ダーリンコラム |
<都合のいい> かつて明石家さんまさんが言い放った名セリフ。 「男は都合のいい女が好きなんですよ」って、 ほんとに不滅だなぁと思うねぇ。 これ、もちろん、 「女は都合のいい男が好きなんですよ」と言い替えても、 成り立つことは言うまでもない。 いっそ「人間は都合のいい相手が好きなんですよ」と、 限りなく拡大していってもいけそうだ。 ほとんどの政治的な駆け引きなんて、 これに当てはまるわけでしょう。 よく政治家が外国に行って、 両方の首脳がにこにこと握手している写真とか見るけれど、 あれも、なにか「自分の国の都合」が 受け入れられたかどうかで笑顔の程度がちがうわけですよね。 認めたくないかもしれないけれど、 社会的な関係の90%以上は、恋愛も含めて、 「都合」で成り立っているのではなかろうか。 だから、法律とか規則とか、マナーとかさえ、 「都合」と「都合」のぶつかり合いを解決するためにある。 「あなたといるだけで幸せ」だから、「あなとといたい」 というのも、自分の都合だよねぇ。 「あなたがわたしを好きでなくても、わたしはあなたが好き」 というのも、これまた、自分の都合でしょう。 一見利他的に思えることも、そうでもないことが多い。 献身的ということをしたい「都合」もあるわけだしねぇ。 都合に思えないような関係も、 よくよく追いつめて考えると、 そうとうに「都合」成分が濃厚であると発見されてしまう。 で、川の砂のなかから砂金を見つけるように きらりんっ★と光るのが、たぶん「都合を超えたもの」だ。 でも、その「都合を超えたもの」がどれだけ大事かについて、 誰もが納得するように理論的説明をするのはムツカシイ。 それも、おそらく彼の心の都合であるからだ。 意地も誇りも美意識も、大きな意味では「都合」である。 さすがに「愛」も、とは言いにくい。 愛ってのは、たぶん、 『あらゆる都合を超えたもの』っていう 定義になってると思うので、 永遠に「都合の外側」に残れるのだろうと思う。 親と子どもの間にある「何か」ってのは、 かなり都合を超えたものであるような気もするけどね。 たぶん、互いの都合が十分に発揮されて、 両方が完全に受け入れられたときに、 「都合」がかき消えてしまうのだろうなぁ。 たぶん、みんな、 都合のわるい人間とか、都合のわるいモノゴトとか、 やっぱり、あんまり好きにはなれないと思うんだよなぁ。 神さまってのは、それができるんだろうな。 でもなぁ、好きになってからの「都合のわるさ」については、 けっこうオッケーになっちゃう、ってこともあるしね。 いや、そういう場合は、総合的には「都合がいい」 っていうことなのかな? なんでこんなことを書きはじめたのか、 はたしてイトイは、何か都合について悩んでいるのか、 考える人もいるかもしれませんが、 そういうことじゃないのです。 明石家さんまさんの、冒頭に書いた言葉、 ときどき思い出してしまって、 それについて考えたくなったりするのです。 |
2002-09-02-MON
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