糸井 |
『明日の記憶』は、順撮り
(物語の進行に沿って撮影していくこと)
だったそうですけど、
それは、映画の仕上がりに
大きく影響したんじゃないでしょうか。 |
堤 |
それはもう、大きいです。
順撮りでの撮影は、
「そうしなくてはならない」という
使命感のようなものが自分のなかにありました。
つまり、効率を重視するような
ふつうの撮影方法ではだめだろうと。 |
糸井 |
あああ、なるほど。
ということは、最初の台本の段階と、
できあがった映画はけっこう変わってるんですね。 |
堤 |
そうですね。だいぶ変わってますね。 |
糸井 |
現場で変わっていくわけですね。
毎日、撮影前に監督と渡辺謙さんが
その日撮影する場面と向き合いながら
つくっていったという話もありましたが、
その都度、その都度、
それこそそのときの気持ちや
運のようなものも引き入れていったというか。
つまりその、偶然のようなことを
どんどん自分たちが引っ張り込んで、耕して、
偶然じゃないようにつくっていった。 |
堤 |
そうだと思います。
ですから、俳優さんも
きちんとそういう方法を理解して
つきあってくれる人でないとだめだった。
‥‥いやぁ、その意味では
樋口さんはすごかったです(笑)。 |
糸井 |
はははははは。
樋口さんには、このあとあらためて
インタビューすることになっているんですけど。
現場に対して信頼があるから
憶えていったセリフが当日変わったとしても
「これは謙さんと監督が相談してこうなりました」
って言われると、もうそこで、
「はい!」ってなったって言うんですね。 |
堤 |
そうですか(笑)。
樋口さん、つまり枝実子のセリフは
現場でもひじょうに苦労しました。
瞬間的な思いつきが大きく作用していて、
それがいい方向に転がって
「あ、いいセリフだな」って
自分でも思えたりするんですけど、
いま思うと、自分でほんとうに
そんなことを思いついたのかっていうような
偶然みたいなことがとても多くて。 |
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糸井 |
それも、順撮りならでは。 |
堤 |
そうですね。
樋口さんご自身が、順撮りすることによって
人物を少しずつ少しずつ
つくっていってくださっているから、
その樋口さんを見ていれば、
そのセリフがほんとうに
そのとき言えるかどうかということが
すぐにわかるんですよ。 |
糸井 |
あーーー、なるほど。 |
堤 |
働いていた夫が発病して1年経って、
それまで家事をしていた自分が働きはじめた。
そのとき、言えること、言えないことを
ご自身のなかで自然に検討されているから。 |
糸井 |
うん、うん。 |
堤 |
それはもう、顔見りゃわかるんですよ。
「あ、言えることなんだな」とか、
「言えないことなんだな」とか。
その顔色見つつ、関係も見つつで、
ちょっとずつ直していったりしました。 |
糸井 |
そうですよね。
なんて言うんだろ、小説とか、
活字のなかだけの物語だと、
「実際には、それ、言えねーよ!」
っていうセリフがいっぱいありますよね。
「言えないよ」っていう
セリフだらけにしちゃうと
それはそれで成立してしまうものなんですけど、
この映画のなかでは、
「ウソならウソでもいいから、
言えるセリフにしてください」
っていう感じがありますよね。 |
堤 |
ええ、そうですね。 |
糸井 |
それはもう、絶対にそうですよね。
なるほど、じゃあやっぱり
順撮りじゃないと、それは難しいですね。 |
堤 |
もし、あれが順撮りじゃなかったら、
ああはなってない。 |
糸井 |
そうでしょうねぇ。
また、監督ご自身のなかでも
順撮りでつくったぶんだけ、
「なにをどうつくったか」っていう
気持ちがはっきりと残っているじゃないですか。 |
堤 |
そうですね。
撮影したシーンを観ると、
あの時はどうだったかっていうのが
如実に思い出せるというか。
ぼくは、撮ったものを
すぐに忘れちゃうタイプなんですよ。
忘れるからすぐつぎのものがつくれるんですけど。 |
糸井 |
うん。 |
堤 |
でも、この映画はほんと、忘れられない。
「忘れてしまう映画」だけど、
忘れられないものになった。
1カット、1カット、
ああ、あのとき、ああだったな、
あんなことを語り合ったなとか‥‥。
ほぼ全カット、
謙さんなり、樋口さんなり、
遠藤さんなり、ミッチーなりと
話し合いながらやってったんで、
いろんなことがもう、思い出せてしまって。 |
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糸井 |
忘れる映画だけに、なにを忘れたかっていうのは、
覚えてないとつくれないですもんね。 |
堤 |
そうなんですよ。
(つづきます!)
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