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── |
これは、意外なチョイスですね。 |
磯野 |
そうかもしれません。 |
── |
だって昔の小説ですよね、この本? |
磯野 |
ええ、サマセット・モームという人が書いた
空前のベストセラー。
のちに、映画化もされた古典的作品ですね。 |
── |
一見して「はたらく」とは
あんまり関係ないような気がしますけど‥‥。 |
磯野 |
書店員という仕事をやっていると、
「いままで、
いちばん感動した本は何ですか?」って
よく、質問されるんです。
そのとき、
いつも紹介しているのが、この本で。 |
── |
ほう。 |
磯野 |
本が好きで書店員になったわけですから、
本を読んで感動したり、
「ああ、よかったな」って思ったことは
もちろん、何度もあるんです。
でも‥‥なんというか「鳥肌が立った」のは、
この作品を読んだとき、ただ一度だけでした。 |
── |
へぇー‥‥本を読んで鳥肌が立つなんて、
めったにないことですよね。 |
磯野 |
南太平洋のタヒチ島で絵を描き続けたこととか
ゴッホとの共同生活なんかで有名な
フランス印象派の画家、
ゴーギャンをモデルにしたストーリーなんです。
絵描きである主人公が、
家族、友人、お金‥‥などなどのうち、
何をたいせつにして生きていくのか、というお話で。 |
── |
何をたいせつに、ですか。 |
磯野 |
そう、『はたらきたい。』のテーマと重なるでしょう?
だから、この本を選んだんですよ。
物語のなかで、主人公は、
「やっぱり、絵を描いて生きていこう」と決めて、
友人や、お金や、自分の家族まで捨てて、
絵を描くということに、のめり込んでいくんです。
その生きかたには
賛否両論あるとは思いますけれど、
僕には到底できないことですし、
なんだか、すごくこころを揺さぶられて‥‥。
この本との出会いがなかったから、
いま書店員をやってないかもしれないってくらい。 |
── |
うわ、それは、すごい1冊ですね!
磯野さんの人生を決めたといっても
過言ではないというか‥‥。 |
磯野 |
でも、『はたらきたい。』が
そういう本になるって人、いると思うんです。 |
── |
ああ、そうかもしれないですね。 |
磯野 |
『はたらきたい。』を読んだ人のなかに、
僕が『月と六ペンス』を読んだときの
「揺さぶられかた」と
同じような感覚を経験する人って、いると思うんですよ。 |
── |
ははあ、なるほどー。だから横に。 |
磯野 |
そう、ならべたいと思ったんです。
このふたつの本は、ジャンルこそ違えど、
読後感というか‥‥
本から醸し出されるものが、よく似てる。
実際にお店でも、ならべていましたし。 |
── |
なるほど‥‥そうですか。
こんど、読んでみたいと思います。 |
磯野 |
ええ、ぜひ。おもしろいですよ。 |
── |
それじゃあ、今、書店員さんとして
はたらいてらっしゃるわけですけれど、
磯野さんご自身が
「たいせつにしていること」って
なにか言葉になってますか? |
磯野 |
ああ‥‥そのことについては
『はたらきたい。』を読み進めながら、
ずっと考えていたんですけど‥‥。 |
── |
なんだか、わかりました? |
磯野 |
どんな仕事も同じだと思うんですけど、
自分ひとりだけのちからでできることって
たかが知れてると思うんですね。
われわれ本屋という仕事についていうと、
「アルバイトさんのちから」が、
ものすごく大きいんです。 |
── |
アルバイトさんのちから、ですか。
なんというか、それって、
なかなか言えない言葉だと思うんですけど。 |
磯野 |
アルバイトさんのちから、すごいです。
それは「チームでやる仕事のすごさ」とも
表現できると思うんですけど。 |
── |
ああ、なるほど。
すごさとは、つまり「おもしろさ」とも
言えるものですよね。 |
磯野 |
そう、そう、アルバイトさんのおかげで、
おもしろいって思える。
このルミネ横浜店の場合ですと、
店長を入れて、社員が10人前後いるんです。
それにたいして、
アルバイトさんの数は50人から60人。 |
── |
そんなにいらっしゃる。 |
磯野 |
アルバイトのみんなと仕事をしていると、
彼がいなきゃ
できなかったよなぁってこととか、
彼女の工夫で、
店がよくなったなぁってことが、
日々、骨身に染みて実感できるんですよ。
この人たちとはたらけて、
よかったなぁって、思えるというかね。 |
── |
へぇ‥‥。 |
磯野 |
で、そのアルバイトさんたちに、
気持ちよく、楽しくはたらいてもらうために、
みんなを束ねる立場にいる自分は、
何をたいせつにしなければならないか‥‥。
そう考えたとき、
自分の場合は「想像力」と「実行力」だな、と。 |
── |
具体的にいうと? |
磯野 |
たとえば、あのアルバイトさん、
もしかして、体調が悪いんじゃないかとか、
逆に、今日は絶好調みたいだぞってことを、
つねに気にかけて、
必要がありそうなら、ちょっと話しかけてあげたり‥‥
それが、想像力ということなんです。 |
── |
なるほど。 |
磯野 |
そして、実行力というのは、
何か、問題がありそうなときに、
それを先送りにせず、
そのつど解決策を話し合って改善するということ。
それは、自分のためじゃなくて、
まず、いっしょにはたらいてる人たちにとって
たいせつなことでもある気がして。 |
── |
それって結局のところ、
お客さんのためにもいいことですよね。 |
磯野 |
そこに繋がっていったら、うれしいですね。
お店のスタッフには
すこしでも楽しくはたらいてほしいですし、
みんながイキイキとしているほうが、
結果的に、お店の雰囲気もよくなりますから。 |
── |
今、磯野さんがはたらいていて
うれしいのって、どんなときですか? |
磯野 |
書店員になりたてのころは、
自分の担当の棚から本が売れていくことが、
それこそもう、
一冊一冊、うれしかったんですよ。 |
── |
書店員さんとお話しすると、
みなさん、かならず、そういいますよね。
本が売れるのがうれしいんですって。 |
磯野 |
本が好きで本屋になったんであれば、
当然のことだと思います。
でも今は、いっしょにはたらいている
アルバイトさんが、
自分の想像力をはたらかせて、
教えなかったことを、やってくれたときとか。 |
── |
やっぱり、仲間のことなんですね。 |
磯野 |
僕が気づかなかったことに
気づいてくれたりしたときのほうが
ぜんぜん、うれしくなりました。 |
── |
ははぁ。 |
磯野 |
しかも、期待に応えてくれるだけでなく、
僕の予想をうわまわる日さえ、あるんです。
そういうときはね、
本当に、涙が出るぐらいうれしいんですよ! |
── |
そんなに! |
磯野 |
自分、なんだか、熱くるしいですかね‥‥。 |
── |
いやいや、ぜんぜんそんなことないです。 |
磯野 |
ヘンなこと言ってないですかね‥‥自分。 |
── |
むしろ楽しそうで、うらやましいですよ。 |
磯野 |
よかった(笑)。
プロとして仕事をしてるわけですから、
当然、きびしい面もありますし、
つらいことや泣きたくなるようなことも
ありますけれど、
本屋という仕事はやっぱり、楽しいですね。 |
── |
磯野さんを見てたら、わかります。 |
磯野 |
ああ、そうそう、
『はたらきたい。』を読んで、
わかったことが、もうひとつありまして。 |
── |
それは? |
磯野 |
うまくいかないことや、
なんだかんだと不満はあったとしても‥‥。
それでもやっぱり、
ぼくは「本屋ではたらきたい」んだなぁってこと。 |
── |
仲間と。 |
磯野 |
そう、そのことがね、あらためてわかったんです。
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