<墓のなかの正月やすみ>
あははは。
最初にひと笑いしてから読んでくださいね。
前々回のこのページが自殺関連の話だったし、
今回が「墓」ですからね〜。
よけいな心配かけるのも面倒なんで、
あらかじめ言っておきますが、
これは、まじめで元気な原稿ですからね。
要するに、ぼくは、現代の人たちは
「死」のイメージを、遠くに押しやり過ぎてしまって、
自分たちを生きにくくしているんじゃないかと、
思っているのです。
必ず人間は死ぬ、ということを、
必死に忘れて生きようとしているために、
かえって生きることがヘタになってしまっている。
そんなことを考えているわけです。
「ゴール」のないゲームなんてやる気になりますか?
それとおなじくらい死を忘れたふりをする生は、
虚しいのです。
・・・ほら、こういうだけで、もう、
宗教がかってるなぁなんて思われそうですよね?
インディアンのおとっつあんが言ってることだと思えば、
いいんじゃないかな、こういう話は。
で、本題。
たいしたことじゃないんです。
ぼくはバリ島が好きで、
今年の正月もバリで過ごしたわけですが、
ちょっと発見した気がしてね、
このことを読者にも伝えてみたいと思ったんです。
泊まっていたホテルに「コンセプト」を発見しちゃってね。
そのことです。
いままで、いろんなホテルに泊まって、
それなりにいつも満足してたんだけれど、
今回は、経営者だか設計者だかの「意図」というか、
「謎かけ」を感じたんですよ。
だいたいいつも、ぼくは家族での正月旅行は、
何もしないつもりで行くわけです。
あえて言えばひたすら本を読むことだけ、
あとは昼寝と、めしを食うこと。
それ以外、したことなんかありゃしない。
余計にいっぱい本を持っていって、
「えっ、そっちのほうがおもしろかったみたいだなぁ」
とか言いながら、朝昼夜、夜中と、本読んで暮らす。
それにしたって、ホテルから一歩もで出ないなんて、
比喩的に言ってただけで、
散歩程度には、外出の一回くらいは、していましたよ。
ところが、今回の「アマヌサ」ってホテルでは、
ほんとに一歩も外に出なかった。
居心地が、「異常にいい」んですね。
エネルギーが外に発散しない。
だらだらだらだらと、昼寝と読書とめしとを、
たんたんとくりかえしているだけ。
なのに、気持ちがいい。
自分たちが、ゼロになってる感じなんですよ。
今回については、娘とカミさんはお義理程度に
プールで泳いでいたけれど、ぼくは泳ぎもしなかった。
ちょっと、つまんなそうだろう?
それが、そんなことないわけですよ。
気分が落ち着いていて、
あと何日もいたいと、本気で思っているわけ。
こんな時、職業柄っていうんですか、
「居心地が異常にいい」といいうことは、
それを創造した人間がいるはずだと、
考えてしまうんですね。
さらに、その誰かわからない創造主が、
どういうコンセプトでこの場をつくったのか?
調べたくなっちゃうんですよ。
そうなると、建物やサービスや、立地や、
いろんなことについて
観察したり考察したりしたくなる。
中略にしますが、謎は解けたんですよ。
このホテルの設計思想は、おそらく「墓地」なんですね。
死者に安息を与えるための墓地のあり方こそが、
生者に安息を与えるリゾートの見本だったというわけです。
バリ島の湿気、
わざと賑わいから遠ざけた立地、
斜面の敷地にあえて建てた古石の建築デザイン、
色彩をストイックなまでに排除した装飾、
従業員たちの白を基調とした制服、
暗すぎるほどの照明・・・
どこからどこまで墓地であり、遺跡であるような
環境を、あえて、ここに意図的に(人工的に)
創り出しているようなのです。
だから、落ち着くし、ストレスがかからないわけだ。
ぼくらは、虚しい生者だけのためにある日本から、
死者のためのデザインの環境に旅にでかけて、
そこで「死んだように休んで」帰ってきたわけです。
このアマン系のホテルの経営者は、
オランダ国籍のインドネシア人らしいのですが、
言語化しているか否かは別にして、
ぜったいに「墓地」としてのリゾートホテルを、
最高のサービス形態として発見したんだと思いました。
「あなたは最高の死者のように安楽です」
なんてキャッチフレーズは却下されてしまうでしょうが、
これは、アリ! ですね。
擬似的な死は、いままで忘れられていたサービスに、
きっとなると思いました。
死を禁忌として遠くに離すばかりが、
生のよろこびじゃないわけで、
今年は、いままで以上に「死」に親しみを感じながら、
元気にやっていくというのはどうだろう?
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