53
矢沢永吉、50代の走り方。

第2回 50代、ほんとに音楽やりたい。







2002年の今年の夏、
オレは、矢沢永吉は、はじめて
アコースティックライブをやるんですけど。

ただ、考えてみたら、武道館とかで二十数曲、
マイク蹴飛ばしてコレもんでロックンロールを
やってやってやりまくってる時の、
ほんの数曲だけアコースティックでやるから、
ステキなわけじゃない?

「アコースティックライブやりたい」
って自分で言ったものの、
あのアコースティックの世界を
2時間、どう出せばいいのか……ビビっちゃって。

悩みに悩んだ。
「矢沢にとってのアコースティックって、
 どういうことなんだろう?」
クラプトンから何から、
ロック界のアンプラグドなコンサートも、
ビデオからDVDからぜんぶ見たよ。

見て見て見て見たけれど、なんか、
みんなすごくイイんだけど、パターンが似てるんです。
みんな、雰囲気が似てる……オレはそれはいやだ。

だから、誤解しないで。
バラードをきれいに歌ってヨロシクだけじゃないよ?
ロックンロールの底辺があって、なおかつ
マイク蹴飛ばしてどうのこうのじゃない扉、
今までとはまったく違う扉が、あるヒントを得て、
見えはじめているんですよ。それがおもしろい。
ひょっとしたら、とんでもないことになるんじゃないか。

いま、52歳ですけど。
オレはこれを今年からなんかやっていくうちに、
もしかして、67歳とか68歳とか、
そんなところまで歌えるんじゃないか、みたいな。
とんでもない扉を、30年も音楽をやってきた
今になって見つけかけている、それが嬉しいですね。
……もちろん、マイク蹴飛ばすことだって、
これからも、ガンッガンやっていきたいんですけれど。



           矢沢永吉・公式ホームページ
       「YAZAWA'S DOOR」6月のインタビューより





(※矢沢永吉事務所スタッフTさんへのインタビューです)


ほぼ日 53歳を迎える今年の矢沢さんは、
これまでないぐらいの
すごい質と量の仕事に挑戦していますよね。

7月あたまからの「アコースティックツアー」。
そして、9月の東京スタジアムでの
5万人をこえる規模の30周年記念ライブ。
そしてもちろん、8月にはじまって
12月中旬の日本武道館で幕を閉じる本ツアー。

どうして、アコースティックツアーを
やろうとしたんですか?

前々から、やりたい気持ちは
本人の中ではあたためていたようです。
だけど、もちろん毎年毎年、
ツアーやそのほかのことでも、充分に
精力的にやっているわけじゃないですか。
そんな中で、30周年のライブを
スタジアムででっかくやろうよ、
っていう話は、1年くらい前から、ありました。

ただやっぱり、去年の末ぐらいから
矢沢の気分がもりあがってきて、
「いやぁ、オレやっぱり来年、
 アコースティックツアーをやりたいわ」
そういう話になりました。

いよいよあと数日で、
アコースティックツアー、はじまりますけど、
ふつうのツアーは、通常1年前ぐらいから
準備をしてゆくのがふつうなんです。
そういう意味では、かなりタイトな時間の中で
用意をしてきたところです。
でもね、お客さん、びっくりすると思います。

当日を楽しみにしている人がいるから
内容を言うことはできないんだけど、
アコースティックっていうのか、なんなのか……。
とにかく、すごいんですよ。

そうやって、新しいことをやるので、
7月4日の苫小牧からはじまって、
今年は年末まで、
矢沢はぜんぜん隙間がないんです。
本人、自分でやりたいと言ったのに、
「……え? こんなにやんの?」
って、笑っていってますけどね。
「なんで、こんなトシして、
 こんなにやんなきゃなんないのよ?」
そう言ってるけど、顔がうれしそうなの。

やりたくてしょうがないみたいなんですよ。
今年に入ってからもよく言うんだけど、
「音楽が、やりたいんだよねぇ」
そういう話なんです。

もう30年やっているわけですが、
ほんとうにやりたいという気持ちでいるのが
横にいて伝わってくるのは、スゴイですね。
その気持ちは、30周年だからどうだ、
というわけじゃないと思うんですよ。
カラダがやりたがっちゃってる、と言いますか。

今年は東京スタジアムという柱もあるんだから、
アコースティックをやることは来年にまわそう、
っていう話になっちゃうと、たぶん本人の中で
冷めていく気分とかが、出てくると思うんです。
……あの人は昔から、
頭で思ったらカラダが先に動く人だから、
「アコースティックやりたい!」
「もう、やろう! 即やろう!」
そのほうが、いいんです。
これが来年やろう、再来年やろうってなると、
最初に思いついたこととは、
どうしても違ってきちゃう。


それに、熱いうちに動いちゃうからこそ、
お客さんから見てステージが新鮮になるわけです。
「ほんとにやりたい!」と思って
ステージをやっているかどうか、それは
直に見ているお客さんには、伝わりますよ。

「ボスが、アコースティックやりたいって。
 準備、どうなるかわかんないから、
 何年計画でやろうか。つきましては……」
そうなったら、エモーションとか
パッションは、ないわけですからね。
それは矢沢の選択肢には入ってこない。
矢沢は常に熱を大切にしたいし、
自分に対して素直でいたいし、正直でいたいし、
思ったら行動したいってことなのでしょう。

当然、思ってすぐやることで、
ぜんぶがぜんぶ成功するわけではないかもしれない。
失敗したりも、する。
でも、それがまたバネになるじゃないですか。
計画した、ああしたこうした、時間かけた、
失敗はしなかったけれども、熱が冷めたりするし、
それじゃあ、あとの自分の身には
ならないと思うんです。


この方針は、悪く言えば「思いつき」だし、
よく言えば、
「やりたいと思ったことを、
 そのまま素直にできちゃうっていうすごさ」
なのでしょうか。

ほぼ日 いまおっしゃっていた、矢沢さんの
「音楽がやりたいんだよ」
という気持ちは、スタッフとして
いちばん近くで見て、どのようなものですか。
そこに、すごく興味があります。
……ちょっとくわしくうかがえますか?

はい。
矢沢は1999年、
50歳の誕生日の翌日、横浜国際競技場で、
「ありがとうが爆発する夜」という
スペシャルコンサートをやりました。

その年、いろんなところから
取材を受けていたんです、いつも通りのことです。
その合間だったということを憶えているのですが、
矢沢が移動のクルマの中で、
「……オレ、矢沢永吉の椅子、要らねぇわ」
そうやって、ポツーンとつぶやいたんですよ。
矢沢永吉っていう名前に
胡座はかかないという意味なんですけど、
ぼくらスタッフから見ると、
矢沢は決して自分の名前にはぶらさがっていないし、
いつも、何か新しいことに挑戦しているんです。
いつも去年のライブよりも違うライブ、
去年のアルバムよりも違うアルバム、
それを実行していることは、よくわかってる。
矢沢は、前の作品を踏襲しながらも、
新しい熱をどんどん入れていっていますから。

そういう意味では、ぜんぜん、ネームバリューに
あぐらをかいているとは思わなかった。
それでも、「椅子、要らない」って言った。

例えば、アメリカでライブをやりましたよね
これはレコードのリリースがあって、
それに伴ってライブを組んでいくとか、
通常はそういうふうに、やっていくんです。

ぼくらも、そう考えてきた。
シングルヒットを一発出して、ツアー組んで、って。

そういうふうにずっと考えてきたんだけど、
矢沢は50歳になった時、
「ツアーも、やりたかったら、
 いつでもやればいいんだよね」
って言ったんです。

アメリカでライブをやりたくなった。
やりたいんだったら、即やればいい、って。
たとえ、客が入らなくてもいいと。
「レコードは、出したいから出す。
 ライブは、やりたいからやる。
 それが重なってもいいし、
 重ならなくても、いいじゃないか」

そういうことを考えていたみたいでした。

「自分がやりたいなら、やればいいじゃん。
 アメリカでのツアーも、
 やりたいからやる、を続けていくことで
 お客さんが増えればいい」
毎回毎回、レコードとがっちり組んで
構えてやるのではなくて、
自然なカタチでやりたいよ、ってことなんです。
「矢沢永吉だから、
 アメリカでも客が入らなければいけない」
とか、ちゃんとリリースしなければとか、
もう、そういうところに
とらわれずにいこうよ、というのが
「矢沢永吉の椅子はいらない」
って言葉の意味なんだと思います。

だからアメリカでライブをやることを
日本では一切発表しなかった。
シークレットでやったんです。

アメリカでやるんだから現地の人に見せたいと。
日本からファンが見に来て
いっぱいになっても意味がないんです。
結果的にはロス、サンフランシスコも
ほぼ満員でしたけど。

あぁ、そういう風に、
50歳をこえて考えているんだ、と思いました。
「本気かウソかしかないから、50代はおもしろい」
矢沢はそう言っていますけれども、
「ほんとにやりたいことをする」
という情熱は、50歳を超えて
どんどん増していってるんだなぁ、
と感じました。





(「ほぼ日」に届いたメールより)

昨日7月4日に、矢沢永吉さんの
アコースティックツアーがはじまりました。
夜中に、さっそく「ほぼ日」宛ての感想が届いています。
ふつうのおたよりとあわせて、ご紹介させていただきます。


 連載、「53」、いいですね。
  以前から矢沢永吉さんにはすごく興味があったものの
  なかなかコンサートまで行く勇気がなくて……。
  だってすごく熱狂的なファンが多くて、
  私みたいなにわかファンが行っていいかと不安でしょ?
  だけど今年はアコースティックライヴがあるというので、
  勇気をふりしぼって、数ヶ月前にチケットをゲットした。
  苫小牧のアコースティックライヴ!!
  今日初日だったんです。
  すごーく感動しましたー。
  「ほぼ日」で読んでたからでしょうか、
  歌のすみずみまで矢沢さんの心というか、
  気持ちが伝わってきました。
  思わず胸がキューンとしめつけられるような。
  そしてすごく大人でゴージャスな世界!
  あー先入観にとらわれず、何故、
  もっと早くコンサートに来なかったのか。
  悔やんでます。
  私は実はクラッシクファンなんですが、
  こんなにも素晴らしい世界があったなんて。

  そしてなんと、入場時にタオルまで記念にもらいました。
  テレビでは見たことがあったけど、
  「あのタオル」です!!
  すごく得した気持ちです。ちょっとミーハーですかね。
  これから矢沢さんのコンサート
  毎年観に行くことに決めました。
  そして「53」の特集、楽しみにしてます。
  そしてまた明日からの勇気をいただきます。
  頑張ってください。
  (みー)


 矢沢永吉・・私が6年付きあった人は、
  カラオケでいつも「アイラブユーOK」を歌ってた。
  別れてからのほぼ1年くらいは、
  つらくてつらくて、永ちゃんを
  見るのもイヤでした(永ちゃん、ゴメンナサイ)。
  そして、永ちゃんは私の父と同い年でもあります。
  父が22歳の時の子なので、若い父親というのが自慢。
  でも、父とは20年以上逢うことなく離れていたので、
  「永ちゃんがもしも私のお父さんだったら」、
  と考えるだけでもウレシイ人。

  そんな意味で、永ちゃんは
  私にとって、常にビミョーな存在です。
  そんな複雑な気持ちを抱きながら、
  この「53」の連載、毎号読む事でしょう。
  (ちくぜんに)






(※次回に、つづきます。
  「自分は、具体的にはこういう53歳になりたい」
  「このコーナーはこういうことを扱ってほしい」

  そうしたご意見やご感想などを、ぜひぜひ
  postman@1101.com
  こちらまで、お寄せいただけるとうれしく思います。
  のちのち、このコーナーで紹介していきますので!)

2002-07-05-FRI


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