渡辺 |
糸井さんには、映画をとおして、
ぼくや監督や可南ちゃんが考えていたことを
すごく、きちんと
受け止めていただいたと思います。
そのことを、ただ会って、
「こうでしたね」と言うだけじゃなくて、
まったく「気持ち」だけで話してみよう、
というふうに思っていただいてはじまった
メール交換だったのではないかな、と思います。
正直言って自分でも、
「はじまして」というメールから、
あんなに深いことを書いてしまうとは‥‥。 |
糸井 |
(笑)お互いに、ですね。 |
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渡辺 |
おかしいですよね?
あとで読み返しても
なんでこんなこと書いてしまったんだろう、
というくらい、
ものすごく正直になれちゃった気がします。 |
糸井 |
渡辺さんも、ぼくもそうですが、
表現にかかわっている人間って、
根本的には恥ずかしがり屋さんが多いです。
「ここまで出すかわりに、ここからは見せない」
というバランスをとっているところも
あると思うんです。 |
渡辺 |
はい。 |
糸井 |
だけど、この映画を見たあとでは、
なぜか、それができなかった。 |
渡辺 |
はい。ぼくもね、
はだかで突進してくる渡辺謙、
という言葉が
「ほぼ日」のページで
出てくるくらいになってた(笑)。
字面で見ると、「はだかで?!」と、
ありゃあ、びっくりしました。 |
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糸井 |
ほんとに「はだか」の人でしたよ。
今日もね、ここで何を話せばいいかな、と
一旦は考えようとしたんですが、
「ほぼ日」を見てくれていて
渡辺さんとのやりとりも
知ってくれている人たちに話すんだから、
通りいっぺんのことはやめて、
今日、ふたりで話したいことを
話そうと思ったんです。 |
渡辺 |
はい。
ある意味、メールのつづきですね。 |
糸井 |
はい。よろしくお願いします。 |
渡辺 |
はい(笑)。 |
糸井 |
この『明日の記憶』を観たのは、
ぼくは今日で3回目です。
特に今回は、この映画から
「言葉以前のもの」について感じました。
ぼくたちが歴史を学ぶときには、どうしても
言葉にして残されたものをなぞりますが、
言葉になったこと以外に、
いろんなことがあったんだろうと思うんです。
自分の手で火をおこしていた祖先たちは、
さまざまなコミュニケーションをとって
暮らしていたでしょうし、
ぼくらも、言葉で残せなかった部分を
ずっと抱えて生きています。
今日は改めて、この映画に込められた、
役者さんがつくっている「言葉以前のもの」の
分量を感じました。 |
渡辺 |
役者はいろんな時代の
いろんなシチュエーションで生きている人間たちを、
まざまざと、そこで生きているかのように、
演じようと努めるわけです。
演じることのベースには、言葉があり、状況があります。
結局のところ、人が書いた人生なんですが、
どうしても「我がこと」のように
受け取らざるを得ません。
ベースは言葉でつくられたものなんですが、
それを、役者は「いかに生きるか」に
集約してしまうところがあります。 |
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糸井 |
つまり、肉をつくらなきゃいけないわけですから、
役者さんは、自分の持っている肉も
差し出さなきゃ、できないですね。
そういえば渡辺さんは、この映画の最初から最後までに
8キロお痩せになったそうですね。 |
渡辺 |
ええ。
例えば映画だと、スクリーンは平面です。
そこには、匂いとか温度のようなものを
映すことはできません。
ぼくたちが肉を使って表現したものは、
平面でしか映らない。
だから、その平面のなかで
立体がどのように映っていくかを考えて、
デフォルメしたりします。 |
糸井 |
逆算するわけだ。 |
渡辺 |
そうせざるを得ないです。
肉を提供する前に、
肉の分類をしているんですね。
実際は、監督に相談して体をつくっていきますが、
認知症は出歩く機会が減ることが多いですから、
ほんとうだったら、ぼくは今回、
太らなければいけなかったかもしれないです。
でも、この主人公が抱えてくものや、
何かがそぎ落とされていく、ということを表現するには
痩せたほうがいいと、
堤監督と相談して、その道を選びました。 |
糸井 |
なるほど。 |
渡辺 |
それに、この映画は、ぼくにとって
とても不思議な仕事でした。
俳優は、記憶の仕事なんです。
台詞を憶え、動きを憶え、
役がもっているシチュエーションを憶え、
歴史を憶え、
ライトの位置もカメラの位置も憶えます。
でも、これは記憶を失っていく話ですので、
今回はそこに「記憶を消す」というメモリを
足さなくてはなりませんでした。
さまざまなことを憶えても、
いったんフィルムがまわって
その人生を生きようとするときには、
憶えたことをすべて視野の外に出すようにしています。
その人は、自分の人生を演じているわけじゃないし、
その場でその人を紡いでいかないと、
そこにいるようには見えないから。 |
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糸井 |
そこに今回は、記憶を失う、という要素を
入れなきゃいけなかったわけですね。 |
渡辺 |
しかも、いちばん前にね。
だからよけい、混乱しちゃいましたよ。
役について思うことはあっても
いま目の前で起ころうとしていることに集約すると、
机上でいろいろ考えていた自分を、
「役」が完全に
超えていく瞬間があります。
この映画でも、そういうことが、何回かありました。
自分が前に出て考えて、そして引いてみる、
こんなことを最初は意識的にやっていました。
そしてさらに、記憶を失うメモリを足していく。
この役では、結局、そんなことは
もうおっつかなくなっていきました。
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(つづきます)
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