ITOI
ダーリンコラム

<ものめずらしさの終わり>

インターネットに関係する人たちにとって、
いま、とても大事なときだという危機感がある。
これまでにも、何度か、さまざまな転換の時期があったが、
ぼく自身の心持ちとしては、
いまが最も大きな「考えどき」だと思っている。

ぼくの感じている「現在の大きな変化」というのは、
たちの悪いことに、
漠然としていて、目に見えないくらい巨大なものだから、
わかりにくいのだ。
会社が倒産しているとか、人々がついてこないとか、
いままでの業界的なできごとがあるわけではない。

逆に視点によっては、インターネットの世界も
「安定期」に入ってきたというとらえ方もできるくらいだ。
ネット通販の売り上げは、アメリカでも日本でも、
驚異的な伸び方をしているらしいし、
ADSLの加入者も加速度的に増えていて、
「いよいよブロードバンドの時代だ」と、
息巻いている人も多い。
たしかに、通信時間を気にしないで
インターネットにつなぎっぱなしにできるのは、
ずっと、ぼくらも憧れていた夢の実現だった。

いいことずくめではないか、と、
たぶん、業界の人たちも、
業界の外側の人たちも思っているかもしれない。

曲がりなりにも、
インターネットというメディアが、
メディアとしてのポジションを確立しつつあるのだ。
成人式の直前くらいのところなのかもしれない。

元気いっぱいで、迷わず行けよと、
アントニオ猪木のように言っていても、
それはそれでまったくかまわないとは思うのだけれど、
明るい心配性のぼくには、そういう時が悩みどきなのだ。

人間でも、一人立ちしつつあるということは、
もう、「かわいいわねぇ」と言われなくなるということだ。

「インターネットで、こんなこともできます」というような
ものめずらしさでは、勝負できないということだ。

先日「テレビ50周年」の特集があったけれど、
テレビ送信の最初の実験映像というのは、
いろはの「イ」という文字だった。
「イ」が画面に映っただけで、その場合には
大歓声があがるほどの事件になる。
しかし、いつまでも「イ」を映しているわけにはいかない。

草創期には、
さまざまなインターネットに関係した仕事が、
どれも、ある種のものめずらしさのおかげで、
質を問われないままに成立していた時期があった。
「ホームページをつくれる」というだけで、
わけもわからないままに、大金で雇ってくれたらしい。
先にちょっと余計に経験したことをネタにした
促成の「コンサルタント」もたくさん現れた。
グラフィックのデザイナーにはなれなくても、
ウェブデザイナーになら、なれたりもしたり、
インターネットという枠組みのものめずらしさが
追い風になっていたことは、いっぱいあったと思う。

正直に言うけれど、
「ほぼ日」だって、インターネットのものめずらしさに、
大いに助けられてきたということは知っている。
「ネットで、そんなことできるのかい」ということは、
「高校生にしちゃ、たいしたもんだ」というのと同じで、
一人前でないということでもある。

しかし、これを読んでいるあなたも、
きっとそうなんだろうと思うけれど、
いま、インターネットを、どう楽しんでる?
お気に入りのサイトを、おもしろがって訪問するとか、
ネットサーフィンをするとかいうことについて、
たぶん、あんまり熱情をなくしていると想像するのだ。
インターネットは、どちらかといえば、
いままで以上に安定して「道具化」していると思う。
おもしろいだの、楽しいだのということは、
もうあんまり期待されてなくて、
便利な道具としてだけインターネットを使っている人が、
ほとんどになってきているような気がするのだ。
ぼく自身についても、いま、
あちこちのサイトをおもしろがって読んだりはしていない。
「ほぼ日」を自分たちがつくっていなかったら、
もっとネットにつながる時間も減っていることだろう。

「ほぼ日」を、もう4年半も続けていて、
いまが正念場だと感じているのは、
「ものめずらしさの終わり」ということなのだ。
いままでだったら、おもしろがってもらえたものも、
大人の仕事としての評価にさらされるようになると、
「つまらない」と言われるようになるはずだ。
いや、もう言われているかもしれない。

そういうものなのだ。
それでいいのだ。
先行して油断しているものは、
後から力をためて必死で追ってくるものに敗れる。
それは映画という世界も同じだったろうし、
テレビの業界でもそうだったと思う。
ゲームの業界でもまったく同じだ。
「おお、映ってるぞ」だとか、
「わぁ、よく動く、おもしろいなぁ」というような
ものめずらしさは、どんどん減衰していく。
そういう世界で、初期のころから長い時間
先頭で新しい地平を切り開いてきたような人たちは、
かならずいるわけで、
そういう人というのは、例外なく
人並み以上の危機感を持っていた人たちだ。

いま、「ほぼ日」は、インターネットの外の世界と
コラボレーションを連続してやってきて、
自分たちの個性や実力を見極めようとしているところです。
いったん、停滞しているように思われることを覚悟で、
「次の時代」のための練習や実験をやっていくつもりです。
いや、それはそれとして、
「ほぼ日」内部の「順調感」をぶち壊さなきゃね。
いちばん危ない時期なんだから。

かつて、藤田元司元監督が言ってましたよ。
「いいときに、悪い芽が育っているんですよ。
 悪い時期は心配しないけれど、
 勝っている時期が、いちばん怖いんです」
別に、「ほぼ日」、ちっとも勝っちゃいないけれど、
とにかく正念場だということは、感じてないとね。

2003-02-10-MON

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