調理場という戦場。 コート・ドールの斉須さんの仕事論。 |
第7回 裾野が広がっていない山は高くない。 これが、コート・ドールの調理場です。 斉須さんにとって、 人生でいちばん長い時間を過ごしている場所・・・。 (もうちょっと大きな画像でお見せしたいぐらいキレイ) あと1か月ちょっとすると発売する 『調理場という戦場』という単行本を、 「ほぼ日」は、チカラをこめて作りました。 いまはデザインを待つばかりという状態ですから、 テキスト制作側としては、 「この本の中の独特な雰囲気を、はやく感じてもらいたい!」 という気持ちで、いっぱいなのです。 そこで、今日から発売まで、週2回の連載で この本の中身をご紹介していきたいと思っています。 ぜひ、期待してくださいね! 前回までの連載で、ほんとうに たくさんのメールをいただいています。 おくらばせながら、ありがとうございました。 メールは、斉須さんにも毎回毎回手渡ししているんですよ。 次回のこのコーナーでは、みなさんからのメールを読んだ 斉須さんの談話を紹介しますので、お待ちください。 今日は、単行本『調理場という戦場』の中身のほんの一部、 冒頭をすこし省略したあとにつづく文章を、お届けします。 外国であたらしく何かをはじめるような気持ちになって、 ドキドキしながら読んでくださると、とてもうれしいです。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ <※第1章より抜粋> 日本のレストランで働いていた頃のぼくは、 「とにかく、ここは離れたい」と思っていました。 フランスに行きたい。 技術指導に来ていたフランス人シェフが 洗い場で手を洗っていた時に 「あなたのお店で働かせてください」と頼みこみました。 フランスとぼくをつなぐラインは、 そんな細いものしかなかった。 だけど、結局はそのツテで ぼくのフランス行きは実現しました。 そのシェフは後に、ぼくにこう言ってくれました。 「手を洗おうとすると、いつも洗い場がきれいになっていた。 鍋だらけの調理場だから、放っておくと、流しの中でも とても狭いところで手を洗わなければいけなくなる。 でも、君がいつもきれいにしてくれていたのを、 わたしは見ていた。 それがとても嬉しかったから、雇うことにした」 誰も片づけないと、グチャグチャに散らかった中の わずかなスペースでしか手を洗えなくなってしまう。 だからぼくが洗っていたというだけです。 一分も二分もあればきれいになっちゃいますから、 彼が手を洗うところだけでも きれいにしようと心がけていただけでした。 同じ時期にフランス行きをアピールしていた人が、 他にもいたとは思います。 しかも、ぼくよりも技術のある人たちはウヨウヨしてた。 だけど、フランス人シェフが見ていたのは、 調理場での何でもない掃除だった。 最終的に来るなら来いと言ってくれたのは、 ぼくに対してだった。 当時は自分の技術が追いついていなかったから よくわからなかったけれど、 いま思えば、彼がぼくを選んだ理由はわかります。 ひとつひとつの工程を丁寧にクリアしていなければ、 大切な料理を当たり前に作ることができない。 大きなことだけをやろうとしていても、 ひとつずつの行動がともなわないといけない。 裾野が広がっていない山は高くない。 そんな単純な原則が、 料理においては、とても大切なことなんです。 料理人という仕事をしていると、 日常生活の積み重ねが いかに重要なことかがよくわかります。 窮地におちいってどうしようもない時にほど、 日常生活にやってきた下地があからさまに出てくる。 それまでやってきたことを上手に生かして乗りきるか、 パニックになってしまって終わってしまうか。 それは、ちょっとした日常生活での心がけの差なんです。 イザという時にあきらめることはないか。 志を持っているか。 調理場がにっちもさっちも行かなくなった時には、 小手先でしのぐことはできません。 そして、程度の差はあれ、 いいものを作ろうと目指していれば、 キャパシティぎりぎりの仕事をすることになるはずです。 要するに、緊急事態はいつでも起きかねない。 誠実なことは、料理人のいちばんの資質でしょうね。 とにかく、フランスに行けることになった。 フランスに行くことは、ぼくにとっては まだとてつもない夢物語だとばかり感じていたから、 とても熱くなったのです。 緊張していたし、月並みな言い方だけど、 不安と期待で手がつかなくなった。 でも、それからは何だかんだと言って、 はやく飛び立ちたくてたまらない日々を 過ごしていたような気がします。 出発の日を指折り数えて待っていた。 「なりたい自分になって帰ってきてやるから、 首を洗って待ってろよ」 そう思いながら、飛行機に乗ったのです。 夢に至れなかったら帰るまいと決めていました。 自信はひとかけらもなかった。 若いがゆえの気負いしかなかった。 自分に対する確信も持てなかった。 経験と言っても、言葉にもならないような 悔しい日々がたくさんあっただけ。 「先輩たちを、自分の行動でたたきかえしてやるぞ」 と感じていた。 すべてにいらだっていたこの頃のパワーが 「若さ」だったような気がします。 このいらだちを、 まっすぐいつまでも持ちつづけていたいと、いまも思う。 出発前日に池袋で新しい靴を買って、 次の日にそれを履いて飛行機に乗りました。 国際線も羽田空港からという時代です。 季節は秋のはじめで、 小雨がパラつきながらの曇り空だった。 「ここからがスタートなんだ」と思いました。 不安でいっぱいでした。 (『調理場という戦場』より) ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ (※次回、つづきは火曜日に更新いたします。 メールでの感想をいただけると、光栄です!) |
2002-04-26-FRI
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