斉須 |
「若い時は
しつこい味をおいしいと感じるのですが、
年齢とともに淡い味もおいしいと思う・・・
それも熟練が至る最後の姿だ」
さきほど紹介した『料理人と仕事』という本に、
(木沢武男著 モーリス・カンパニー刊)
そういうことが書いてあるのですが、
まさにそうだと思います。
著者の木沢さんは、料理の方法論として
そう書いてくださっていますが、
彼はきっと、そのかたちで、生き方まで
教えてくれているのではないのでしょうか。
・・・つまり、
人生に近道はないということです。
まわり道をした人ほど多くのものを得て、
滋養を含んだ人間性にたどりつくんだな、
というのが、ぼくにとっての結論です。
技術者としても、人間としてもそうです。
若い時は、早くゴールをしたいと思う。
ぼくもそうでしたが、でも、違うんです。
「早くゴールをするな」と言いたいんです。
ゴールについては、
いい悪いが両輪ありまして、
成功を手にしたいというのが
人間として当然ありまして、しかし、
成功を手に入れたとたんに
厄介なものを抱えることも確かです。
しかし、成功を目指して
奮闘している時の自分は
すばらしいわけで・・・。
ゴールとスタートの表裏を持つ生き方を
学べるといいなあと思っています。
ゴールに至ったら最高ですけれども、
ただ、至ったあとにも、
スタートした時の気持ちも持っていてほしい。
多くの人は、ゴールは手にするけれども、
スタートは捨ててしまうから。
そうすると、別人になってしまうのです。
権威や権力で着膨れして、他人を蹴落として、
自分の権限を温存するということに、
なってしまうのだと思います。
人の道行きとしては、
50代ぐらいまで活躍して
だんだん朽ちてくるものです。
ただ、その間、権力を増して
生臭さだけを温存させていると、それは
チューブで延命させているのと同じでしょう。
ですから、若い人を伸ばしてあげるなり、
自分が降りるなりして、
わきまえないといけないなあと思っています。
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ほぼ日 |
ゴールをする時にも
スタートの気持ちを
同時に持っていてほしいという、
その「スタートの気持ち」とは、
斉須さんにとっては、どのようなものですか。
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斉須 |
底辺をはいずりまわっていた頃の自分です。
いま料理長になっている自分の日常にも、
気がつくと頭の中に
洗い場の頃の自分が出てきますよ。
「料理長だろうが何だろうが、
あんた、事務所でひっくりかえってるな。
掃除をしろ」
そう、自分に言い聞かせています。
「あんたがやらないで、
若い人がやるようになるか」
料理長が率先してやっているならば、
若い人だってやらないわけにはいかない。
そうあるべきだと思っているのです。
その逆に、料理長だからやらない、
となったら、どうなるか。
副料理長だからやらない、
その下だからやらない・・・。
ふざけるな、と思います。
料理の世界に入りたての頃、
多くの先輩がそうであったように、
ぼくは鍋洗いをしていました。
お店の中をはいずりまわっていた。
昔の日本の料理界には、
「底辺にいる人だけが雑用をやり、
あとのみんなは遊んでいる」
という伝統がありました。
でも、何で、遊んでいる人が、
手を貸さないの?
当時、底辺のぼくがそんなことを言ったら
袋だたきだったでしょう。
だから言えなかった。
でも、自分が料理長になったら、
そんなことはよそうとずっと思っていました。
自分できちんと雑用もやるからこそ、
力を宿すのだと思っていたから。
ぼくは、下の人を蹴落とすために
力を宿そうとは思わなかった。
若い人をひきあげてやれる自分になりたかった。
だから、ここでは、
手があいていたらやれ、ということです。
遊んでいるのか仕事をしているのか
わからないような職場は、最高ですね。
仕事が日常なわけですから、
毎日やっていても、お掃除でも何でも、
遊びとかわらず、習慣でできてしまう。
大掃除を毎日やっていたら、
それは大掃除ではなくなる・・・。
そんな気持ちでやってきました。
俺はラクをしたいから、
お前がこれをやれ、というから、
尻ぬぐいの人たちが大変なんです。
人をいじめたりして成り立つ職場は、
悲しいですからね。
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ほぼ日 |
料理長としてお店をスタートされますが、
やがて、斉須さんは、オーナーとして
経営をするようにも、なりました。
チームを率いることと、会社の経営と、
両方をやらなければいけないですよね?
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斉須 |
ええ。
生産者と経営者と消費者の意識を
把握しなければいけないです。
でも、非常にドンブリ勘定でやっていますね。
綿密に経営をしたことはないです。
遠い昔の日本人はそれで成り立っていた。
だからそれでやっていけるか、
その生き方でゴールまでいけるのか、
というのを、ためしてみたいと思っているんです。
この生き方を、声高にいいとか
薦めるつもりはありませんが、
自分で貫けるかどうかには興味があります。
料理人になって、よかったなあと
いまも思っていますし、経営としては
東京でこういうレストランをやっているという
非常に不安定な綱の上でバランスを取っている
事情もあるのですが、自分なりに渡りきって、
向こうの岸辺まで行けたらいいと思います。
ゴールにたどりつく時には、
好きなこととイヤなこととを背中合わせにして、
それと、ぼくの中での、ふつうの人のところと、
ふつうじゃない人との部分を噛みあわせて、
ぜんぶ飲み込んでいけたら
いいなあと思っています。
どちらか一方だけに偏ってしまえば、
レストランというのは維持できないですから。
コート・ドールというお店については、
東京都港区三田にあるレストランだという
消費者の意識を持ちながら、しかしそこの所を
あまり打って出過ぎないというのを
組みあわせてやっています。
その噛みあわせが、
いい結果を生んでいるのかもしれません。
あまり打って出ないドンブリ的な経営は、
非効率的なやりかたでしょうけれども、
いまの社会風潮の中では、
それこそがキーポイントではないでしょうか。
効率とか収益だけで
何もかもがおこなわれるなかで
「こいつは馬鹿か利口かわからない」
みたいなところでお店をやっているのは、
愉快でしょうがないんですね。
もし、最後までこれをできるのならば、
やってやれ、というのが実際の気持ちです。
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ほぼ日 |
料理人がお店を移ることについて
お話を伺えますでしょうか?
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斉須 |
ぼくの経験で言えば、
途上の頃にはたらいたところで
羽がはえて飛び方を覚えたら、
ちょっと、飛んでみようかとか、
あっちのほうに飛んでいきたいとか、
そう思う時が来たものでした。
その時に、
あまりにもお店に深入りしていると、
オーナーがぼくを離さないのです。
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ほぼ日 |
実際に、最初にフランスで
はたらかれたお店では、
斉須さんは、次のお店を、なかなか
紹介してもらえなかったのですよね。
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斉須 |
ええ。
結局、最後はケンカになってしまいました。
ぼくはそこで骨を埋めるつもりで
フランスに来たわけではなかったのです。
3つ星と呼ばれるところが
どんなところなのか、自分の力で
やれるものならやってみたいと思って
行ったものですから、3つ星に行きたかった。
フランス料理界は紹介の社会です。
コネクションが
ものすごく幅を聞かせているところですから、
次のお店に移る時には、
前のお店のオーナーが
料理人の紹介状を書くか書かないかで、
その後のレールの進み具合が、
ぜんぜん違います。
ぼくの場合には、
「ここに行きたいから、紹介状を書いてほしい」
と行ってから、半年待ちました。
フランスに行ってから4年。
そろそろという時期でした。
しかし、半年待っても書いてくれない。
そこでケンカをしてしまいましたが、
仕方がないのではないでしょうか。
しょうがない、と
手を抜いていては、何もできません。
できる限りをやっていれば、
そうなっても、無理はなかったのでしょう。
逆に、最初から次にどこに行こうかと
岸辺に足をのっけながらやっているようでは、
ほんとうに、しょうがないと思います。
「こいつは離したくないな」
と思われるまでやっても、
いいのではないでしょうか。
最初からあまり優秀だと、
出だしに叩かれてやられてしまうんです。
またあまりに愚鈍だと、
使い走り一辺倒で終わることになります。
そのTPОに応じて、
馬鹿と利口を使い分けていく・・・。
そういう感覚は、フランスに行かないと
わからなかったと思います。
頭でいろいろとわかっていたとしても
「こいつ、単なるお人よしだ」
と思われたら、もう
そのお店にいるあいだは終わりです。
そうなっては、得たいものも
得られなくなってしまうわけですね。
こいつは牙をむくかもしれないな、
という部分を相手にきちんと認知させないと、
こちらがグロッキーになるまでやられてしまう。
そのような部分は、
職業を通して吸収できた、
いい経験だと思っています。
日本のしめっぽいしがらみが
まったくなく、
「やるか、やられるか!」だけでした。
こいつにはもう余地がないなと思ったら、
無情にバサッと切り捨てるんです。
日本では必要悪と言いますか、
悪いと知っていながらも切れない風土が
生まれがちですが、むこうにはそういうのが
なくて、カラッとしていますね。
そんなカラッとしたところを、ぼくは
日本に帰って多用しているんですけど(笑)。
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ほぼ日 |
(笑)
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斉須 |
ぼくは本来、
非常に情が先行してしまう人間ですが、
人の情を逆手にとって
生きている人もいるわけで、
そこは、バッサリやらないといけないのです。
それは、仕事を通じて学んだことですね。
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