我ら、バリへ行く。
6月16日 風景を受けとめています
(木村)




バリ島ですばらしい光景を目の当たりにするたびに、
「無理に言葉にしない方がいいよなぁ」と思います。

その理由は、昨日からはじまった
新連載「保坂和志さんの経験論」のインタビューで、
わたし「ほぼ日」木村俊介がうかがった話に
由来しているのです。将来に掲載する予定の内容を、
すこし長めになりますが、ここで紹介いたしますね。

●「人に小説を勧める時は
  『こんな話だったよ』と言いがちです。
  『こんな話だったよ』と伝えることで、
  勧める側も、まるでその小説の内容を
  理解したとかきちんと記憶できたとか
  思いがちなんだけど……
  そこで伝えられるのは、
  小説の中でも論理的な部分だけなんです。
  『論理的』というのは
  それだけで純度を高めてしまうんです。
 
  言葉の中でもいちばん伝わりやすいのは
  論理的なものですが、
  論理的な言葉が伝えられるものは、
  論理という『ひとつの狭い範囲の使い方』の
  外を出ることができません。
  だけど論理的ではない言葉の方が
  世の中にはやまほどあって……
  たとえば、ひとりの人がしゃべることを聞いて
  説得された理由にしても、論理的な要素よりは、
  単にその人が好きだったとかいうことが多いです。
  
  論理的な文章は、
  たしかにその現場にいない人にも
  伝えることのできる言葉の使用法です。
  だからたとえば人の話に感心した時も、
  知らず知らず論理的な説明をしがちですよね。
  単にその人のことを好きだったから
  説得されただけなのに、
  現場ではないところでそれをしゃべる時には、
  まるで論理的に説得されたかのように説明する……
  言葉って、そう使われがちなんです。
  『現場でやりとりがされている言葉』と
  『人に伝えるための事後報告の言葉』というのは、
  まるで意味がちがうわけです。
  
  小説というのは現場の言葉ですが、
  書評も含めて、人におもしろかったと伝える言葉は、
  すべて事後報告の言葉になってしまうわけですよね。
  だから『事後報告の論理的な言葉』で
  小説が流通しがちだけど、
  その言葉ではないおもしろさをわかる人が
  ひとりでも増えたら、
  小説はきっともっとおもしろく読めます。
  『論理性を超えた現場の言葉』という、
  いちばん広がりのある言葉の使用法を
  拡大できるのが小説の言葉なんだと思うのです」

風景を「空間自体が伝わるような文章」で
書こうとしている作家の保坂和志さんのこの肉声は、
小説ではないものにも、通じるような気がしますし、
「風景や経験など『形のないもの』のおもしろさは、
 そのまま受けとる方が、小賢しく解釈するよりも、
 ちゃんと理解できるし、たのしさが広がるものだ」
と思わせるものがありました。

「ほぼ日スタッフ」は、毎日あれこれバリを巡って、
それぞれが、いろいろなことを感じている最中です。

日程の中間の日にあたる今日は、
「事後報告の枠におさまらずに、
 伝えるのには時間がかかってしまうような、
 そういう体験があったらいいよなぁ」
とひとりのスタッフが感じているということを、
日報で、いつもより少し大きめの画像を交えて、
淡々と、お伝えできたらいいなぁと思いました。

「ほぼ日スタッフ」一行は、
アマヌサでの二泊を終えて、
アマンダリで泊まりはじめたところです。
今日はロードムービーのように、
相当な距離をクルマで移動しました。

アマングループのすばらしさについては、
随所で実感するのですけれども、
わかりやすく説明してはいけないような気がして、
ここではあえて事後報告でお伝えせずに、
今日の朝の、アマヌサでの写真を送ることにします。



木村はこういう早朝に、
メルマガ「ほぼ日デリバリー版」読者への
「ふつうのおたより」のお返事を書いたり、
将来の新企画をあれこれまとめているところなんです。
旅行中に作った企画をお見せできるのがたのしみです。

二枚の写真は、
わたくし「ほぼ日」の木村と同い年の(二十八歳)
「ほぼ日」スタッフの山口靖雄さんが撮ったものです。
明日の日報担当は、元気な乗組員「りかさん」ですよ!

2005-06-16-THU

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