ほぼ日 |
「いつが自分のピークなのか。
それを、ほとんどの人が考える」
と、いま重松さんが言われたことについて、
くわしく、伺わせてもらえますでしょうか?
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重松 |
永ちゃんが28歳で、
『成りあがり』を書いていたころならば、
それまで、日比谷野音、後楽園球場とあって、
そのあと、アメリカに行く……。
まだまだ、あがっていける。
そうやってきたわけだけど、
どこかでピークというものがあるわけじゃない?
永ちゃんも、
「自分はどこがピークなんだろう」
とふと思うことが、あるのではないでしょうか。
歳を取るっていうことは、
自分のピークはいつなのかという問いと
正面から向きあうことでもあると思うから。
たとえば、ぼくの肉体的なピークは、
2〜3年前に過ぎたと実感しているんです。
昔なら二晩徹夜できたのが、できなくなったとか。
小説の部数のピークが、いつ来るかわからない。
小説の出来のピークが、いつかもわからない。
もうピークが過ぎているかもしれないし、
でも、もう一作書いてみるといいものができて、
それが売れて「お、まだやっていける」と思ったり。
それは、ぼくも、考えることです。
ましてや永ちゃんみたいな
ほんとうにトップに行った人間は、
2位や3位になった時点でさえも、
1位から見たら、マイナスですよね。
だとしたら、いちばん弱気な部分では、いつも
「自分のピークはどこだろう?」
という感触を、いつも持っているんじゃない?
ものを作る人間は、みんなそうだと思う。
だからこそ、ぼくは、
これから何十年先の永ちゃんも、
すごく楽しみです。
永ちゃんなりの坂の降りかたを、
ゆっくりと、教えてくれるんじゃないか、
と思っているからです。
いさぎよく降りるのかもしれないし、
しがみつくところにリアリティを持つかもしれない。
その永ちゃんの降りかたというのは、
いつになるかわからないけれども、
見てみたいなぁとは思っています。
永ちゃんは、どこまで歌って、
どんなふうに白髪になるんだろう?
永ちゃんは、かっこいいジジイとしては、
まだまだスタートラインだから、
この先どうなるのかが、楽しみなんです。
ものすごく憧れの人が攻めていく時代、
熱狂の時代を共有できた……。
その憧れの人が、ゆっくりと年老いていく姿を
オトナになった目線で見られることだって、
悪くはないんじゃないかなぁと思います。
「ずっと見ていける」っていうのは、
しあわせだよなぁと感じるんですよ。
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ほぼ日 |
その気持ちは、
仕事をがんばりつづけている人への、
愛情や感謝みたいなものですか?
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重松 |
うん。
ぼくにとって、永ちゃんが53歳というと、
その年齢の数字よりも、
「あ、『成りあがり』から25年なんだ?
あれから四半世紀も、がんばっているんだ」
と、まずは思うんです。
もし、永ちゃんが
28歳のまま終わっていたとしたら、
ぼくの中で大切な人ではあるでしょうけれど、
「偶像」のままだったという気がします。
永遠のヒーローだけれども、
懐かしさとしてしか思い出さない存在。
でも、そうじゃなかった。
また、もしも永ちゃんが
40代半ばで現役を去っていたとしたら、
「最後には、けっこういろいろなことに
手を出していたなぁ」
と率直に思っていたことでしょう。
その状態も、永ちゃんは突き抜けた。
いまの永ちゃんは50代で、
バリバリやってていて、かっこいい。
その先、どうなるか。
永ちゃんが頑張っている年齢までは、
ぼくもがんばっていきたいなぁと思います。
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ほぼ日 |
矢沢さんが『成りあがり』を出した
28歳という年齢が、重松さんにとって、
仕事のしはじめの歳として
強烈に意識されてますもんね。
そのあと、矢沢さんが仕事を終える年齢までは、
14歳年下の後輩として、
やりつづけたいということですか?
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重松 |
うん。
永ちゃんが、
「オレ、もういいや! 引退!」
そう言う年齢までは、自分もがんばって
走ってみようかなぁと思いますから……。
そういうことを考えてみると、
小さいの頃の憧れっていうのは、永遠なんですね。
ぼくにとってのそういう存在は、
永ちゃんとあと何人かいるけれど、
思うだけで、勇気がわいてきますよ。
永ちゃんに関しては、いままで25年間も
憧れさせてもらっているということがうれしいし、
永ちゃんがやりつづけていてくれてることも、うれしい。
そして、永ちゃんが、
「ほかに似た人がいない存在」
であることが、すばらしいと思います。
すごい人にはみんな感じることなんですけれど、
ほかに似ている人、ひとりもいないですもの。
永ちゃんは、合同イベントには向いていないし、
もっと言うと、ロックという
ジャンルなのかどうかもわからないような
試みを、いつもやってきていますから。
あるジャンルがあって、
いかにもそのジャンルのど真ん中にいる人って、
実はジャンルに負けてしまっているのかもしれない。
「あるジャンルの中でもほんとうに強い個性って、
ジャンルの中からはずれそうになる」というか。
そのほうが、結果的には作品が残ると思う。
やってる側も、せこい競争じゃなくて、
このジャンルが残るか残らないかの戦いになるから、
きっと、やりがいが出てくるよね。
ぼくも、そうありたいと思っています。
こういう曲を聴きたければ、
永ちゃんの曲を聴くしかない。
こういう小説を読みたければ、
重松清の小説を読むしかない……みたいな。
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ほぼ日 |
仕事のやりかたを考えるうえで、
矢沢さんは、すごい大きな存在なのですね。
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重松 |
うん。
永ちゃんは、勤勉な人なんですよ。
たとえば、ぼくは今でも、どんなに飲んで帰っても、
パソコンの前にかならず座って、たとえ2行でも
何かを書くんですけれど、それは永ちゃんが昔に、
「ライブが終わった後、すこしでも曲をつくる」
と言っていたからなんです。
いろんなことが、刷りこまれてる。
いまだに、
「白いパンツにサスペンダーで黒いシャツ」
というと、「コレだよ!」っていうか、
ぼくの中での一張羅のイメージなんです。
「たるんでない」姿と言うか。
……ぼく、昔、その永ちゃんスタイルで
教育実習に行っちゃったもの。
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ほぼ日 |
(笑)……何してるんですか!
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重松 |
当然、シャツ前は「3つハズし」で。
いきなり、高校の校長先生に、
「何いきなりチンピラが来てるんだ!」
って、どなられましたけれど。
でも、自分としては、まじめだったの。
しょうがないじゃん。
当時、「一張羅」って言ったら、
そのスタイルしか、頭に入ってないんだもん。
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ほぼ日 |
(笑)むしろ、
シャツ前を3つハズすことも、
「きちんとした意識」で、ハズしたんだ?
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重松 |
そう。
キチッとしたのよ。
そうじゃなかったら、何もそんな気にせず、
ふだんから好きな、胸に星のマークが入ってる
Tシャツを着てっても、よかったわけですからね。
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ほぼ日 |
(笑)……って、そのTシャツも
モロに、「永ちゃん」じゃないですか!
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重松 |
あのTシャツに、
スーツ着るのも「あり」だよね。
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ほぼ日 |
(笑)
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