53
矢沢永吉、50代の走り方。

第31回 精一杯かどうかは、見ればわかる。








「あなたが歌い続けるのはなぜですか?」

ときどきそう聞かれることがある。
昔はわからなかったんだ、これが。

今はわかる。

幸いなことにここまで来れて、
今この年齢になってくると、はっきりわかってくる。

オレには見せられるもの、表現できるもの、
伝えられるものがある。そういうことなんだ。

あるから、出す。
しぼり出すよ、そのたびに全部。



     『アー・ユー・ハッピー?』(矢沢永吉・日経BP社)より







 今回は特別に、
 『木のいのち木のこころ(地)』の著者で、
 法隆寺宮大工の西岡常一さんが取った唯一の弟子、
 宮大工の小川三夫さんの談話をお届けいたします。
 昔の人から、うけついだものがあるならば、
 それはなんだろう、ということを聞いた談話です。

 小川さんは、54歳。
 矢沢永吉さんとは同年代であり、
 仕事ばかりの毎日を送っていることも共通しています。

 この談話は、矢沢さんを語ったものではありません。
 しかし、このコーナーのラストが近づくにあたって、
 どうしても、ご紹介をしたいと思ったものなのです。

 「53」では、音楽に携わる人ではない人で、
 矢沢永吉さんの影響を受けて頑張っている人たちに、
 数か月間、インタビューをさせてもらってきました。

 では、その人たちは矢沢さんの何を好きなのだろう?
 どの点で、影響を受けてきたのだろう?
 例えば、「気持ち」を受け継いでいるとしたら、
 それは、どういうようなところで、なのだろう?

 そんなことを考えるきっかけになるのが、今回の
 小川三夫さんによる談話になっていると思います。
 「年齢を重ねるということ」をサブテーマにしてきた
 この連載のしめくくりとして、どうぞお読みください。




【宮大工・小川三夫さんの談話】


 今、自分は
 仕事をしているのが、いちばんラクです。
 「休みたいなぁ」という時はないですし、
 正月は2日から現場に行っていますから。
 現場にいるのが、いちばん気が休まりますよ。

 自分としては、
 「ようこんな仕事につけたなぁ」
 「いちばんいい仕事に入ってるわ」と思ってます。

 大きなお金を預かって、
 自分の思うようなものを作らしてもらって、
 で、最後には感謝状までもらうんですから。
 そら、まぁ、楽しいですな。

 20歳そこらで棟梁に弟子入りしてからは、
 まぁ大部屋で、自由な時間はひとつもない生活だよ。
 今に至るまで、ずっとそうさ。慣れると楽しいけどな。
 多少は苦しいとかそういう時はあったでしょうが、
 修行するのに「苦しい!」とか思っているうちは、
 「仕事の雰囲気の中に入りこんでいない」んです。


 だから、今見てても、
 いろんな能力のある子は、なかなか入りこめないです。
 「仕事にどっぷり首まで浸れ」
 と言うても、これは浸れる子と浸れない子がいる。

 それはどこに違いがあるかというと、
 むだな能力を持ってる子は浸れないですよ。
 首まで浸かるまでに
 いろんなことを考えてしまって、ほかを見ますよ。
 苦しくなったら、ほかを見てしまうわ。

 でも、能力のない子は、苦しくても、
 ひとつの仕事しか見られないんです。
 それが、楽しいことなんですよ。

 高校の時、クラスでの俺の成績は、55人中55番だった。
 学年でも、実力テストで339人中330番。
 まぁ、そん時ぁ、たまたま、
 あとの9人ぐらいが学校休んだんでしょうな(笑)。
 俺はそんなもんです。
 それくらいだと、脇目をする必要がなくなる。

 高校の修学旅行で法隆寺を見た時だって、
 酔っぱらっていたものな……暇だから、酒飲んでた。
 で、酒でぼーっとしていたら、案内している人が、
 「1300年前にこの塔ができたんですよ」
 それ聞いて、「え?」って思った。
 この材料、どう持ってきたんだろうか。

 頭の中に何にもなかったけど、
 1300年前にこの塔を作った人が
 どういう気持ちでどういう考えでやったのかとか、
 その人たちの血や汗を、学びたくなったんだ。
 宮大工という職業も何もわからなかったけど、
 「俺も作りたい」と思った。それがスタートです。

 いま考えても、法隆寺の五重塔は、
 「作ろうと思う信念」と言うか、
 そういうもので作りあげたものだと思うんです。

 法隆寺は、飛鳥時代です。
 そのあとの奈良の都を例に取りますと……。
 あの奈良は、60年で作りあげられたんです。
 あんなに大きな、ものすごい数の寺院を
 60年という短期間で作ったというのは、
 「作りあげようという精神」があった、というしかない。
 当時の技量とか資源からしたら、不可能ぎりぎりの仕事。

 誰も重力の計算したわけでも何でもないし、
 それだけの大きな材料がそろうかと言えば、
 揃わないかもわからなかった。
 それでも、奈良の人たちは、
 やっぱり作り上げたんですよね。

 技術とか技能というのを
 もしそこで生半可によく知っている人がいたとして、
 その知識にとらわれていたら、足がすくんでしまって
 それ以上のものはつくれなかったでしょう。
 そんな細かい事実にとらわれない、もっと
 強い精神があったから作りあげられたんでしょう。

 ですから、世の中には、
 「学ぶ」とかいろんなことがありまして……。
 学ぶことは、確かにいいんですよ。
 しかし、そこで止まったらだめですよね。そうでしょ?
 「学ぶということ以上のもの」がなかったら、
 あれだけのものは、できないですよ。
 しかし、実際につくり上げたんです。
 しかも、うれしかったでしょうねぇ、作りあげた時。

 自分たちの今持っている技術や技能や、
 そういうこと以上のものを出すというか、
 そういうものにとらわれないことですよね。
 とらわれないでいるだとか、
 今持っている技術以上の何かがなかったら、
 できないですよね。

 だから、奈良の人たちの何がすごかったかと言えば、
 精神力と言いますか、「作ろう」という信念だと思う。
 今の時代の自分らだって、その精神だけを追いかけたら、
 すごくいろんなことを感じられるんじゃないでしょうか。

 それから、たとえば、こんなことも思うんです。
 「法隆寺は、1300年、持っているから、
  自分たちのつくったものだって、
  1300年以上、持たせなくちゃならない」
 ということを言う人もいますが、それは違いますな。

 法隆寺なんて、偶然で今まで持ってきているんです。
 1300年前の人たちは、それだけ持たせるために
 作ったわけではないでしょう。

 ただ一生懸命作って、それが「持っちゃった」。

 途中で、どんなに涙を流すようなことがあったとしても、
 それにやっぱり、苦しいことがあるかもしれないけど、
 最後に、カタチになってきて、できあがる……。
 そうしたら、その時にはイヤなことをぜんぶ忘れて、
 もう、うれしいことしか残っていないんです。
 それが、「建物を作るという仕事」なんですわな。

 1000年以上の建物を見ますと、
 どういう工夫をしているかが伝わってくる。
 ほんまにそれを見れば頭が下がりますよ。
 考え方として、よくぞそこまで行ってるなぁと。
 寸法にとらわれない作りかたが、すごいわ。

 自分たちは、ものを作るという立場にありますよね。
 こういう仕事をしていますから、
 例えば俺は棟梁の仕事を習ってきまして、
 今は弟子にその仕事を教えていくというわけですな。
 それを、「伝統」とか何とか言う人もいますけども、
 でも、伝統でも何でもないんです、そんなのは。
 引き継ぎでも、何でもない。


 棟梁と自分のとの間にも、
 「伝統を引き継いだ」なんて感覚はないよ。

 ただ、棟梁と自分との間では、
 薬師寺の塔をつくったり、
 法輪寺の塔をつくったり……。
 そして、いま、自分と弟子の間でも
 いろんなものを作っていますよ。
 ですから、作っていること、
 そのものが残るという、それだけはあるよな。

 「技術を残す」ってことじゃなくて、
 建物を残せば、おのずから何かは伝わりますわ。
 それを伝統と呼ぶんなら、呼んでもいいけれども、
 決まりきった教科書どおりのことを伝えることとは、
 ぜんぜん、違う話なんだ。

 技術というより何よりも、
 毎日毎日の仕事を精一杯やっておくというか。
 伝統と言うよりは、いちばんいいものを作るために
 「精一杯やっておく」というしか、ないわけです。

 未熟であってもいいんですよ。
 未熟ではあっても、うそ偽りのないもの。
 一生懸命やってやってやって、
 やりきって、って作ったものなら、やっぱし、
 たとえば何百年か後に
 俺らが作った建物を誰かが解体修理した時、
 「へぇ。平成の大工さんは
  こういう考えをしてあるんだな」
 と、それを読み取ってくれる人がいるんでしょう。

 ですから、読み取ってくれる人がいると思うから、
 精一杯のものをつくっておかなくちゃならない。
 うそ偽りがあるかどうかは、
 そこにある建物の中に、あらわれるんですから。

 こういうことを考えるようになったのは、
 法隆寺の大修理をしたからなんだ。
 法隆寺、1,300年前に建ったものを、
 棟梁をはじめ、現場の人たちが大修理したわけですよ。

 法隆寺の時代に、こういう形を
 誰がどうやってつくったかということは
 何にも残っていないですよね。
 ぜんぜん残っていない。書物もない。

 しかし、その建物が実際にあって、
 それを解体したときに、棟梁をはじめ現場の人は、
 建物を通して1300年前の工人と話ができたから、
 今の時代に復元できたわけです。
 それを伝統と言うなら、伝統なんだと思います。

 できあがったものには、何もかも、
 そのままが残るということですよ。
 知識がなくても精一杯だったかどうかもぜんぶ残る。
 それは後で見てもわかる。

 建物を解体すると、当時に作った人らの顔を見ながら、
 仕事をやってるようなもんですわ。

 例えば、薬師寺の塔なんかを調べた時に、
 塔の中に寸法をとるのにあがったりすると、
 外側に見えないところは、木のカタマリですよ。

 昔はのこぎりがないから、
 オノで樹木をたたき割ったんですよ、みんなで。
 割ったただそのままが、内部に残ってる。
 木と格闘した跡が、ありありとわかるんですよ。

 それを見ると、そりゃ、
 ジーッとしているだけでも、
 何となく声が聞こえてくるように思いますよ。
 そら、だれでも感じるでしょうな。

 その逆に、例えば、手抜きでやって、
 あとは木で盛ったようなのもあるんですよ。
 「もう根性尽きておったんだな」
 とか、こっちは思うわけや。
 で、こっちは1000何年も前のそれを見て、
 「そういうことだけは残したくない」
 と思うんですよ。ハハハハ。

 だいたい、古い人との会話は楽しいよ。
 「何にも道具がないのに、
  ようこんなものをつくったなぁ」とか、
 「どういうふうにしてこの心柱を立てたんだ?」
 とか、それはもう、誰もわからないですからね。
 そうすると、自分だったらこうつくる、
 自分だったらこうやるというふうな感じに、
 絶えず、なりますわな。
 そういう仕事が、自分にとって、いちばんおもしろいわ。



(※時間を重ねるということについて
  小川三夫さんの談話をお届けいたしました。
  近日中に「ほぼ日」で連載がはじまる予定の、
  小川さんと糸井重里による対談からの抜粋です。
  
  あなたは、読んでどのようなことを感じましたか?
  「53」は次回が最終回になります。お楽しみに!)


2002-09-09-MON


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