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最新の記事 2007/03/27
 
 
「遠くに建物や青々した木々が見えます。
 帰ってきたなあ、と実感しています。」
というメッセージとともに
オーストラリアのシドニー沖に着いたという斎藤さんから
最後のメールが届きました。

皆さんへ 南極からの便り

きっかけは一冊のほぼ日手帳。
一昨年の秋、そろそろ南極へ向おうとするときでした。
南極でほぼ日手帳を使いたいことを問い合わせ、
できたばかりの手帳を受け取りに
ほぼ日刊イトイ新聞のあるビルを訪ねました。
一言お礼をお伝えし失礼しようと思ったのですが、
居心地の良さについつい長居。
南極の話をしているうち
「時々、書いてみませんか?」
とのお言葉に、喜んで、と調子よく、
いいえ謹んでお引き受けしました。

それが南極出発の数日前のこと。
これが連載開始に向け、
スタッフの方々が奔走することに‥‥。
南極観測は国家事業だけあって、
隊員が執筆、テレビやラジオに出演するときは
国立極地研究所へ所定の手続きが必要です。
そういう手間がかかる手続きを、
ほぼ日スタッフと研究所の広報係りに下駄を預け、
当の本人は一路南極へ向いました。

さらに私がはじめに向う先はドームふじ基地。
成田から南極まで空路で行ったとしても、
基地に着くまでは約一ヶ月かかります。
その間は一日に一度、
自分たちの無事を報せるほかは、音信不通の状態です。
さらにさらに年末で慌しい中、
きっと多くのご苦労があったと思います。
そうしたことを全てクリアにしていただいた
スタッフの方々に感謝します。

そしてドームふじから昭和基地に戻った2月。
読者の方々から
たくさんの励ましや問い合わせが届いておりました。
南極という日常と違った環境への興味をはじめ、
私個人と隊員全員へ激励の言葉、
そして家内にもお心遣いをいただき、
この先一年間の南極生活を思い、
とても心強い心境になったことを鮮明に思い出します。

いただいたお便りは全て拝読しました。
何れも気持ちのこもったお便りばかり。
感謝しております。
しかし、生来の筆不精は滞在中、
皆様のお気持ちに応えられることができませんでした。
この点は大変申し訳ありません。
平身低頭お詫びいたします。
帰国後、何らかの方法で、
可能な限り回答したいと思っておりますが、
何卒前述の通りの性質ゆえ、
どうぞご理解お願いいたします。
4月には東京で談話をする機会があり、
このような機会を通しお会いすることもできそうです。

また、忘れたころに拙稿をお届けするという
マイペースも甚だしい極めて暢気な執筆者に
対応していただいたほぼ日スタッフの方に感謝いたします。
ほぼ日さんからの返信はいつも明るく、
そしてすっかり忘れている引き出しを開けてくれました。
尤も、それにお応えできたかどうかはこちらも疑問です。

さて一年間に渡り、南極をお伝えしてきました。
連載を通じ、南極に行きたい方、
南極ってどんなところ?
と南極に興味を持つ人が大勢いらっしゃること、
そして南極観測は
このような方々に支えられていることを改めて感じました。

南極観測事業は大切な税金を資金に、
多くの研究者、技術者により運営されています。
それ故、南極を通して判ったことを広く公開し、
南極観測を次世代に引き継いでいくことも
観測隊の大きな仕事です。
現在、科学研究において、
このように大きな研究プロジェクトは多くはありません。
読者の皆さん、科学は面白いです。
このほぼ日をきっかけに
南極観測をより身近に感じられていただけたら
嬉しい限りです。
一年間、どうもありがとうございました。
ではいつかまた。


2月7日 昭和基地からしらせに戻るヘリからの空撮です。

2007年3月20日
砕氷艦「しらせ」にて
第47次日本南極地域観測隊
斎藤 健

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たくさんのメッセージをいただき
どうもありがとうございました。
日本に帰国されたときの様子は
別途お届けするかもしれませんが、
「南極ほぼ日手帳物語。」は
ひとまずはここで中締めとさせていただきます。
斎藤さんへの質問や応援、激励、感想は
「南極観測隊斎藤さんへ」として
postman@1101.comまでお寄せくださいね。

南極観測について、
さらに知りたいという方は
こちらの「極地研究所」のホームページ
ぜひご覧ください。
 
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