誰も寝てはならぬ
サラ・イネス
   ‥‥ほか


── うわ、たくさん持ってきていただいて。
しかも‥‥ひとつはマンガ?
あはははは、すみません。
── これがぜんぶ『はたらきたい。』のとなりに
並べたい本なんですか?
ええ、そのつもりで。
── なるほど‥‥それじゃあともかく、
一冊づつ、うかがっていきましょうか。
じゃあ、まずは
アンソニー・ボーデインという料理人が書いた
『キッチン・コンフィデンシャル』。
── あ、この本、以前2丁目のジョージさんが
丸の内でおススメしていました。
えー、どんな内容の本なんですか?
はい、レストランのシェフという仕事は
体力的にキツいし、
お金の勘定もやらなければならないので、
タイヘンなんですよ、と。
── はぁ。
このかた、ディスカバリーチャンネルで
「アンソニー世界を喰らう」なんて番組も持ってる
有名レストランのシェフなんです。
── 通称「美食のインディ・ジョーンズ」と、紹介文に。
シェフという仕事って、朝も仕込みで早ければ
夜も遅くまではたらいていて、
仕入れや売り上げの計算なんかも
ぜんぶできるようにならなきゃダメだし‥‥と、
すごくタイヘンだそうなんです。

そのあたりの、客席からはなかなか見えない
レストランの舞台裏を、
おもしろおかしく書いてあるのが、この本で。
── まさに「台所の事情」ってわけですか。
厨房のなかでは、すごく動きが激しくて、
人と人とがぶつかりあうし、
ヤケドもするし‥‥って話からはじまって、
長時間労働時間でヘトヘトになってるようすまで、
描写がかなりリアルで、具体的。
── 「なぜ、月曜に魚料理を食べてはいけないか」
「ムール貝の恐怖とは?」‥‥へぇ、おもしろそう。
そう、料理人の世界の小ばなしとか
ちょっとブラックなユーモアも載っていて。

つまり、シェフという職業に限っていえば、
どんな就職ガイドブックよりも
「いったいどんなことをやってんの、毎日?」
ということが、よくわかると思うんです。
── ははあ、なるほど‥‥じゃ、そちらのマンガは?
とあるデザイン会社の日常のひとコマを
エッセイ風に描きつづってる作品です。
── 『誰も寝てはならぬ』。
はい。
── そうか、誰も寝てはならぬ‥‥ってタイトルは、
世の「デザイン会社」にたいして
典型的に抱かれてるイメージそのままですよね。
そうです。だからストーリーじたいも、
そのデザイン会社の日常とか「ふつうの日」が、
淡々と描かれていく内容なんです。
── それって‥‥おもしろいんですか?
それがですね、読んでると、あの会社の人たち、
みんな楽しそうにはたらいてて、いいなあって(笑)。
自分たちのいる場所を、愛せてる感じで。
── たとえば、デザイナーになりたい人が読んだら
仕事してるイメージが描けたり‥‥とか?
いまって、雑誌とかを見ると、
有名デザイナーさんのキレイなオフィスが
出てたりするじゃないですか。
── チリひとつ落ちてなさそうな。
でも、そういうオフィスばかりじゃないでしょう、
実際は。
── むしろ「それ以外」が大半でしょうね。
しめきり前で徹夜が続いたときには
ソファかなんかで寝てたりするわけじゃないですか。
デザイン会社の人って。
── そうかもしれません(笑)。
そういう意味では、
この『誰も寝てはならぬ』の世界のほうが、
よほど現実味があると思います‥‥マンガですけど(笑)。
── たしかに、はたらくまえにはわかりませんよね‥‥。
雑誌で見るほどおしゃれじゃないし、
たぶん、かっこいいことばかりでもないってことは。
ちょっとホッとする感じじゃないですか?
── つまり、林さんから見ると、
これらの本って、
ひとつの「仕事論」として読めるってことですか?
と思うんです。
── なるほど。
わたし、いろんなの職業の人が
具体的にはどんなことやってるのかってことに、
すごく興味があるんです。
── それって、就職活動を控えた学生さんが、
すごく知りたいことでもありますよね。
でも、たとえば1日体験入社したくらいじゃ、
わからないでしょう、仕事って。
── 本腰入れてインターンでもやらないかぎり。
かといって、就職のガイドブックを読んでも、
一般的なことばかりで、具体的に書いてない。
── 「朝出社して、
 いちばんはじめにやることは何か」とか、
書いてないですもんね。
だから、ぜんぜん一般的じゃないんだけど、
ひとつのケースを
具体的に知れる本のほうがおもしろいだろうし、
役にも立つんじゃないかと。
── ははぁ、なるほど。
で、『はたらきたい。』もそういう本だと思って。
── ほう‥‥そうですか。
だって、
まず登場してくる人たちの肩書きがバラバラ。

共通しているのは
「何を大切にしているか」という大きなテーマだけで、
公式化することのできない、
「それぞれの就職論」の束になってますよね。
── 人材紹介業の社長からキャリア論の研究者、
お笑い芸人、ミュージシャン、
元サラリーマンの漫画家、元看守の漫画家‥‥
そして「矢沢永吉」ですからね。
でも、それぞれ一流のプロの具体論ですから、
読んでいて楽しいし、
一般化や公式は手に入らないけど、
はたらくことについてのエッセンスが
詰まってますよね。
── なるほど。
この他に持ってきた本も、おんなじなんです。

1冊は、ポール・オースターという作家の
『トゥルー・ストーリーズ』ですけど‥‥。
── はい。
エッセイというか雑文集なので、
そのときどきの作家としての暮らしぶりを中心に
書かれているんですけど、
頻出するテーマのひとつが「金策」だったりして。
── へえ、お金にこまったぞ‥‥と?
そう、今月の原稿料はいくらいくらで、
何を食べにいって、何を買いにいって‥‥とか。
── つまり、決して作家という職業のすべてを
語ってるわけじゃないんだけど、
すくなくとも、
「正解のなかのひとつ」が書いてあるんですね。
だから、就職のコーナーに置かれてる本よりも、
「こっちのほうが参考になるかもよ?」って本を
いくつかならべてみたって感じです、今日は。
── それってつまり、人によっては、
まったく純粋な小説でも
「就職の本」になり得るということですね。
うん。マンガでもね。
── なるほど‥‥今日は、ありがとうございました。
あとですね、最後にもう一冊、
この鴨居羊子さんて人の本がおもしろくて‥‥。
── えーと、
『私は驢馬に乗って下着を売りにいきたい』。
もともと新聞記者だった人なんですけど、
下着メーカーをたったひとりで立ち上げた人で。
── 鴨居羊子さん。
終戦直後、「下着といえばズロース」の時代に、
スリップやらガーターベルトやら
セクシーで美しい下着を自らデザインして
世に送り出していた人なんです。
── へぇ、「スキャンティの命名者」とあります。
いま、女性の「はたらきかた」が
クローズアップされてきてますけれど、
ひとりの先駆者として
こんなかたがいらっしゃったんですよ、というね。
── ピーチ・ジョンの野口美佳さんより、
ずーっとむかしに。
そうそう、ですからついでに紹介(笑)。
── ありがとうございました(笑)。



065
仕事って、たぶん、
自分の居場所を好きになるところから
始まるんだと思うんです。
自分のいるところを
好きになる才能に恵まれた人は、
やっぱり、うまくいくんじゃないでしょうか。
逆に言えば、この場所を愛せないヤツは、
よそを愛することなんか
できないような気がするんです。
「自分の立ち位置を
 愛せなくってどうするの?」と。
重松清(作家)
『はたらきたい。』所収
 「100のことば」より抜粋(p172)

次回の更新は11月30日(日)となります。
紀伊國屋書店新宿本店の
吉野裕司さんにご登場いただきます。

2008-11-23-SUN



(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN