<イトイ式マーケティング>
企業秘密について書きますけれど、
たぶん、あんまりマネされるとも思えないので、
どうぞ、お読みください。
書いてある以上のことでもないし、
それ以下でもない、ぼくの商売のコツであります。
じゃ。
「マーケティング」という言葉も、
あんまり雑に使うわけにいかないところがあって。
「マーケティングなんか、まったく役に立たないですよ」と、
言いきるわけにもいかないし、
マーケティングを信じきっている人と話すと、
「本気かよ」と突っ込みたくなったりする。
大きい意味で、市場を知るということは大事なのだけれど、
その読み方は、いくらでも無限にあるわけだし、
他人と同じ読み方で、同じ結論を出したら仕事にならない。
ぼくは、できるだけ「ほぼ日」のなかでは、
知っている情報は、惜しまずに出そうと思っているので、
「イトイ式マーケティング」というような、
ちょっぴり秘密なことも、たまには書いているつもりだ。
今日は、そういうなかでも、
とてもわかりやすくて重要だと思っていることについて、
書いてみることにします。
それは「人間全部に言えること」というのを、
何よりも先に考えるようにしているということ。
つまり、「最近の若い女の子はどうだこうだ」
という情報よりも、
「昔から、人間の女の子は、こうだった」というような
あまりにも当たり前のことのほうを、
優先して考えるということだ。
去年に発売した「ほぼ日育T」の胸のレターに、
『THINK WILD』というのがあったけれど、
それは、ぼくの考えであり、
「ほぼ日」マーケティングの基盤になる考え方だ。
例えば、いま、入浴剤では、
どんな香りが流行っているかとか、
温泉の素みたいなものの流行は、というような資料は、
いくら探ってみても、
誰が探っても、同じような答えしか見えてこない。
ぼくが入浴剤を考える場合には、
「どうして、お風呂は気持がいいのか」
「入浴は、ほんとに誰でも気持がいいのか」
「入浴好きと、入浴嫌いのちがいはどこにあるのか」
というようなことから考えはじめる。
こうやっていくと、
結果として、
「入浴剤はいらないのではないか」というような
困った結論に至ったりすることもありうる。
でも、それならそれでいいのだ。
「いまは、森林系の香りです」という答えになって、
「森林のなかでも他所の気づいてない香りは何か」
と考えていっても、
それが市場に歓迎されるのは、ほんの一瞬にしかならない。
そして、もっと言えば、
その一瞬の歓迎が「ない」可能性だってあるはずだ。
だとしたら、
「つくらない」ということを
積極的に結論として提出することは、
自分たちにとっても、市場にとっても、
最高の答えになったとも言えるわけだ。
ごく一部の「買いそうな人」の購買意欲を
どう刺激しようかと考えるのではなく、
ほとんどの人が欲しくなるに決まっているものを、
生みだしたほうがいいに決まっているわけで。
ま、そんなに都合よく答えが出るとはかぎらないけれど、
目標をそこに置いて、ものを考えるのが、
イトイ式マーケティングだというわけだ。
そこで、いちばん大事になってくるのが、
『THINK WILD』というキイワードなのだ。
現代のある種類の人々の消費傾向について考えよりも、
野生の人間というようなものについて、
しょっちゅう考えている。
それが何に、どう使えるのかはわからないし、
専門の研究者でもないから見当違いになるかもしれないが、
とにかく人間の原型みたいなものについて、
しょっちゅう考えるのだ。
今日の例で言うと、
午後に95歳の老人が、ちょっと惚けてきたというようすが、
ドキュメンタリー番組のなかにでてきた。
いわゆる「徘徊老人」というものなのだ。
あれ・・・・?と、ぼくは思う。
惚けがくると、歩き回るということが、
前に聞いたことのあるふたつの情報と結びつく。
ひとつは、「ほぼ日」でもおなじみの
森川くんの「断食道場」の体験談だった。
断食が続いて苦しくなってくると、
あらゆる活動がかったるくなって、
ごろごろと寝てばかりいるのかと思ったら大まちがいで、
空腹がひどくなると、
ひたすらに歩き続けるのだという。
歩いていれば、なんとか空腹の苦しみから逃れられるという。
これは、知らなかった。
しかも、そういうものかもしれない、と、
妙に肉体が納得できるような体験談だった。
もうひとつが、ぼくのアシスタントをやっていたやつの
お父さんの話だった。
そのお父さんは、双生児として生まれて育った。
すっかり大人になってから、
自分は東京で働くようになり、弟は地元に残った。
中年になってから、その双子の弟が亡くなったのだという。
地元の村にお父さんは帰り、葬儀に出席した。
しかし、その葬儀の日から、
行方不明になってしまったのだというのだ。
数日経ってから、戻ってきて無事だったのだけれど、
行方不明の間、どうしていたのかという周囲の質問に、
「子供の時代に遊んでいた山のなかを、
わけもわからず、歩き回っていたんだ」と答えたらしい。
人って、「わかんなくなると歩き回るのか?」と、
ぼくは思った。
わかんなくなると・・・・歩き回る。
これが正しい法則かどうかはわからない。
しかし、そういうものかもしれないと、
妙に腑に落ちた感じがある。
さて、そのことを知ったといっても、
これが、何かの仕事にすぐに役立つはずもない。
だけれど、こういうようなことを、
自分の記憶の金庫のなかにストックしておくと、
必ず、使えるときがくるのだ。
「人間って」→「わかんなくなると歩き回る」。
これを思ったことがあるだけで、
少しでも人間のよろこぶ何かをつくれるかもしれないのだ。
おそらく、時代の流行が変わろうが、性別が違おうが、
こういったワイルドな属性には、違いはないのだと思う。
こういうふうなことが、
一般的なマーケティングの会議などで、
ないことにされているがゆえに、
ぼくらの出番があるのだと思っている。
マーケティング調査のなかで、
いちばん優先順位の高い調査というのは、
「人間って、もともとどういうもの?」という
とてつもなく根本的な質問についてだと思うのだ。
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