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最新の記事 2006/03/16
 
 
斎藤さんから届いた二通目のメールは
「南極」という場所を
丁寧に教えてくれるものでした。
簡単そうに書いている言葉の中に
南極にしかない出来事のことが
もりこまれていて、ドキッとします。


私たちが暮らす昭和基地を紹介します。

昭和基地に戻って一ヶ月がたちました。
あわただしく始まった昭和基地生活ですが、
持ってきた多くの機材は納まるところにほぼ納まりました。
沈まなかった太陽も今は日の出が6時少し前、
日の入りが19時過ぎになり日本と変わらない一日です。

さて皆さん、南極観測、
そして昭和基地をご存知の方も多いと思いますが、
今日は現地に住む視点で紹介しましょう。
まず、はじめに日本の南極観測の始まりからです。

1957年7月から58年12月に世界中の研究者が
地球全体を観測しようという
国際地球観測年(IGY)が実施されました。
当時の南極大陸はまだ軍事目的で注目される地域でしたが、
IGYに関係する国々がこの期間、
領有権を凍結したことは
今も続いている南極の平和的利用に
大きな意義があることでした。

このIGYにあわせ日本は戦後間もないきびしい経済情勢の中、
南極地域の観測を決定し、
1956年11月に第一次南極観測隊が日本出発、
57年1月に昭和基地を開設しました。
これが日本の南極観測の始まりです。

第一次隊によって建てられた昭和基地は
南極大陸から4kmほど離れた東オングルとよばれる島にあり、
今も同じ場所で観測が続いています。
東オングル島は周囲約10km、
一番高い標高が約30mの小さな島で、
遠くから島を見ると
海からなだらかに浮き上がった小高い丘に見えます。
この高いところが天測点で
ここからは基地全体が一望できます。


天測点からの昭和基地。
左の銀色の二棟が居住棟、青い建物が倉庫棟、その奥が管理棟。
右の赤い建物が発電棟で黄色い通路で繋がっています。


現在、昭和基地には4箇所にWEBカメラが
設置されていて一望とはいきませんが、
リアルタイム画像で昭和基地の様子がみられます。
どうぞこちらにアクセスしてみてください。

主な施設は半径約900mの範囲に60棟の建物のほか、
燃料タンクや貯水槽、通信用アンテナ、
人工衛星受信用のアンテナなどが配備されています。

私たちが生活するところは
管理棟、居住棟、発電棟、倉庫棟などが
集まっているところです。
管理棟には隊長室、通信室、資料室、医療室、食堂、厨房、
そして隊員が集うサロンがあり、
食事を取ったり会議をしたり、まさしく生活の中心部です。

発電棟は大きなエンジンが二機据えられ、
エンジンを眺めながら「お疲れさん」と
声をかけたくなるところです。

ここが順調に動いてこそ日常生活、
そしてオーロラや気象などいろいろな観測ができるのです。
あと装備品や機械部品、
そして食料が入っている冷凍庫がある倉庫棟、
隊員の個室は二階建ての居住棟の中にあり、
部屋は四畳半ほどの快適な空間です。
これらの建物はすべて繋がっていて
ブリザードでも安心して生活ができます。

一方職場となるいろいろな研究棟や作業棟などは
管理棟から離れたところにあり、
こちらは管理棟とは繋がっていませんので、
ほんの数十メートルですが毎日徒歩通勤です。


昭和基地主要部の全景。
白っぽい三階建てが管理棟。赤が発電棟。
黄色い通路で繋がっています。
その奥の小高い山が標高29.18mの天測点です。
左側の青い建物は研究棟。
こちらはライフロープが張られています。


天気のよい日は氷山を眺めながら気持ちよく歩けますが、
ブリザードになると顔を上げることもできず、
建物と建物の間に張られたライフロープが頼りです。
こんな日の移動はずいぶんしんどいですが
南極を感じられる瞬間でもあります。
もちろん外出基準に照らし合わせて
外出禁止になったときは
観測がある人以外は管理棟や居住棟の外には出られません。
ということは逆もあって、
別の建物で観測をしていたら天気が悪くなり管理棟に戻れず、
そこで数日過ごすということもあります。
そうなると食べ物のことが心配になりますが、
そこは南極観測隊。
非常食や予備食がどの建物にも配られていて、
こんな事態でもお腹をすかすことなく滞在できるのです。

50年前、「宗谷」に乗り、
数棟の建物と11人の越冬隊員で始まった昭和基地も、
今は36人が越冬するひとつの村となりました。
施設は飛躍的に進歩しましたが、
外は今も昔と同じです。
日々、隊員たちは楽しく過ごしながらも、
それを頭の片隅において生活しています。
ちょっと特殊な世界です。


そして、はじめてのPHS。

ある日の「ほぼ日手帳」より。
「基地内だけで使えるPHSとやらを設定した。
 いろいろ、機能がついているけど結局よくわからない。
 ひとまず目覚ましを合わせたが、明朝どうなるか楽しみ」


お気づきでしょうか。
生まれてこの方、携帯電話とかPHSというものを
持ったことがありません。
使い方もまったく不明。
でも携帯が嫌いとかそういうことではなくて、
ぜんぜん必要がないのです。
仕事柄、緊急性があまりないこともありますが、
夜中に呼び出されることもありませんし、
人と待ち合わせしても会えなかったこともありません。
尤も相手のほうが
こちらに合わせてくれているかもしれませんね。

ちょっと話がずれました。
昭和基地も通信事情が発達し、
以前は小型無線機が主流でしたが、
今は隊員全員にPHSが渡り、
基地内であればどこでも通じるようになりました。
こういうわけで私にも貸し出され、
南極でPHS初体験とは我ながら笑えます。


南極らしくないですが、新品PHSの写真です。

そうそう目覚ましですが、鳴りませんでした。
起きてから「えっ! なんで?」と
朝からマニュアルとにらめっこ。
で、ふと電源を入れたら軽快に鳴りはじめ、
あきれるやらおかしいやら‥‥。

で、その次は、昼間突然鳴り出して
「なんで今頃目覚ましがなるんだろう?」
と切ったものの、こちらは本当の電話。
そうだ、これは目覚ましじゃなくて電話だ‥‥
と思う始末。
電話の用件は結局、食事のときに話して解決しましたが、
これじゃいかんと、電話の受信と目覚ましは完璧!
と当たり前のことを楽しんでいます。

こんな人間でも南極観測隊員。
いろいろな人がいるから面白いのです。

2006年3月14日
今日、昭和基地は
20m/sほどの風が吹いていました。

第47次日本南極地域観測隊
斎藤 健

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PHSの目覚ましが鳴らなかった斎藤さんですが
遅刻をしなかったのだろうか‥‥
などということも含めて
南極の生活について
想像できることが少しずつ増えてきませんか。

もっと知りたいことが出てきたら
件名を「南極観測隊斎藤さんへ」として
postman@1101.comまで
ぜひメールをお寄せください。

質問はもちろん、はげましや感想も
すべて斎藤さんが
このページで南極生活を伝えてくれるための
大きな力となります。
質問へのお返事もただいま準備中とのこと。
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一緒に南極時間で待ちましょう!

南極観測について、
もっと知りたいという方は
こちらの「極地研究所」のホームページ
ぜひご覧ください。
 
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