邱 |
選挙はみんなが一票持っているけど、
それが平等なのかというと
むつかしいなあと思います。
株式会社ならば、
持ち株によって票が違うわけです。
だったら、払った税金によって、
この人は百倍お金を払ったんだから百倍の票を、
というような仕組みにしたほうが、
ほんとうは平等だとぼくは考えますけれども。
でも、そうは誰も思わないもんね。 |
糸井 |
(笑)そんなこと言ったら必ず怒られますよ。
でも、不平等だというのは、その通りですよねえ。
ただ、不平等である現実を言うと、
なんだか、やたらに怒られますよね。
ひねくれた人だったら、子どもに
ぜいたくをさせるとおっしゃったところで、
「あなたはそれでいいかもしれないけども、
私は……」
と言われるような気がするんですよね。
でも、不平等である事実を認めないで、
こうあるべきだということだけで
語りあっていると、
真実が見えなくなると思います。
ぼくがやっている「ほぼ日刊イトイ新聞」に
邱さんが昔にお書きになった小説
『西遊記』を載せてくださっているけど、
その中で、孫悟空が三蔵法師に、
「あなたは、慈悲という目やにで
目がくもっていらっしゃるんだ」
と言うシーンがありましたよね。
あれは、感動しました。
自分が倫理的に良い人間でありたいという
表現をするために、人は事実を
見ないようにしちゃっている。
そこのところがきちんと書いてあったから。 |
邱 |
いや、人間はね、
自分が見たいものしか見ないんです。 |
糸井 |
うん、そうです。 |
邱 |
だから人間には目があるなんて言うけど、
その目が悪ければ何も見えない。 |
糸井 |
大勢でがやがや集まっている時にも、
気になる話だけが聞こえるとか、
ふだん時計がカチカチいう音は
聞こえないとか……。
そういうのと同じことを、
目もやっていますからね。
だったら、目がくもるのは
当たり前のことなんですよね。 |
邱 |
そうです。
だから人間の目も耳も口も、
実はそんなに万能じゃないんですよ。 |
糸井 |
うーん。ここ、また太字だなあ(笑)。
誰もが、そういう
目ヤニだらけだったりするし……。
目や耳で情報戦争とは言っていても、
見てもそのままにしているものの中に
砂金が多いという場合もあるし、
どう砂金を拾うかによっても、
ぜんぜん変わってくるということは
わかりますよねえ。
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