ポケットに『MOTHER』。 〜『MOTHER1+2』プレイ日記〜 |
長く続けたゲームが終盤を迎えるころ、 決まって感じる不安がある。 物語が終わる寂寥はもっとあとで訪れる。 それとは違う、足下からの揺らぎのようなものを、 長く続けたゲームの終盤にしばしば僕は感じ取る。 それは、ゲーム以外の娯楽では ありえない種類のものである。 映画にはないし、本やマンガにもない。 音楽にも、演劇にも、スポーツにもないと思う。 感じる不安がなにかというと、 データが消えてしまうのではないかということである。 僕と僕の仲間が進めてきた冒険の記録は、 データの形になってゲームソフトのなかに記録される。 物語の進行状況はもちろん、 持っているいちいちのアイテムや、 パラメーターのひとつひとつ、 ゲームのなかで誰と話したかというようなことまで、 小さなゲームソフトのなかに詳しく記録される。 過ごした長い時間も、数々の思い出も、 ゲームソフトのなかには数値として残る。 僕はそういったことに深い知識がないから 詳しいことはわからないけれど、 おそらく0と1の集合としてそれらは残る。 もちろんそれは滅多なことで消えたりしない。 技術が進んだ最近のゲームでは 冒険の記録が消えてしまうことは ひどく希なことだといっていいと思う。 けれど、データが消失する可能性は、 いつだってゼロではない。 なんらかのアクシデントによって 記録されたデータがなくなってしまうことは 絶対にありえないことではないのだ。 DVDで映画を鑑賞していて、 何かアクシデントが起こってDVDが壊れてしまっても それは買い直して続きを観ることができる。 読みかけの本を電車のなかに置き忘れても 同じものを手に入れてまた読めばいい。 けれど、ゲームは違う。 もしもそのデータが消えてしまったら、 その冒険はもう二度と帰ってこない。 また新しくイチから始めたっていいけれど その旅をまったく同じように 最初からめぐることは不可能に近いだろう。 だから、ゲームの終盤に僕は不安を感じることがある。 バッグが壁にコツンと当たるとき、 少しうろたえてしまうことがある。 セーブしたあと電源を切るときに、 ちょっとだけ慎重になることがある。 滅多なことでそれは消えたりしない。 けれど、不安がなくなることもない。 僕と僕の仲間の冒険は、 ゲームボーイアドバンスSPにささった 小さなソフトのなかに 数値として記録されている。 |
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2003-08-31-SUN
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