ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

恐怖の効用とは?

恐怖のおかげでできたことって、
これまでに、なにかあったろうか。

つまりは、いちばん極端な例としては、
拳銃を突きつけられて、
「100メートルを10秒で走ってみろ」
というようなことかな。
想像しなくても、わかる。
拳銃で脅かされても、
できないことはできない。

「こんなことができないと、食いっぱぐれるぞ」
と、怒られたような場合。
「食いっぱぐれる」という恐怖が、
その「こんなこと」をできるようにしてくれるのか?
あるのかもしれないけれど、できるとも思えない。

「死んでもやれ!」と脅かされて、
できたことも、あんまりないんじゃないか。

恐怖、脅し、義務、怖れ、
そういうもののおかげでできたことって、
少なくとも、ぼくの場合にはなかった。

恐怖で追い込めば、尋常でない力を発揮する、
という考え方は、
おそらく「火事場の馬鹿力」を
ベースにした発想だと思うのだけれど、
しょっちゅう、あちこちで「火事場の馬鹿力」が
発揮されているとは、どうしても思えない。

しかし、じぶんに対しても、他人に対しても、
ぼくらは「恐怖」という道具を使って、
何かをやろうとしてしまう。

ほんとうに、よくよく思い出すべきではないか。
恐怖のおかげでできたことが、
あなた自身の人生のなかで、どれだけあったのか?

親も、先生も、先輩も、主人も、上役も、監督も、
怒鳴ったり脅かしたりして、うまくいったことが、
いつ、どれほどあったのか考えてみてほしい。

「恐怖」の効用とは、いつ、どこで、どれほどあったのか?
いまだに、誰にも証明されてないのに、
とてもたくさんの人々が信じている
「うそ」のような気がするのだ。

あらゆる「恐怖」から自由になったという状態を、
ぼくらは、まだほんとうには、
想像したこともない。

関連コンテンツ

今日のおすすめコンテンツ

「ほぼ日刊イトイ新聞」をフォローする