2006年5月4日、ゴールデンウィークのまんなかに、
1100名のお客さまをお招きした
『明日の記憶』ほぼ日スペシャル試写会が
東京・有楽町で行なわれました。



このゴールデンウィークのさなかに
集まっていただいた
満員のお客さま、ありがとうございました。

まずは『明日の記憶』試写会、
つづいて渡辺謙さんと糸井重里のトークライブを
行ないました。

これまでメールのやりとりを重ねてきた
渡辺謙さんと糸井重里は、
このトークライブで、ステージの上で、
はじめて会うことになりました。
ふたりはベンチで隣り合い、
メール交換のつづきのように、話をはじめました。
そのときのようすを、どうぞ。



渡辺 糸井さんには、映画をとおして、
ぼくや監督や可南ちゃんが考えていたことを
すごく、きちんと
受け止めていただいたと思います。
そのことを、ただ会って、
「こうでしたね」と言うだけじゃなくて、
まったく「気持ち」だけで話してみよう、
というふうに思っていただいてはじまった
メール交換だったのではないかな、と思います。
正直言って自分でも、
「はじまして」というメールから、
あんなに深いことを書いてしまうとは‥‥。
糸井 (笑)お互いに、ですね。
渡辺 おかしいですよね?
あとで読み返しても
なんでこんなこと書いてしまったんだろう、
というくらい、
ものすごく正直になれちゃった気がします。
糸井 渡辺さんも、ぼくもそうですが、
表現にかかわっている人間って、
根本的には恥ずかしがり屋さんが多いです。
「ここまで出すかわりに、ここからは見せない」
というバランスをとっているところも
あると思うんです。
渡辺 はい。
糸井 だけど、この映画を見たあとでは、
なぜか、それができなかった。
渡辺 はい。ぼくもね、
はだかで突進してくる渡辺謙、
という言葉が
「ほぼ日」のページで
出てくるくらいになってた(笑)。
字面で見ると、「はだかで?!」と、
ありゃあ、びっくりしました。
糸井 ほんとに「はだか」の人でしたよ。
今日もね、ここで何を話せばいいかな、と
一旦は考えようとしたんですが、
「ほぼ日」を見てくれていて
渡辺さんとのやりとりも
知ってくれている人たちに話すんだから、
通りいっぺんのことはやめて、
今日、ふたりで話したいことを
話そうと思ったんです。
渡辺 はい。
ある意味、メールのつづきですね。
糸井 はい。よろしくお願いします。
渡辺 はい(笑)。
糸井 この『明日の記憶』を観たのは、
ぼくは今日で3回目です。
特に今回は、この映画から
「言葉以前のもの」について感じました。

ぼくたちが歴史を学ぶときには、どうしても
言葉にして残されたものをなぞりますが、
言葉になったこと以外に、
いろんなことがあったんだろうと思うんです。
自分の手で火をおこしていた祖先たちは、
さまざまなコミュニケーションをとって
暮らしていたでしょうし、
ぼくらも、言葉で残せなかった部分を
ずっと抱えて生きています。
今日は改めて、この映画に込められた、
役者さんがつくっている「言葉以前のもの」の
分量を感じました。
渡辺 役者はいろんな時代の
いろんなシチュエーションで生きている人間たちを、
まざまざと、そこで生きているかのように、
演じようと努めるわけです。

演じることのベースには、言葉があり、状況があります。
結局のところ、人が書いた人生なんですが、
どうしても「我がこと」のように
受け取らざるを得ません。
ベースは言葉でつくられたものなんですが、
それを、役者は「いかに生きるか」に
集約してしまうところがあります。
糸井 つまり、肉をつくらなきゃいけないわけですから、
役者さんは、自分の持っている肉も
差し出さなきゃ、できないですね。
そういえば渡辺さんは、この映画の最初から最後までに
8キロお痩せになったそうですね。
渡辺 ええ。
例えば映画だと、スクリーンは平面です。
そこには、匂いとか温度のようなものを
映すことはできません。
ぼくたちが肉を使って表現したものは、
平面でしか映らない。
だから、その平面のなかで
立体がどのように映っていくかを考えて、
デフォルメしたりします。
糸井 逆算するわけだ。
渡辺 そうせざるを得ないです。
肉を提供する前に、
肉の分類をしているんですね。
実際は、監督に相談して体をつくっていきますが、
認知症は出歩く機会が減ることが多いですから、
ほんとうだったら、ぼくは今回、
太らなければいけなかったかもしれないです。
でも、この主人公が抱えてくものや、
何かがそぎ落とされていく、ということを表現するには
痩せたほうがいいと、
堤監督と相談して、その道を選びました。
糸井 なるほど。
渡辺 それに、この映画は、ぼくにとって
とても不思議な仕事でした。
俳優は、記憶の仕事なんです。
台詞を憶え、動きを憶え、
役がもっているシチュエーションを憶え、
歴史を憶え、
ライトの位置もカメラの位置も憶えます。
でも、これは記憶を失っていく話ですので、
今回はそこに「記憶を消す」というメモリを
足さなくてはなりませんでした。

さまざまなことを憶えても、
いったんフィルムがまわって
その人生を生きようとするときには、
憶えたことをすべて視野の外に出すようにしています。
その人は、自分の人生を演じているわけじゃないし、
その場でその人を紡いでいかないと、
そこにいるようには見えないから。
糸井 そこに今回は、記憶を失う、という要素を
入れなきゃいけなかったわけですね。
渡辺 しかも、いちばん前にね。
だからよけい、混乱しちゃいましたよ。

役について思うことはあっても
いま目の前で起ころうとしていることに集約すると、
机上でいろいろ考えていた自分を、
「役」が完全に
超えていく瞬間があります。
この映画でも、そういうことが、何回かありました。

自分が前に出て考えて、そして引いてみる、
こんなことを最初は意識的にやっていました。
そしてさらに、記憶を失うメモリを足していく。
この役では、結局、そんなことは
もうおっつかなくなっていきました。

(つづきます)


映画『明日の記憶』は、
明日2006年5月13日(土)より公開されます。
上映劇場などは、公式サイトでご確認ください。



映画をごらんになったみなさんの感想をご紹介します。


「一見重いようなテーマなのですが、
 堤監督らしさが、
 映画のなかに感じられて
 とてもよかったと思います。
 ユーモアがあって、でも、
 それだけに、
 しみじみぐっときました」




いい映画を観たあと、
「あぁ、よかったな」と思うことは多いけれど
1日経って、2日経っても、
色々なシーンを鮮明に思い出して
胸にぐーっとくるんです。
なんだか、ものすごく、残ってます。心に。
映画を見た後、夫はぼそっと
「(佐伯夫婦の歳まで)ちょうどあと10年だよね、僕たち」と
言いました。
彼の中にも、きっといろいろと残っているんだと思います。
特にご夫婦は、ぜひふたりで一緒に観てほしいです。
昨日よりも、少しだけ、互いに優しくなれると思います。
(名前の説明はいつも「裕次郎のゆう」)

2006-05-12-FRI



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