渡辺謙さま
東京の月曜日深夜、糸井重里です。
前々回のメールで
「子どもっぽい」のこと、考えてくださって、
ありがとうございました。
アインシュタインのエピソードは、
ぼくも耳にしたことがあります。
まず「わかる」んですよね。
そして、それを大人のことばで言い直すのに、
ずいぶん苦労するんですよね。
ぼくも、そんなことがほとんどです。
アイディアとか、ひらめきとか、クリエイティブとか、
いろんな言われ方をしていることは、
たいてい「憶えた覚えのないこと」が、
自分のなかから飛びだしてくる感じです。
連載の小説やマンガのように、発表に時間のかかるものは、
登場人物たちが、作者の思惑をこえて、
勝手に動き出してしまうらしい(そうでないものもあるのかな)
のですが、犬に引っ張られての散歩のイメージも、
かなり似ていますね。
いや、犬にかぎらず家族というやつは、
それぞれの「わたし」の思惑に関係なしに、
「わたしたち」として動きます。
これが、いわゆる「正しい」方向に動くとは限らないし、
いわゆる「正しさ」なんてものがナンボのもんじゃ、
というくらい愉快な軌跡を描きます。
あらかじめ「想定」されたものや「計画」「青写真」などは、
壊されるためにつくるものなんでしょうね。
ずいぶん大人の仕事ですし、かなり苦労して築き上げるから
「絶対に壊すな」とかも、言いたくなるんだろうな。
それでも、その範囲でできあがるものは、
おもしろくないんだよなぁ。
渡辺さんが、「しっかりリサーチしたうえで、いい加減に」
仕事をするというのは、わかる気がします。
(ぼくは、どうやら、いい加減の上にいい加減なんですけど)
堤監督のこと、ほんとうにストライクでしたね。
渡辺さんという「遊ぼうとしている人」を、
どうやって遊びましょうか、と言ってくれる監督でないと、
ぐずぐずになっちゃうでしょうから。
堤さんのように、ポケットのなかから、
無数の手品のタネやら、本やら、玩具やらを取りだす人なら、
いっしょに迷い道にでも、袋小路にでも、
入りこんで行けますものね。
考え方の「ボキャブラリー」が豊富な方だからこそ、
「その先が見たくなる」という欲望を共有できたのでしょうね。
うらやましいくらいの仕事の現場です。
あ、そういえば、監督の後で樋口可南子さんのインタビューも
やったのですが、彼女は、
「現場のみんなの視線が高かった」つまり、
「志」がいつも感じられていたので、
うれしかったと言っていました。
堤さんとは、言われて気づいたのですが、
自分との大きな共通点が、いくつかありました。
うーん。具体的に言うのはかえってむつかしいのですが、
セリフにして言うなら、たぶんなのですが、
「ほんとうみたいなウソをつくなら、
ウソのようなウソをつきたいんだ」
というような気持ちかなぁ。
でも、そのセリフのさらに先には、
「ほんとうのことが言えるものなら、
大きな声で言ってみたいさ」
という、発せられないセリフがあるのだと思います。
(あ、そりゃ「明日の記憶」みたいですね)
ご想像の通り、監督との時間は、おもしろかったです。
あえて、少しだけ先輩ぶるならば、
林家三平さんのように
「からだだけは大事にしえくださいね」と言いたかったかな。
なぜか、堤さんとお別れしてから、すぐに
シモーヌ・ベイユの本を買いました。
彼のことが、そんなふうに見えたのだと思います。
音楽の選曲について、堤さんも楽しそうに、
渡辺さんと同じことを語っていましたよ。
ぼくは映画を観ながら
「この湿り気のあるロックは、誰が選んだんだろう」と
おもしろがっていました。
砂漠のようすは、見えませんが、
どうぞ、気を付けて。
ぼくは、今日、仕事をさぼって犬と多摩川に行きました。
風が強くて、いつもピンと立っているうちの犬の耳が、
ふつうのジャックラッセルテリアのように、
垂れ耳になったりしていました。 |