糸井 |
岡田さん、焼肉屋の料理をまかされてからの
勉強ぶりが、ものすごいですね!
なんか、そのころの自分にもし会ったら、
肩をたたいてあげたいぐらいじゃないですか?
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岡田 |
ええ。矢沢さんの曲に
『もうひとりの俺』って、ありますよね。
「大事なことさえ置きざりにしてきた」とか、
「何の不安もなかったあのころ」とか……
もう、ぼくはあの歌、大好きで。
聴いていると涙が出ます。そのころを思い出すから。
何もわからないのに、一生懸命な時期。
でも、お店を飛び出しちゃって、不安だった。
「俺、合ってるのかな? まちがってるのかな?
このさき、いったい、どうなるのかなぁ……」
ともだちは、結婚してお金をためるとか言ってる。
自分は料理の勉強代にすべてを使っているから
何もないし……という気持ちが、すごくありました。
お店をはじめるお金も、持っていなかった。
勉強は、ほんとに、よくしました。
「料理人は、料理はできるかもわからないけど、
こいつは、社会人としては認められねぇな!」
と、焼肉屋の時代に強く思っていたから、
新聞も読んでいました。
『成りあがり』に、新聞の端から端まで読む、
って書いてあったから、読んだんですけどね。
でも、今でも20代の新人に言ってますよ。
「日経、読め。わからなくてもいいから。
5年ぐらい経つとわかるし、役にたつから」
自分もそうでした。
上場だとか、企業の何たるかとかを、
どんなに知らなかったとしても、毎日、
新聞を隅々まで読んでいればわかるようになる。
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糸井 |
若いスタッフには、ほかには
だいたい、どういうことを伝えるんですか。
「事業の数字」と「数字にならない夢」と、
どちらもないと、レストランは持たないですよね?
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岡田 |
ええ。
独立してお店を開いた時のメンバーは7人。
ほとんどみんな素人みたいなものだったから、
まずは2か月ぐらいかけてすべてを教えました。
これは、実際の技術ですね。
そして、開店1週間目からは、
1週間に1度ホワイトボードを出して、
「年商50億!」とか「上場!」とか書いて、
ぼくの構想をガーッと演説するんです。
開店の日に釣銭にも事欠いている状況なのに……。
「俺たちはいま、金融機関に認められていない。
世の中、誰も俺たちを認めていないだろう?
でも、ぜったいに、だいじょうぶ! やる!」
そんなことばっかり叫んでたのは、
自分へのエールでもあったのかもしれません。
黙っていると、どんなにやる気があっても、
ちょっとはメゲそうになりますもん。
開店の日に、釣銭もないほど
お店にお金がなかったことから逆算すると、
「3か月経っても売れない場合は、
倒産するだろうなぁ」とわかりました。
いろんな支払いに対して「待っててください」と
いくら言っても、3か月で限界でしょうから。
「半年分の運転資金を持つのが正規経営だ」
と指導を受けていたんですけど、そんな状態。
開店当初は、必死にビラを配ったり、
「ぜひ食べにきてください」と
雑誌社のかたがたに手紙を書いたり……。
はじめこそ、心斎橋の人たちは
誰もぼくを知らず、客足がなかったのですが、
「食べてくれさえすれば」という予感はあった。
実際、3か月で、お客さんがお店に入りきらずに
溢れるようになりました。
売りあげも、
1年目は8000万、2年目は2億3000万、
3年目は6億5000万……というように、
店鋪を増やしながら、どんどん伸びていきましたね。
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糸井 |
すごい。岡田さんは、臆病ですか?
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岡田 |
……うーん。
いま、思わず考えこんでしまったのは、
たぶん「臆病」が、ぼくにとっては
あまりに「ふつうの状態」すぎて、
考えもしていなかったからだと思うんです。
昨日と同じままにしておいて
よくなるなんてことは、なかったですから。
横柄にはなれないですし、当然、こわがりです。
だから、かならずミーティングをしてました。
そしてもちろん、
スタッフに伝えることで
数字の話より何より大切なのは、
糸井さんもさっきおっしゃっていた
「カタチにならないところ」ですよね?
それは、重々わかっていました。
いまだって、それがいちばん大事です。
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糸井 |
「カタチにならないところ」を、
7人に対しては、どう伝えました?
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岡田 |
ぼくの場合は、自分が仕事をして、
背中を見せることしか、なかったです。
誰よりも仕事をやって誰よりも夢を語る。
お客が入っていない時期から、
「お客が入って満タンになった時はどうするか」
を綿密に語り、お客が実際に入ってきたら、
「忙しくてめんどくさいとは受け取らずに、
ほんとうにありがとうという感謝の気持ちを、
自分が強く示すことで、みんなに浸透させる」
だとか。
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糸井 |
天狗になって、前のお店を飛び出したけど、
もうその頃には、天狗じゃなくなっていますね。
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岡田 |
それはもう、お店を出てからの
何年かで、ズタズタになりましたから。
腕に自信があっても、まず、
どこもお金を貸してくれませんでした。
事業計画書を、仲間と一緒に
ワープロで見よう見まねで書いてみて、
銀行の「融資」って書いてある窓口に行っても、
ぜんぜん相手にされない。全滅!
不動産屋に行っても、
「物件みたいんですけど……」
「お金ある? ないなら帰ってくれ!」
こんな感じ。物件さえ見せてもらえない。
独立したのは、28歳でした。
お店を出てから、もう2年経ったころ。
矢沢さんが言っていた言葉……
「20代に頑張っていたやつだけが
30代のパスポートをもらえるんだ」
というのを、すごく頭に意識してました。
実は、いま自分のスタッフの
20歳ぐらいの子に会ったら、言っているんです。
「どう? 30代の自分は見えてる?」
そういう話って、若い人にすごく通じるんですよ。
30代の姿を、20代から考えているか、
それとも何も考えないまま30代を迎えるかでは、
確かにこれは、ずいぶん違ってきます。
スタッフを見ているだけじゃなくて、
いろいろな会社の人を見ていても、そう感じる。
ぼくは、「最近の若い者は!」なんて、
ぜんぜん思わないんです。
真面目な人がとても多い。すばらしいですよ。
それにやっぱり、教えてもらったことは
人に伝えなきゃって思っています。
矢沢さんに関しても、会った、知りあいになった、
サインもらった、というだけで終わるんじゃなくて、
エネルギーと情熱をもらったんだから、
それを、今の20代に伝えてあげたいんですよ。
20代、みんな必死ですもの……。
さいわい、ぼくは、20代の彼らと
同じことをやったうえで今に至ってまして、
彼等の線上にいるから、伝えられることもある。
いま、37歳ですけど、
「おもしろくなってきたな」って感じです。
矢沢さんは、ぼくぐらいの歳の時に、
「自分がどう歩いてきたか、すごくよくわかる」
と言っていたけど、実際、その通りの状態。
まわりも見えないまま、わからないまま
走るというのではない時期に入ってきています。
もうちょっと若かったころは、自分の中では
「速くやること」がものすごく大きなテーマでした。
だけど最近は、時間がかかることのすばらしさや、
時間がもたらすことの尊さが、ほんとによくわかる。
時間が経つということが、こわくなくなるんです。
「時間が経つほどおもしろいことって、あるなぁ!」
とか、そんなことを思っています。
糸井さんとは、このあいだはじめて会って、
今日もお会いしまして、
これから時間が続くんでしょうけど、
これから何回会ってどうなるかは決まっていない。
ただ、縁があって、
何かのタイミングで何かがあるだろうなぁ……。
たとえば、そういうことに対して、
こわさや不安を感じなくなったんです。
決まっていないからこそ、楽しめるようになった。
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糸井 |
トシを取らないとわからないことは、
「時間」ですよねぇ。つくづく、そう思う。
トシ取るのって、気持ちがいいですよ。
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岡田 |
ええ。
こないだ糸井さんに、
『成りあがり』を作ってくださって、
どうもありがとうございました、
と言えてよかったです。
「ありがとう」と言ったら、
糸井さんはかなり喜んでくれて、
ぼくはそれを見て
ものすごく、うれしかったんですよ!
「ありがとう」という言葉って、
言われた人よりも、言う人のほうが
うれしいんですね。言う人に返ってくる。
「ありがとうと伝えることが、
こんなにうれしいものなのか!」
自分でもびっくりしましたからね。
感謝を伝える言葉が、世界中にある秘密が、
ちょっと、わかったような気がしました。
「ありがとう」という言葉のほんとうの意味を、
ぼくは、37歳になって、はじめてわかった。
矢沢さんに言えて、糸井さんに言えて、知った。
自分がまがりなりにも仕事をしてきた上で
『成りあがり』に対してありがとうと言うことって、
10代で読んだあとにすぐ興奮を伝えるのとは、
ちょっと違っていて……時間って、いいものです。
時間が経ったから言える「ありがとう」だった。
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