大学入学のときに東京に出てきて
はじめて一人暮らしをして、最初に買ったものが
炊飯器とスーパーファミコンだったんですよ。
それまでゲームをしたことがなかったので、
ゲームをする生活、イコール自由!
みたいに感じてて(笑)。
そのときはゲームをしてたんですけど、
仕事が忙しくなりはじめてから、
ゲーム自体をやらなくなってしまって。
だから、『MOTHER3』が
ほんとうに久しぶりのRPGだったんです。
『MOTHER』も『MOTHER2』も
やってない状態で遊んだので、
ぼくにゲームのことを語る資格があるかどうか
ちょっと不安なんですけど。
だって、ぼく、糸井さんにはじめて会ったときに
「あ、ゲームつくられてたんですか?」って聞いて
周囲をシーンとさせたくらいですからね(笑)。



で、『MOTHER3』ですけど、
4日前かな? 終わりました!
ちょっとずつ、こつこつこつこつやってたんですけど、
ついに終わりました。いや、感動しましたよ!
おもしろかった。うん‥‥おもしろかったなぁ‥‥。

最初、ちょっと戸惑ったのは、
ものをあんまりたくさん持てないじゃないですか。
だから、どんどん使ったり捨てたりしなきゃいけない。
そこがちょっと不安だったんです。
あとから困らないだろうか、って。
でも、ゲームを進めるうちに、
あ、これは、大きな流れみたいなものに
身を委ねていけばいいんだなって、思えて。
なんとなく、「これは読書だな」って
思えるようになったんです。
その読書のふり幅はどんどん変わっていくんですけど、
物語の進む方向とか自分の運命に身を任せて、
いまいるものだけ、持ってて、
いらなくなったらすぐに捨てる。
いまあることに集中する、というか。
積分せずに微分していく、みたいな、
そのあたりのスピード感がおもしろくて、

ぜんぶを終わった感想としては、
児童文学の名作を読んだ感じがしたんです。



だけど、ただの児童文学じゃないんですね。
というのは、オトナになってから児童文学を読むと、
少し上からの目線になっちゃうじゃないですか。
たとえば『ハリーポッター』を読むときでも、
目線はちょっと上にあるんですよ。
よくできた本だな、みたいな感じで(笑)。
だから、『ハリーポッター』もおもしろいんですけど、
読み終わったあとは、
「いま子どもだったら、これ、最高だろうなあ」
みたいな感想になっちゃうんです。



でも、『MOTHER3』やってるときは、
そういう感じじゃなかったんです。
児童文学なんだけど、
オトナとしてすごくたのしいというか、
子どもの目線に下がって遊べたんです。
だから、夢の中で子どもに戻って、
図書室の名作をはじめから読んだような感覚だった。
そういうのって、いままでになかった感じだった。

やってる最中に感じたのは、
細かい気配りというか、遊び心みたいなものが
ものすごいじゃないですか。
もう、細かい遊びが、
げっぷが出るくらいありますよね。
もう、げっぷだらけみたいな、
それどころか、げっぷが主役、みたいな(笑)。
なんでこんなに無意味に細部にこだわるんだろう、
すごいなぁ! と思って。
手のかけようが異常というか、
脇役がもう、脇役を超えちゃってるし、
誰一人、無駄な人間はいないのだっていうところに
執着心すら感じましたね。

これ、映画やドラマだったらたぶんできないんですよ。
げっぷだけがたくさんあって、
「で?」っていうことになると思うんです。
でも、『MOTHER3』は、
最後のエンドロールなんかを見てると、
ああ、ほんとにひとりひとり、いたな、話聞いたなあって
彼らなりのストーリーを感じることができる。
それは、ゲームっていうメディア
そのものの力なのかもしれないですけど、
すごいなぁって思いましたね。

ぼく、けっきょくクリアーまでは
30時間くらいかかったんですけど、
最後はやっぱり涙がじわっと。



ほんとになんか‥‥なんだろう、お芝居とか‥‥
そういうところで表現しきれない「なにか」というか。
これくらいの時間かけないと、泣けない泣き方、
泣かせ方ってあるんだなあと思って‥‥。

かと言って、こう、なんだろう、
本道ではない、わき道で
時間を費やしてる感じではないんですね。
脇役の物語をたのしんでいるときも、本道なんですよ。
こう、大きな川の流れがあって、
そこからそれた溜め池みたいなところで遊ぶような、
そういう時間の使い方じゃなくて。
「いま、なんの時間?」っていうのが、
常につきつけられてるというか。
それがね、すごく、ほんとに読書みたいな感じだった。

本だと、少しこう、
自分の時間っていうところがあるけど、ゲームだと、
「相手の時間に持って行かれる」っていう感覚がある。
そこが逆に、気持ちいいというか、
気持ちよく身をゆだねることができるんですよね。
だから、『MOTHER3』のおもしろさって、
ふつうの「ゲームをやる」っていう感覚とは
ぜんぜん違うのかもしれませんね。
「これ、読んでみて」って言われて、
本の代わりにゲーム機と『MOTHER3』渡されても、
ふつうにやれるんじゃないかな、って思いますね。



『MOTHER3』は、
操作するキャラクターがしょっちゅう変わりますよね。
だから、あるキャラクターを集中して育てようとか、
そういう考えがなくなっちゃうんですよね。
でも、それぞれに対する愛着はどんどん出てくる。

ぼくはお芝居をやっているので
演じるとしたらどのキャラクターがいいかなって
ときどき考えてたんですよ(笑)。
でも、やってみたい役が無限に増えていくんですよ。
出てくる人に対してどんどん愛情が深まっていくから。

年相応のところで考えると、
やっぱり、ダスターはやってみたいですね。
足の悪い、口臭のある男を(笑)。
あとは、鐘つきのあの人、リダでしたっけ?
リダもいいですよね!
足だけの演技にこだわったりして(笑)。
あ、でも、リダは長ゼリフがあるなぁ‥‥。
あとは、地図好きの男、マップソン。
彼もいいですよねぇー。
あと、誰だっけな、自分で
育ちがよくてユーモアセンスがあると信じてる男‥‥
なにしろ、いっぱいいるんですよ、
ちょっとやってみたいなって思える人が(笑)。
あと、人だけじゃなくて、
オケラとかヒモヘビとかも最高でしたしね。
ほんとに、なにひとつ、無駄な役はないって思いましたね。



関係ないですけど、
ぼく、最初はお風呂でやってたんですよ(笑)。
ゲームやってる友だちから、
「風呂のなかでゲームやるといいぞ」って言われて。
いや、そのまま持ち込むんじゃなくて、
ほら、あの、ジップロックみたいな
密封できるビニール袋に入れるんですよ。
それを持って、こう、半身浴っていうんですかね、
ぼーっとしながらやるんですけど、
これがね、すごいんですよ、ものすごく汗をかく!
でもね、ちょっとよくないところもあって、
ずっとやってると、袋の内側が曇ってくるんです。
で、たとえば、サルが壁画の指示に合わせて
踊らなきゃいけないところとかで、
壁画の模様がまったく見えなくて、
ずっと詰まってたりして(笑)。
お風呂から出たあとに袋から出すと壁画の模様が見えて
「あ! これか!」ってわかったり(笑)。
あと、気持ちよくてぼーっとしすぎるから、
話の内容を覚えてなかったりして、
これじゃダメだと思ってけっきょくやめたんですけど。
我を忘れちゃうから、
ときどき水分補給しないと脱水症状になるし(笑)。
でも、肌とかつるっつるになりますよ、きっと。

そんな感じで、4月の終わりから、
ほんとうに1日30分とか1時間とか、
ちょっとずつ、ちょっとずつやってたんですけど、
たのしかったですね。ほんとうに。
たのしかったし、感動したし。
ストーリー的にもね、すっごく美しく、こう、流れて、
それがぜんぶ、ラストの場面に、
ぎりぎりまでそぎ落とされた状態で集約されていて。
‥‥なんか、たのしいふた月でしたねぇ。ほんとに。



スタイリスト:mick
ヘアメイク:保田かずみ




2006-06-30


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