諸行無料
2008-11-03
なんだか、どうやら「無料」がおもしろくなっている。
「無料」というのは、タダってことだ。
英語ではFREE(おお、自由!)っていうらしいから、
「有料」は不自由ということになる。
そういえば、そうかもしれない。
あらゆるものに所有者が決まっていて、
あらゆるものに値段がついているなんてことが、
完成されちゃった世の中なんて、
人間には合ってないに決まってる。
毎日呼吸している空気は、無料だ。
青空やら雨空やら、空を見るのも無料だ。
海岸に土地の所有者はいるかもしれないけれど、
海を泳ぐのも、たぶん、だいたいは無料だと思う。
惜しいことに、水道から出てくる水は無料じゃない。
山に生える松茸は、山の所有者のもので、無料じゃない。
水が無料じゃないように、
水を下水に流すことも無料じゃない。
自分の足で歩くことは無料だけれど、
あらゆる道が無料というわけではない。
公園のベンチに腰をおろすことは無料だ。
山の紅葉を楽しむことも、まぁ無料だ。
街路樹として植えられた
イチョウの木が落とす銀杏も、無料らしい。
道端のタンポポを食べるなら、それも無料だ。
生きていくことじたいにも、税金というものがあるから、
それは無料と言えないかもしれない。
おかあさんが、赤ん坊に飲ませるおっぱいは無料だ。
おとうさんが、どこかで有料で買ってくる玩具は、
無料で子どもに渡される。
家のなかで食べる食事は、おそらくみんな無料だ。
そういえば、犬が食べるごはんも、無料だった。
誰かが誰かを大事に思う気持は、無料だ。
人々が愛と呼んでいるものは、たぶん、無料のはずだ。
有料の愛もあるのかもしれないけれど、
金額を超えて愛された分については、
無料だとも言えるだろうか。
もともと、星は無料だった。
もともと、生きものは無料だ。
人間も、もちろん無料でつくられた。
歴史も、無料の時代のほうがずっと長いはずだ。
ぼくらの肉体も、無料に慣れている。
だから、無料がけっこう気持いいのかもしれない。
これからは、無料が高くなっていくよー。
しかも、無料がどんどんおもしろくなるんだ。
これは当たろうが当たるまいが、ぼくの予言だ。