理解されないという誤解。
2010-05-17
じぶんが、たとえばフォークシンガーだったとしたら、
つまり僭越ながら、ひとりのボブ・ディランだったとしたら。
じぶんが、たとえば演歌の歌手だったとしたら、
えーっと、恐れ多くも美空ひばりだったとしたら。
じぶんが、たとえば歴史上の大英雄だったとしたら、
もうしわけないけど、カエサルさんだったとしたら。
つまりその、
ボブ・ディランだったとしたら、
「なに歌ってるんだか、よくわかんなぁーい」と、
言われることはおおいにあると思うんだよね。
そしてまた、せっかく美空ひばりだったとしても、
「演歌なんて、ださいんじゃない? なに? お嬢って?」とか、
好き勝手なこと言われることも目に見える。
そして、もう奇跡的にカエサルだったとしても、
「憎い憎い、暗殺してやる」と、
どこかで思われているにちがいないんだ。
ここで例にあげたほどの大きな人々でも、
まるごと全員に好かれたり、理解されたり、支持されたりは、
してなーーーい!
そういうものだと知っている、ぼくらは。
なのに、もっとすっごくたいしたことのない人、
たとえばじぶんがイトイシゲサトだったりすると、
すべての人に好かれて、
あらゆる人に理解されるようにしようとするんだな。
たぶん、なんだけどね、
ひとりの会社員だったり、ひとりの学生だったり、
ひとりの誰かさんだったりする「あなた」も、
そうなんじゃないかな?
よくよく考えなくたってわかるよね。
絶対に、あらゆる他人に理解されるなんてことないし、
好かれることなんて、もっとありえない。
なのに、そういう幻の可能性を追求しちゃうんだなー。
そして、ひとりやふたりの「理解してくれない人間」や、
「嫌っている人」を発見するたびに、
なぜなぜ、どうしてどうしてと、悲しんだりね、
どうすればわかってもらえるんだろう、と、
考えさせられちゃったりするんだよなぁ。
ふ・し・ぎ。
「誤解です誤解です」とかね、
「誤解されたまま生きていくのは気持ちわるい」とかね、
「嫌われるようなことって、何かしただろうか?」なんてね、
どんなに考えたって、永遠に解決なんかしないのにねー。
ボブだって、ひばりだって、カエサルだって無理なんだから。
そのときに、思い出すのは岡本太郎だったね。
「誤解の満艦飾になれ!」って、言ったんだなぁ。
理解されるなんてことが、あると思うのが誤解だ、ってね。
誤解を呼び寄せるエネルギーを身に付けよう、とね。
すごいだろ。
これを言えるようになるまでには、
岡本太郎も、おそらくだけれど、
さんざん誤解と戦おうとしたんだと思うんだよ。
でも、きっと「はっ!」と気づいたんじゃないかな?
そのへん、ぼくの誤解かもしれないけどね。
誤解を飾り物や勲章やバッジやリボンのように、
すすんで身にまとってしまおうではないか、ということ。
そうしたら、それは逆説的な価値になる。
かっこいいし、本質的な生き方だよね。
イトイシゲサトも、あなたも、
そうしませんか?
「誤解の満艦飾」をめざして、動き回るんですよ。
わーいわーい!
ぷっぷぷぷ~~~っ。