ほぼ日 |
斉須さん、こんにちは。
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斉須 |
こんにちは。
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ほぼ日 |
これが、斉須さんの
大事にされている本ですか?
『料理人と仕事』
(木沢武男著 モーリス・カンパニー刊)。
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斉須 |
ええ。
この本には、血液の言葉が詰まっています。
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ほぼ日 |
(笑)うお、血液?
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斉須 |
はい。
ですから、職業を超えてもあてはまる言葉が、
いっぱい見つかると思いますよ。
いまの時代背景から見たら、
希有な本だと思います。
よくぞこのような本を、
この方は、残してくださった。
この本できちんと描かれているのは、
料理の方法やお店の収益よりも
かなりメンタルなところなのですが、
そういうものこそが、
未来にいろいろなものを生むと思います。
こういう本のような栄養を、
料理人はどんどん補給しないと
ダメではないかと思っています。
・・・言葉が、ぼくの食料なんです。
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ほぼ日 |
「言葉がぼくの食料」って、すごいですね。
どういう意味で、食料なのですか?
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斉須 |
このような本を読むと、元気になるでしょう?
ぼくは、そんな「言葉の栄養」を、
次にお皿の上に還元するのです。
文字で得た気持ちを料理に変えるわけですが、
こういう本はとりわけ値千金です。
多くの言葉を、そうやって食べていきたいですね。
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ほぼ日 |
ただ読んで感動するのではなく、
その感動を、具体的に料理になさるんですか?
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斉須 |
若い頃のぼくは、
料理人としてずっとやってきて、
密室で生まれ育ったようなものでした。
つまり、厨房以外の外界のことを知らなかったし、
また、知りたいという興味もなかったのです。
ただ、いまこうして
チームを率いる立場になってきて、
いろいろな別の職業の人たちに対して、
「このかたは、なんでこうなられたのだろう?」
そう、知りたいと思うようになりました。
本は、いちばん身近なものでありながら、
なおかつ誰にも迷惑をかけずに
人のなされたことを勉強できるものです。
そういうふうに、
読む楽しさをこのごろわかるようになりまして。
むさぼり読むというわけではないのです。
値千金の言葉だと思うと、
それを何回も何回も反芻して、
それを実践するようにしています。
実践というのは、
その言葉で料理を作るということです。
知ったら行わなきゃ、自分で体得はできないので、
知行合一で、知ることと行うことを
直結させてやるようにしています。
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ほぼ日 |
なるほど。
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斉須 |
たとえば、ぼくは、
現地でフランス語を身につけるのにも、
8年ぐらいかかったのですが、
とにかく、表層だけを知るぐらいなら、
何も知りたくないという気持ちでした。
フランスに行く人はみんな、
表層だけをわかって、わかったふうに
錯覚してしまいがちなのですが、
深海には、もっと養分の濃いものが
蓄積しているんです。
・・・ぼくは、
そこまで至らなくてはいけないと思いました。
ぼくはいい子ではなかったから、
むしろフランス料理の表層のところは
すっ飛ばしていましたし、
使いっ走りで終わりたくなかったので、
中枢まで行きたいと狙っていましたね。
フランス滞在中は、いわゆる
「いい人」ではなかったと思います。
乱暴者と言ってもいいかもしれません。
フランス語に関しては、
最初は「ひとこと」が出ないがために
誤解されたまま、冷たい氷のような状態で
仕事をしなければならないことが、
たくさんありました。
ひとことで氷解することができなかった。
この本の著者の木沢さんは、
そういう悔しさとかを、よくわかっているんです。
だから、ぼくもこれを読んでいると、
だんだんと思い出して、熱くなってくる。
こんなにのぼりつめた人が、
料理の世界の出だしにいる人の心情を、
ここまでくみとってくれたことはないでしょう。
大御所と呼ばれる人たちが、
たくさんの料理の本を出していますが、
木沢さんのような言葉を吐いた人は、
ひとりとしていなかった。
この本は、ほんとうの意味で、てらいもない、
料理の世界で生きた人の言葉だと思います。
木沢さんは、きっと料理の世界で
たくさんの切ない思いを抱いたのでしょうが、
それを忘れなかったのでしょう。
人は、小さい頃には純粋な気持ちで
夢を描いてゆきますが、社会に出て、
さまざまな仕事の方法を知ることによって、
汚れてゆくものです。
しかし、木沢さんは、
その「子どもの純粋さ」を、
最後まで持っていたのだと思います。
それにしても、人生をゴールした時にも
最初の純粋でクリアな自分を
持ち続けている人が、なぜ少ないのでしょう、
と、いつも、感じていますけれども。
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ほぼ日 |
斉須さんは、料理人の姿勢として、
緊張感を重視されていますか?
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斉須 |
ええ。とても。
経済的にも、恵まれることは、
いいことばかりではないと考えています。
負荷を絶えず負っていないと、
「まあ、こんなものか」
というようになってしまうと思います。
その意味で、ハングリーな部分は、
絶対に必要だと考えているわけです。
若い人であっても、意識のブヨブヨした
いやらしいところを持っている人がいますから、
それを見かけ場合には、
ぼくは徹底的にやっつけますね。
年齢が若いから、とか、経験が少ないから、
ということで情けを持つ気はないのです。
技術的なことで間違った点を
きびしく言うことはありません。
こわそうと思って失敗する人はいないですから。
それは、問いません。
でも、誰が見ても
この人に手を貸したほうがいいところに
手を貸さなかった、教えてあげなかった、
そういうことを見過ごした人のことを、
ぼくは絶対に許しません。
手を貸すことはむずかしいことではないのに、
黙って見ていたわけですから。
もう、白日のもとにひきずり出して、
泣くまで言いますね(笑)。
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ほぼ日 |
(笑)うわぁ。泣くまで!
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斉須 |
親切だと思いますよ。
だからその人がどんなに泣いても、
「これは親切だ」と言います。
思いやりですよ。
本来ならば、お金をぼくに
払ったっていいような親切です。
笑って軽蔑して無言で済ますようなことを、
ぼくはしません。
自分のぶざまさを出して、
でかい声を出しているんですから。
思いやりだ、って言いますよ。
怒られている人より、怒る人のほうが悲しい。
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ほぼ日 |
ああー。
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