アムスでダンス。
J-POPはオランダの夜に流れる

第10回 踊ってる場合?
〜欧州クラブカルチャーの曲がり角〜


おそらく気候の違いからなのでしょうが、
欧州の建物は石造りや煉瓦造りが多いのです。
そのため建物の寿命が長く、
古い建物がそのままの形で残されています。
それでも内装や機能的なところは
暖炉がストーブになりラジエーター式の暖房に
なったりと
時代とともに変っていくようですが、
昔のままの内装を大事に守りながら
営業を続けているカフェなどもあります。

1920年代のアールデコ調の椅子やテーブルの
まま営業を続けているカフェなどに出かけると、
おそらくは当時最新流行だったそのカフェへ
同じように出かけて、
同じようにビールでも飲みながら、
同じように会話しただろう
その頃の人々へと思いを寄せられます。
電灯はすでに普通にあったのかな。
蓄音機で音楽を流して踊ったりしたのでしょうか。

当時と今では、
生活の細部で様々なことが違い、
物の考え方にも様々な違いはあるでしょう。
でも、日々生きる悩みや喜びの感覚そのものは
僕らのものとあまり変わらないのでは
ないでしょうか。

同じように今から100年後の人々も、
今の音楽を聞いたり、
建物や雑誌などに残される
アートや装飾や文学などを取り上げて、
今を生きる僕たちのことを
想像してくれるのでしょう。
願わくば、その時を生きる人々が、
今より幸福な世界から振り返ってくれるといい
のですが、、、。

今回は、リオ吉にとっては大切な、
ある時代の流れについてお話します。

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80年代終わりから90年代を通しての時代に、
それまでディスコと呼ばれていたものと
明らかに違う音楽やスタイルが生まれました。
それら「クラブカルチャー」と総称されるものが
イギリスやオランダを始めとする
北西ヨーロッパから始まり、
世界中に広がっていったこの頃は、
ヨーロッパでは「幸せな時代」として
振り返られ始めているようです。

これは、旧ユーゴなどに局地的な紛争はありましたが、
それまでヨーロッパを真っ二つに分け、
核戦争の恐怖をも身近に感じさせていた、
『東西の冷戦』という重たい雲が晴れ、
ドイツ統合、EU統合へと進んで行った時期に
当たっています。

東側の旧共産主義諸国に
大きな混乱と共に自由をもたらした東西の壁の崩壊は、
西側にとっては大きく開いた市場を意味しました。
さらにEU統合による交通の自由、
インターネットやモバイルなどの
新たなテクノロジーの発達にも引っ張られて
ヨーロッパの経済は活況を呈していました。

また「個人の幸福の追求」こそが
経済合理性に最も適い、
社会全体が「最大多数の最大幸福」へ
導かれるということを、
歴史に証明されたかのように思えたものですし、
「世の中がこれから良くなって行くんだ」
という雰囲気があったように思えます。

常に社会と文化は呼応するものなのでしょうが、
欧州のポップミュージックの世界でも
そのポジティヴな感覚と呼応するように
活発な動きがありました。
ちょっと考えただけでも、
ハウス、テクノ、トランス、ヒップホップ、
トリップホップ、アシッドジャズ、ラウンジ、
ラウドミュージックなどと、
すらすらとたくさんの音楽のジャンル名があがります。
この時期には、それまでにはなかった
新しい音やスタイルが次々と生まれて行きました。

そして、おおざっぱな言い方ですが、
「好きな音楽を聴きながらダンスやお酒や
 会話やその他を楽しむ」 場所(クラブ)が増え、
文化の一面となり、「クラブカルチャー」と呼ばれて
盛んになりました。
(「24 hour party people」とか
 「Trainspotting」みたいな映画が
 その感覚のごく一部を捉えていると思います。)

クラブではテーマを決めて、よくイベントをします。
リオ吉がアムスでやっているのは、
この「クラブイベント」の日本版なのです。

ところがここへきて、
音楽的に新鮮な感覚のものは
(ぼくが歳をとったからなのかもしれませんが)
なかなか見当たらなくなって来ましたし、
クラブやレイヴ(もう使わない言葉かな?)へ
行くことが、何らかのムーヴメントへ
参加しているような感覚にさせることも
少なくなって来てしまいました。
欧州のクラブカルチャーは
停滞期に入っていると言えるかも知れません。

ちょうどインターネットの希望に
似たようなものがあります。
まだ商業ベースに乗りだす前、
インターネットの概念が現れだしたころ、
「これから世界は大きく変る」。
世界の人々と繋がり、
「世界はいい方向に変る」
と多くの人々が希望を抱いたように、
90年代初めごろのいいクラブへ出かけると、
多くの人と繋がれている感じがしたのです。

そして起こったのが、あの
「セプテンバー・イレブン(911=2001年9月11日)」
でした。

リオ吉は必ずしも世界が悪い方向に進んでいるとは
思いたくないのですが、911とその後の経過は、
前述したようなさまざま希望を
打ち崩すかたちで進んでいます。

クラブカルチャーやダンスミュージックも
おそらくそれらと呼応しているのでしょう。
1990年に18歳だった僕らは
「思いっきり楽しむこと」を肯定して
クラブへ向かえたのですが、
今2003年の18歳には、
これほど世の中の問題が表面化しているのに、
果たして「踊ってる場合なのか?」
という疑問が湧くのも当然ですから。

では、「踊ってる場合」なのでしょうか。

ちょっと前の話になりますが、
イギリスの『Q』という音楽雑誌に
イーグルスのグレン・フライが話していたことが
載っていました。
ちょっと抜粋して訳してみます。
まだ911の前、海南島での米軍機による
不時着事件のころのライブレポートの記事です。

「音楽ってどこまで届くかわからないものだよ」

イーグルスのグレン・フライが言う。

「アメリカの偵察機が中国で衝突不時着して
 (中国軍パイロットが亡くなり)、
 クルーが収容軟禁された時のことを覚えているだろう。
 その時に中国の警備兵が
 アメリカ人のパイロットの一人にこう聞いたんだって、

 「『ホテル・カリフォルニア』について
  話してくれないか」

 って。」

フライは少し黙って、ウィンクする。

「Oh, yeah.」

 (文:Paul Elliott)


リオ吉も微力ですが、音楽を通じて、
そんなことが出来たらいいなあと思うんです。
音楽や文化で果たして
世の中を良く変えられるのかどうかはわかりません。
ただ確実に人と人は繋げられるし変えられる。
そんなことを、日本の文化をこちらへ、
広めることで出来たら、と。

そして、話はJ-ポップへ。次回に続きます。

リオ吉

2003-12-04-THU


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