安斉育郎『家族で語る 食卓の放射能汚染』
あとがき引用(1月3日)
・いまさらのように驚くのですが、
ぼくのライブラリーのなかには、
大量の「原発・放射能関連」の本があります。
別に、そういう本の収集家ではないのですけどね‥‥。
そして、あくまでもシロウトなので、
論議に耐えるような資料や根拠を持ってませんから、
書いている人の「姿勢」を大事にするようになります。
では、その「姿勢」とはどういうものか、
うまく説明するのはむつかしかったのですが、
この本を読んで、けっこう腑に落ちました。
安斉育郎『家族で語る 食卓の放射能汚染』です。
「おわりに」と記された、あとがきを引用します。
<私が専門とする放射線防護学は、一つの科学分野です。
いやしくも「科学」である以上、原発に賛成だろうが反対
だろうが、「1リットルあたり500ベクレルのセシウム
137で汚染された牛乳を150ミリリットル飲んだときの甲
状腺の被曝量は?」と問われれば、だいたい似たり寄った
りの結論を導くでしょう。それは、「2+3=5」が宗教的
信念や政治的立場によって変らないのと同質の問題です。
だから、本来は誰が言っても変らないものであり、それこ
そが科学というものの特徴であるはずです。
同じ意味内容のことを発信しても、情報発信者の信頼性に
よって説得力には天と地ほどの差が出るのですね。
本書は、ある信念をもって生きてきた私・安斎育郎という
人物が、それなりに科学の名において解説しているもの
ではありますが、本書の内容を信じてもらえるかどうか
は、もちろん読者の皆さんに委ねられています。だから、
私としては、この本は単なる科学解説書としての出来・不
出来ではなく、安斎育郎の生きざまが問われているに相違
ないと、内心ドキドキしているのです。この問題にたいす
る皆さんの見方・考え方にとって役立つことを期待するば
かりです。>
‥‥怒声や罵声でなく殊更に正義を標榜するのでなく、
「ほんとうのこと」をやりとりすることは、
きっとできるはずだと、ぼくも思っています。
正直言えば、ぼく自身も小人物なりに、いつでも、
生きる姿勢が問われることに「内心ドキドキして」ます。
ただ信じろで、信じてもらえるはずもなし、ですから。
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