重松 |
「若者のカリスマ」とかいうと、
どこか斜に構えたり、すねてみたりする。
それは、たしかにかっこよく見える。
かっこいいけど……否定ではじまるものって、
そんなに長くは続けられないと思います。
一発目は衝撃があるけれど、
ニ発目三発目とつづけていくうちに、
きつくなっていくのではないでしょうか。
つまり、「否定のための否定」を
いつしか、探すようになりますよね?
「俺は人間なんか信じないぜという歌を、
人に届けられることを信じて、作ってんの?」
そういうことになってくるから。
「肯定」って、強いですよ。
今のような時代になってしまうと、
そもそも、
肯定を探すだけでも、けっこう力技ですし。
「ものを作って送りだす」って、
何かを肯定しなければ、できないことでしょう。
ぼくは、仕事が好きです。
編集者をつとめたあとの20代から、
もともとは、フリーライターをしていましたが、
「誰よりも、仕事をしてやる」
「誰よりも、稼いでやる」
こんな気持ちで、必死に、チャンスだけは
絶対に逃さないようにしてきました。
新宿のゴールデン街的、とでも言うのか、
フリーライターたちのやさぐれた雰囲気……。
それが、ものすごくイヤだったんです。
「むしろ、貧乏のほうがいいんだ」
とでも言うようなマイナー志向の考えや、
メジャーの人間をひがむという
フリーライター独特の体質が、大嫌いでした。
また、一般人が見る、
「フリーライター?」という目線もきらいでした。
特に、作家の連中からのそういう目線がイヤだった。
だったら、どうするか。
「自分はフリーライターとして
おもしろい仕事をして、すっごい儲けてやる!」
肯定したい。
そう考えて、やってきたわけです。
たまたまいただいた仕事にも
力一杯、結果を出して、前任のライターから、
さんざん、仕事を奪ってきました。
「もらったチャンスは、モノにしてきた」
そういう気持ちは強くあるんです。
黙っていても、仕事は来ないから、
いつも、こちらからつかんできました。
永ちゃんも無名だったバンド時代に
かなり鍛えられてきたと思うけれど、
ぼくもこうやってライター時代から
ずっとやりつづけてきています。
そうすると、
何ひとつラッキーパンチはないんです。
実力で勝っているという意識があるんですね。
一個一個の仕事に、ものすごく実感がある。
直木賞も、自分で取ったほうがいいと思ったからこそ
取りにいって、つかんだ……そういう自負がある。
ぼくのこれまでの仕事には、
「一夜明けたら、ビッグスター」
という感じは、ありませんでした。
でも、毎日起きるたびに状況がよくなっていく。
それを実感するのも、人間としてすごくうれしい。
幸いにも、今はぜんぶ、自分で
「やりたい」と言った仕事をやっています。
仕事は楽しいし、責任もある……。
ただ、そういう自分の前向きさや一生懸命さって、
自分でも、たまに、うっとうしくなる時があるの。
何か野望をもって上京してきた人間と、
都会で上品に生まれ育った人間との違い、と言うか。
ともかく、永ちゃんは、退廃的じゃないですよね。
なんか、どこか育ちがいいというか。
「貧乏なんだけど、育ちがいい」
って感じが、するじゃないですか。
ぼくは、永ちゃんには、ほんとうに
ものすごい強い影響を受けてきていると思います。
いま言った、退廃的じゃないことにしても、
「オレは、悲しみのヒーローにはなったけど、
絶対にイジケのヒーローじゃなかったと思う」
そういう言葉が、かっこいい。
15歳の時に買った
『成りあがり』は、もう、
ボロボロにすりきれるまで読みました。
今でも持ってます。
文章、カラダに刷りこまれていますもの。
永ちゃんが広島から上京してくる時に
盲腸を切ってから行ったという
エピソード影響されて、ぼく、思わず、
その時に歯医者行きましたからね(笑)。
「爆弾抱えてたら、都会で勝負できない。
勝負の時に、歯が痛くちゃこまるだろう?」
……かわいいもんですけど。
でも、そんなふうに影響を受けた人って、
ぼくの年代には、たくさんいたと思うんです。
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ほぼ日 |
重松さんから見て、
矢沢さんの年齢の重ね方を、どう思いますか?
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重松 |
かっこいいよね。
ぼくは高校時代には、
それはもうヤザワヤザワで、
『鎖を引きちぎれ』でも何でも、
めっちゃくちゃに歌いまくってました。
ただ、80年代の後半と90年代の前半には、
実は、すこし永ちゃんの作品から、
距離をおいていました。
94年ぐらいかな?
『アリよさらば』というドラマに出た姿を見て、
「あ!」と思いました。
まず、秋元康と組んだっていうことに対して、
「あぁ、永ちゃん、貪欲だな」と思った。
役者になったことについても、
貪欲だなと思ったし、すごく新鮮だったんです。
ただ、『アリよさらば』の
一回目の放送を見たら、
中学生のガキが、何かえらそうに
永ちゃんに向かってたてつくじゃない。
それには、さすがにブチ切れましたけど。
「こいつら、クチのききかたが、なってねぇ!」
「このガキなんなんだ!
永ちゃん、それでいいのかよ?」
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ほぼ日 |
(笑)……「俺らの永ちゃんにコイツは!」って?
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重松 |
うん。
そういう気持ちはあったけど、
永ちゃんのやりたいことに関しては、
なるほどなぁ、と思いました。
投じ、他にも、田舎町の警官に
扮してドラマに出たこともあったし、
缶コーヒーのコマーシャルに出演もしていた。
当時の永ちゃんは、意識的に、
「さえなさ」という要素を出してきたんです。
ぼくはそれを見て、
「あ、かっこいい歳の取りかただ」
と思った。
やっぱり、みんな、
いつかどこかで「さえない姿」を
受け入れなければいけない時期も来るわけです。
でも、貧乏であるとか
学歴がないだとかいう「さえなさ」を、
「そんなこと、ぜったい許さない!」
って、はじきとばしていくのが、
若い時のツッパリですよね?
ドラマの永ちゃんや
コマーシャルの永ちゃんを見ていると、
もうツッパリは越えて、
「さえなさ」を受け入れるだけの
根っこの強さみたいなものを感じて、
「いい味出してるなぁ」と思いました。
リーゼントじゃない永ちゃんを見て、
かわいい顔しているなぁ、と感じたり。
もちろんライブは、すっごくキメていて、
その一年後ぐらいに、WOWOWで
永ちゃんのライブ中継を見たんだけれども、
ライブはやっぱり、すごくいいの。
それを見ても、
「やっぱり、永ちゃんだよね」
と思いました。
永ちゃんの今のコンサートって、
ものすごく、思いっきりゴージャスですよね。
それが、いいと思うんです。
ハングリーじゃないところが。
もちろん、
精神的にはハングリーでしょうし、
最初はハングリーさを持って
成りあがっていったわけだけれど、
一回ちゃんとあがっちゃったあとにも、
まだ四畳半に住んでいるようなふりをして
ステージをやるっていうことは、
結局、観客に媚びていることになりますから。
それは昔の物語をくりかえしているだけだし、
みっともないことじゃない?
今の永ちゃんのコンサートは、
アメリカからミュージシャンをいっぱい呼ぶわ、
ステージにハーレーダビッドソンで乗りこむわ、
キャデラックをボックンボックン置くわで、
ほんとうに「ガーン!」としてますもんね。
ローリングストーンズも、
不良の音楽のいちばんの代表だった。
いまでもまだそう思われているフシがあるけれど、
ミック・ジャガーは、いま世界でいちばん
ゴージャスなステージをやってますよね。
いちばん金をかけているし、金持ちなんですよ。
永ちゃんも、
歌うときには同じような汗をかいて
同じようにシャウトしているわけだけれど、
昔の永ちゃんをなぞってはいない。
一回ずつ変えていっていますから。
それがすごい。
ぼくは、やっぱり、
歳を取っていくことは、
「変わっていくこと」だと思うんです。
変わらないうちは、
歳を取ったことにならないと感じています。
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ほぼ日 |
「歳を取ることは、変わること」
といういまのお話に、とても興味があります。
くわしくうかがっていいですか?
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