COOK
調理場という戦場。
コート・ドールの斉須さんの仕事論。

第4回 純粋なだけでは、力が宿りません。


ほぼ日 本を読んで感動すると、
「必ず具体的に皿に盛り込む」
とおっしゃっていましたよね?
それを聞いて、おもしろいなと思いました。
具体的に皿に盛り込まなければ、
それは本を読んでいないのとおなじだ、
ぐらいの勢いが、新鮮だったので。
斉須 やっぱり、実行しないと、
知ったことにならない
ですから。
実行して結果を見てはじめて
知りえたとぼくは思うので、
読んで「知った」ということはありません。
やってみなければ、わからない。

ぼくはいつも若い人に言うんです。
「・・・どうしたらこうなるのか、
 については、わからない。なんで
 そんなに早く結果を知りたがるの?
 自分で、やってみたらいいじゃないか」
まあ、当たり前のことですから、そこで
言われた当人もああそうだなと感じますが、
「聞けばわかる」というような
魔法にかかっている人は、とても多いですね。

「シェフに聞けば、何でもわかる」
「やらなくても、聞けば近道をできる」
・・・そんなことは、まったくない。
ぼくにだって、わからないんですよ。
やってみなければ誰も知ることができない。

でも、わからないからこそすばらしい、
とぼくは思うんです。
「また、実行したい」
という気持ちになれるから。

もちろん、若い人たちのセンスが
加味されて料理が別のものになる
過程も見ていますから、おもしろいです。
「あ、ここにもう一さじ加えれば
 もっとよくなるな」とわかりますから、
これはもう、いただきですよ。

「ここでこうしたことによって、
 こういう作用になるんだよ。
 ぼくが感じたことを付け加えたら、
 あなたの料理はこんなになるのだから、
 先々、またそういうあたらしいアイデアが
 出てくると思うよ」
と言います。
彼らがまだそういう立場にならないと
わからない言葉かもしれませんが、
先々、最前線に立った時に
きっとそういう経験も
フィードバックされるだろうと思います。

ほぼ日 言葉ではっきり言うのに加え、
うしろ姿やクセのようなものも、
ヒントになったり、するのでしょうか。
斉須 ええ。
だからこそ、効率を求めすぎたら
いけないのではないかと思うんです。
何が何だかわからないような、
「ないまぜ」のところを生きていくと、
いろいろな養分が身体について、

いいんじゃないでしょうか。

ぼくはそういう「ないまぜ」な生き方を
方法論として駆使して料理を作っています。

たとえば・・・。
色でも味でも、キレイでおいしいという
一辺倒ではないものを混ぜ込むことによって、
人の感情にうったえかけると思います。
・・・カボチャのスープを作るといっても、
カボチャじゃないものを入れることで
お客さんには、カボチャ以上に
なるんです。
カボチャをいくらたくさん入れても、
アスパラをどれだけたくさん入れても、
それだけでは、
カボチャやアスパラ以上にはならない。

そういうことは、
いいか悪いか右か左か、
それだけで生きてきた人にはわからないです。
真ん中でトロトロやってきた人が、
よく把握していると思います。

若い人たちは、
どちらか明確に何かを欲しがりますが、
それはあまり意味がないと思います。
どちらかわからないような不安な現場で
平常心ではない状態で作るからこそ、
何かをきっとわかるのではないでしょうか。
ほぼ日 追いつめられないと、わからないのですか。
斉須 決断の瞬間にしかわからないです。
事前に平常心を持って
悠々と判断をできるようなものはないです。
リングに上がったあとの、
もうやられるという寸前にしか、
わからないような気がしています。

すごい優柔不断だと思われるでしょうが、
でも、そういう誠実さであり、
真剣にやっているんですよ。
・・・まあ、あまり
誠実だとばかり言いたくはないですが。

理路整然とした人のほうが
いいひとだというのは、うそっぱちです。
現実に何かをしている最中には、
何がどうひっくりかえるか、
わからないんですから。

純粋なことだけ教えて、
すばらしい力を宿すかというと、
宿さない
んです。それと同じですよ。
いいことをできる人は、
悪いことだって、できます。
ほぼ日 その考えは、おもしろいですね。
斉須 ぼくはみんなに、
いい子になるな、って言いますよ。
いい子は、弱いから。
ぼくは、いい人を嫌いです。
みんなに対しては、
「ぼくは、悪い人です」と言ってます。
いじわるもしますし。

いい人であるだけでは、
あるべき姿のレストランを維持できませんよ。
ぼくは悪い人ではないのですが、
伝えやすいように悪い人と言いきります。
一緒に仕事をする時でも、
「いい人だと思っていたのに・・・」
という場面に必ずつきあたってしまいますから。

でも、そういう「純粋で、いい人」なだけの
ものをお皿に載せているのではない、
もっといろいろな要素を取り込んで、
料理はなりたっているのです。

ぼくは、こういうところを
年中お店で話していますね。
最先端の技術うんぬんの話よりも、
やはり底辺にあたるこういうことこそ
大事だと思っているんですけれども。
・・・みんな、あまり、
わかっていないかもしれませんけど。
ほぼ日 なりたい料理人像は、ありますか。
斉須 途上の時には、
よく理想像がありますよね。
誰しも、高い帽子をかぶって
白い服で、というのに
一度はあこがれるでしょう。
ぼくも、そういう料理長になることが、
若い頃の夢でした。

でも、ある時から、それよりも
透明人間みたいになりたい、
と思うようになりました。
この理想には、モデルがいまして・・・。
パリのあるレストランのオーナーです。

レストランには、ワインの営業の人や
チョコレート屋さんとかが来るものです。
だけれども、その人たちの目に、
オーナーは見えないんです。
でも、そこらへんにいました。

洗い場のおじさんのように見える人が、
オーナーなのに、みんな、その人に
「オーナーはどこにいますか」って聞く。
聞かれたオーナーは、
洗い場のおじさんを呼んだりするんですよ。
その人は、すばらしい人でした。
3つ星を維持して引退しましたが、
ぼくは、できたら、ああいう人になりたいんです。

本質以外は何だかわからない人。
でも、いつも、垂れ流しで自分を出す人。

ピュアの純度が高すぎて、
誰も彼の本質を理解できないんです。
世俗的ではなくて、
レストランで社会奉仕をやっている、
とでもいうようなやりかたでした。

従業員のタワシとかも、
率先して自分で買ってくるんですよ。
「これ買ってきたよ、これでいい?」
・・・当時そこではたらいていたぼくが
「すみません、ありがとうございます」
と言うと、
「すみませんは、わたしだ。
 わたしのために働いてくれているのは
 おまえだから、ありがとうはわたしだ」
と。
ほぼ日 すごい。
斉須 世界は広いなあ、と思わされました。
尊敬しています。

(つづきます)

2002-01-21-MON
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