ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

かっこわるいのは、いいことか?

「かっこつけてんじゃねぇよ!」と言われたら、
それは、怒られているってことだ。

もっとからかいっぽく言われる場合は、
「おうおう、かっこいいのう」だとか、
九州のほうだったら、
「つやつけとうね」だとかね。
いろいろあるわけだ。

「かっこいい」というのは、
ある意味、とてもよからぬことだった。
高校などの生活指導で、
ズボンの丈だの、太さ細さだの、
着るべきシャツの色だのが事細かに決められているのは、
「かっこつけてる」のを防止するためだ。

髪を不可思議な色に染めたり、
架空の部族の祭りみたいな化粧をしたり、
過剰な誇張をした制服を着たりすることも、
一般的に美しいのとはちがっているかもしれないが、
当人やその仲間の間では、
「かっこつけてる」のである。

個人が、どういうものを「かっこいい」と思うか、
それについては、ほんとは止めることができない。
しかし、ある団体や、ある職業やというふうな、
社会の枠組みのなかでは、
「非常識である」「ふさわしからぬ」などの理由で、
やめさせるようなこともできる。

曰く、学校は、
学問なのだから、
「かっこつけてはいけない」のだし、
会社は、仕事をするところなのだから、
「かっこつけてはいけない」のである。
ぼくらそういう教育を受けてきたと思う。

問題は、ここからなのだ。
「かっこつけてはいけない」ということが、
規則として固定されていくと、
「かっこいいことはいけないこと」で、
「かっこわるいことがいいこと」
だということになっていく。

そうなのだ。
「かっこわるいことがいいこと」
というのが、学校の「かっこ」についての考え方だったし、
お役所や、かたい会社の基本ルールだったのだ。

だから、これまで、学校で決められた服や道具は、
かっこわるかった。
会社の備品やら、文房具なども
かっこかるかった。
「かっこわるいことがいいこと」で、
そういうルールを守っている会社のほうが、
信用がおけそうに思われる‥‥という考えだったと思う。

しかし、実際には、世の中は変化してきている。
すでに、制服の「かわいい」学校のほうが、
入学希望者が多いということで、
「かっこいい」制服をつくることも
当たり前になりつつある。
会社の建物や、さまざまな施設も、
「かっこわるいことがいいこと」でなく、
「かっこいい」環境を目指していることもある。

まじめだったり、信用おけそうだったりすることが、
「かっこわるい」ことででは、
表現できなくなっているのだ。
まぁ、当然の流れだと思うんだけれどね。

いま、ぼくらの仕事のヒントは、
ここらへんにあるんだと思っている。

だって、たとえば、
「タオル」なんてもらいものが家中にあふれてて、
どういうのが「かっこいい」かとか、
どういうものが「つかいやすい」かとかって、
あんまり気にしてなかった時代もあったけれど、
そこにあえて『やさしいタオル』を出したり。

手帳は、取引先や会社が配布してくれるもので、
どれも、あんまり変わりはない、
というところに、ぼくらは「ほぼ日手帳」のような
とても個人に寄った「じぶんで買う手帳」を出した。
こういうことの、じぶんたちの動機が、
いまごろになって「ああそうだったのか」と、
やっとわかったような気がしている。

「かっこわるいことは、いいことじゃぁないよ」
中学や高校の時代に思った違和感に、
いま、ぼくなりの答えを出しているんだと思った。

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