53 矢沢永吉、50代の走り方。 |
第19回 アー・ユー・ファイティング? ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 人生を本当に楽しめよ。あんた、あんただよ。 いまこの本を読んでいるあんただよ。 会社をリストラされただけで、 「もうオレの人生はおしまいだ」なんて、なんで思うんだ? まあいいじゃん。皿洗いでもなんでもやる根性を持てよ。 空き缶でも拾えよ。空き缶を拾うことが悪いのか? 空き缶を拾ったら、それで人生は終わるのか? そんなことない。 オレはあんたのそこしか見てないと思っているのか? 空き缶を拾ったらまずいってことだけ見てるのか? そんなことない。 『アー・ユー・ハッピー?』(日経BP社)より ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ これまで、この「53」のコーナーでは、 矢沢永吉さんのこれまでの道のりに即しながら、 さまざまな人の「年齢を重ねるということ」について、 かなり素朴なスタンスで、直接に聞いてまいりました。 重松清さん、矢沢永吉さんのスタッフのTさん、 日経BP社の柳瀬博一さん、ほぼ日の糸井重里……。 次回からは、格闘技漫画と言えばこの人、という 『バキ』『餓狼伝』の板垣恵介さんのお話を じっくりとお届けしていきますので、 直接の経験を探ることは、続いてゆきますが、 今回は、このコーナー宛てにいただいたメールを、 ぜひ、紹介していきたいなぁ、と思っています。 それは、なぜかと言うと……。 矢沢さんが、いつも必ず、 単行本ならその本を読んでいる人に向けて、 「あなたは、どうですか?」 「これ読んでるあなたは、ハッピーですか?」 と、もう一度、読者に問いかけているからです。 そして、これまでこのコーナーに ゲストとして登場してくれた人たちの言葉を、 みなさんが、かなり、自分に突き刺さる話として、 気合いを入れて、読んでくださっているからです。 矢沢永吉さんは、 著書で、次のように書いています。 「『アー・ユー・ハッピー?』 ということばには、たぶん、 『アー・ユー・ファイティング?』 という意味が、隠れているのかもしれない」 ここでは、今まさに、実際に 悪戦苦闘しながら日々を過ごしている人たちの 「53」宛てのメールを、ご紹介いたしますね。 言葉が洗練されているとか、 すばらしい洞察のあるメールだとかいうよりは、 一生懸命な人のものばかりを、選んでみました。 よかったら、じっくりと、読んでみてくださいませ。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ・私の両親は30代後半くらいに離婚しました。 母は3年前に定年を迎え、 今では独身生活を謳歌しています。 父は定年のない仕事なので、 60歳を過ぎた今でも頑張って、楽しんで働いてます。 「53」を読んでいる途中、何故か涙が出てきました。 ハッキリとは理由は分かりません。 自分が情けないと思ったのかもしれないし、 きっとガムシャラに走ってきたであろう両親が、 「53」の向こうに見えたような 気がしたからかもしれません。 「53」を読んで、改めて両親が好きになりました。 両親に対する感謝の気持ちが、 ブワァーッと湧きだしてきました。 私は今、35歳。 両親が離婚した年代に近づいていますが、 まだまだなーんにも出来てないような気がしてきました。 (TU) ・1週間振りの「ほぼ日」です。 「ほぼ日」では、最近、 経験ということをずっと取りあげてますが… 俺のばあちゃんが、逝ってしまいました。 6歳の時に母親と生き別れてから、 31年間、ずーっと一緒。 「母親は居なくなったんだ」って 小さい頃からずーっと思っていたけど、 ばあちゃんは俺の「90歳の母親」だったんだって 今、初めて気付きました。 ひらがなしか書けなかったけれど 「勉強しろ」ってうるさかった。 鯖の味噌煮、魚肉ソーセージの入ったカレー、 ケチャップ味の焼肉、美味かった。 母親の居ない不自由さなんて感じたことなかった。 愛情たくさんもらってたんだなぁ。 逝ってから気付くなんて遅いか。 あ〜あ、悲しい。辛い。仕事、休みたい。 圧倒的な悲しみに囲まれています。 勝手なメールですいません。 (コウジ) ・今日、まとめて読ませていただきました。 私は今年の6月で38歳になった 独身のサラリーマンです。 思えば、私の10代後半からの人生は ただひたすら「逃げ」の人生だったように思います。 高校時代の友人たちとの人間関係からも逃げ、 大学受験から逃げ、逃げた末に入った 大学での人間関係からも逃げていました。 就職してからもそうでした。 困難な課題にぶつかりそうになると、 安全な方へと舵を切って逃げていました。 困難をいかにかわすか、 それが要領のいい格好いい生き方だなどと 勘違いしていた時期もありました。 そして・・・今。 30代も終わりに近づいてきて思うのは、 「オレはこのまま40代、50代になったとき どうなってしまうのだろうか?」 というありきたりですが、切実な悩みと 「今まで何をやっていたのか」という強い後悔でした。 矢沢さんは学生時代から大ファンで、 「成り上がり」も、重松さん同様 擦り切れるまで読みましたし、 コンサートにもよく行ったものです。 30代も終わりにさしかかって、 自分の生き方について 漠然とした不安を感じ悩み始めたころに 頻繁に頭の中で繰り返された言葉が、 53のコーナーでも出ていましたが 「20代にがんばったものだけが、 30代へのパスポートを得ることができる」 というエーちゃんの言葉でした。 「オレはパスポートを貰い損ねてしまった。 もう取り返しがつかないのだろうか。」 頻繁に頭の中で繰り返される永ちゃんの言葉に 絶望的になってしまったものでした。 しかし、今日、偶然このコーナーを読んで 少しだけ勇気が湧いたような気がします。 口にするのは簡単ですが、 しっかり染み込んだ「逃げくせ」は そう簡単にはきえないでしょう。 けれど、50歳になったとき、 すこしでも「ハッピー」だと思える人生になるよう、 もう一度再起にかけようと思います。 38歳にもなってやっと気づくなんて、 とても恥ずかしいことだと思いますが、 38なんてまだまだこどもだと思って、 一から仕切りなおそうと決意しました。 (ひ) ・己のことが嫌になる程分かり、 結婚もし、子供も2人授かり、失業もし、の39年……。 勝ち続けることのみが生きがい、 「サクセス=人生」しか信じていない時期もありました。 今、何社も面接に行きそのたびに断られ、 正直、凹みかけています。 向う見ずに行け行けという年代でもなく、 家族は責任持ってガチット背負っていきたいし、 かといって夢は捨てきれず、 はざまで思考のみが堂々巡り。 認めたくはまだないが、これから成せる事と 成せない事の境い目も、本当は薄ら見えています。 重松清さんの言葉で、少し救われました。 あの年代、矢沢永吉に深い感銘を受けた人の殆どが、 音楽は勿論のこと、強烈な個性、有言実行スタイルで すべてを手中にして行く姿や、 サクセスこそが這い上がれる唯一の手段、 みたいなことに惹かれたのではないでしょうか。 それから百人百様の人生を生き、 果たして何人がBIGに成っているだろうか? そうじゃない人間はすべてを否定された様な気持ちに ならないとも言い切れません。 言い換えれば、「あきらめ」でしょうか。 矢沢永吉には成れなかったけれど、 誰もが自分の人生では、自分が主人公、 ささやかな「幸せ」でも幸せは幸せ……。 幸いなことに暖かい家族に恵まれ、 みんな健康、それ以上何を手に入れようとしているのか、 自分で自分に問い掛けます。 (匿名希望) ・柳瀬博一さんの 「決断することのすごさ」 についての話、とてもうなずけました。 わたしも現在30代後半で、 決断することをできるだけ避けて、 サラリーマンとして生活してきたのですが、 解雇により今は失業しています。 全然慣れていない、「自分で決める」という状況に とまどい、きつい日々ですが、なんだか 考え方がシンプルになったような気がします。 そしてこれはわたしにとって すごく大きな変化だなあと、感じるのです。 自分で選んだものでないことは、 失敗でもないかわり、成功でもない。 そういった評価を自らにくだすことなく 生き続けることだってありです。 でも、ただ生きているだけでは、 自分のストーリーにおいてすら 主役にはなっていないと思います。 自分で決断していくことによって、 自分の人生の主人公になっていけるんだと思うのです。 (あ) ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ (※次回は、漫画家の板垣恵介さんが登場予定です。 金曜日を、どうぞ、楽しみに待っててくださいませ) |
2002-08-14-WED
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