼ日」の「ほぼ」が、ますます好きになってきてます。

「今日のダーリン」より