ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

理解されないという誤解。

じぶんが、たとえばフォークシンガーだったとしたら、
つまり僭越ながら、ひとりのボブ・ディランだったとしたら。

じぶんが、たとえば演歌の歌手だったとしたら、
えーっと、恐れ多くも美空ひばりだったとしたら。

じぶんが、たとえば歴史上の大英雄だったとしたら、
もうしわけないけど、カエサルさんだったとしたら。

つまりその、
ボブ・ディランだったとしたら、
「なに歌ってるんだか、よくわかんなぁーい」と、
言われることはおおいにあると思うんだよね。

そしてまた、せっかく美空ひばりだったとしても、
「演歌なんて、ださいんじゃない? なに? お嬢って?」とか、
好き勝手なこと言われることも目に見える。

そして、もう奇跡的にカエサルだったとしても、
「憎い憎い、暗殺してやる」と、
どこかで思われているにちがいないんだ。

ここで例にあげたほどの大きな人々でも、
まるごと全員に好かれたり、理解されたり、支持されたりは、
してなーーーい!
そういうものだと知っている、ぼくらは。

なのに、もっとすっごくたいしたことのない人、
たとえばじぶんがイトイシゲサトだったりすると、
すべての人に好かれて、
あらゆる人に理解されるようにしようとするんだな。
たぶん、なんだけどね、
ひとりの会社員だったり、ひとりの学生だったり、
ひとりの誰かさんだったりする「あなた」も、
そうなんじゃないかな?

よくよく考えなくたってわかるよね。
絶対に、あらゆる他人に理解されるなんてことないし、
好かれることなんて、もっとありえない。
なのに、そういう幻の可能性を追求しちゃうんだなー。
そして、ひとりやふたりの「理解してくれない人間」や、
「嫌っている人」を発見するたびに、
なぜなぜ、どうしてどうしてと、悲しんだりね、
どうすればわかってもらえるんだろう、と、
考えさせられちゃったりするんだよなぁ。
ふ・し・ぎ。

「誤解です誤解です」とかね、
「誤解されたまま生きていくのは気持ちわるい」とかね、
「嫌われるようなことって、何かしただろうか?」なんてね、
どんなに考えたって、永遠に解決なんかしないのにねー。
ボブだって、ひばりだって、カエサルだって無理なんだから。

そのときに、思い出すのは岡本太郎だったね。
「誤解の満艦飾になれ!」って、言ったんだなぁ。
理解されるなんてことが、あると思うのが誤解だ、ってね。
誤解を呼び寄せるエネルギーを身に付けよう、とね。
すごいだろ。

これを言えるようになるまでには、
岡本太郎も、おそらくだけれど、
さんざん誤解と戦おうとしたんだと思うんだよ。
でも、きっと「はっ!」と気づいたんじゃないかな?
そのへん、ぼくの誤解かもしれないけどね。

誤解を飾り物や勲章やバッジやリボンのように、
すすんで身にまとってしまおうではないか、ということ。
そうしたら、それは逆説的な価値になる。
かっこいいし、本質的な生き方だよね。

イトイシゲサトも、あなたも、
そうしませんか?
「誤解の満艦飾」をめざして、動き回るんですよ。
わーいわーい!
ぷっぷぷぷ~~~っ。

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