「沈黙のありがとう」の交換
(『スコップ団』のこと)。(10月4日)


・山元町の『スコップ団』から帰ってきた乗組員たち、
 「筋肉痛」やら、「絶対的疲労感」やらを、
 遠慮がちに訴えつつ、日常の仕事に戻っています。
 「ほぼ日」って、アホなことばっかりやっていますが、
 実はあんがい平均年齢の低くはないチームなので、
 「スコップする」のも、なかなか大変です。

 「冬が本格的になる前に、やれることを増やしたい」と、
 団長の平さんが言ってるらしいので、
 年取ってない善男善女美男美女の皆さんが、
 団体で仙台方面に向ってくれることを、希望します。
 
 しかし、スコップ団のおもしろいところは、
 まったく「ごほうび」と「お礼」がないことです。
 これは、震災以来のいろいろな場面で、
 あらためてよくわかったことなのですが、
 「ごほうび」や「お礼」がないと知っててやることが、
 「なんのためになにをするか」を
 明確にしてくれる、んですよね。

 「やりたいから、やる」「やろうと思うから、やる」。
 「ごほうび」や「お礼」があるからやるのではない。
 こういう「無言の関係」って、
 すごく親しい者どうしではあったけど、
 知らない人たちとの間では、なかなかなかったものです。
 
 『スコップ団』の場合だったら、
 お礼を言われたりする前に、逃げるように撤収です。
 だから、「やるやらない」はじぶんで決めるだけ。
 だけど「勝手に行く」という人が、やっています。
 
 ぼくは「ありがとう」を言ったり言われたりするのは、
 もともとは大好きなのですが、
 誰から誰へもあいまいな「沈黙のありがとう」が、
 交換されている場面も、好きみたいです。
 「ごほうび」や「お礼」が、なまじあったら、
 もっと欲しくなるかもしれない。
 でも、もともとないんだから、
 やりたきゃやるんだよ‥‥それだけだ。
 うむ。これは、かなり「おとなのやること」だなぁと。
 いいぞいいぞこれも、と、思ったのでした。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。

「今日のダーリン」より