ダーリンコラム |
<仕事を動かす> たくさんの材木を、滋賀県まで見に行った。 たとえば、琵琶湖の底に沈んでいた漁師の舟がある。 日本人がまだ洋服を着てない時代に沈んだ舟は、 きれいに解体され、削り直されて、 ブティックのドアになったりする。 お金持ちの漁師さんの舟よりも、 貧乏な人の舟のほうが、 あちこちに節があったりして素材として味があるという。 二百年も三百年も生きた樹木の切り株が、 何に使われるか決められないままに、 敷地のなかに転がっている。 絵に描いたような切り株らしい切り株もあるし、 名付けようもない化け物のようなカタチのものもある。 根っこに近いほど、おもしろいかたちをしているらしいが、 そういうものは掘るのもたいへんなので、少ないという。 ぼくみたいな素人は、 そういう珍しい材料のほうに つい目を引かれてしまうのだけれど、 ちょっと詳しい人が見たら、 「どうして、こんな材料が、こんなに揃ってるのか」 と、言われるような ふつうのよい材料のほうがたくさんあるらしい。 ほんとうは、ここから、 技術を持った人たちが、素材を入手する、 プロデューサーとしての腕をあげていくことについても、 書きたい気持ちはあるのだけれど、 そっちは、また別の機会にする。 唐突だけれど、自動車と道、のことを書くつもりなのだ。 大きい材木、繊細そうな素材、ワイルドな材料、 ほんとうにさまざまな木がここにあるけれど、 倉庫にある状態では、建物になったときの輝きはない。 製材して、削ったり磨いたりすることで、 艶やかな表情を見せはじめるというわけだ。 「製材は、ここでするんですか」と、ぼくは訊いた。 「材料と使う目的に合わせて、 いろんな製材所に持っていってお願いするんです」 という答えだった。 材木をクルマに積んで、あちこちの製材所に運ぶ。 そして、製材したものを持ち帰って仕事をする。 そういうことらしい。 製材所によって、持っている機械もちがうし、 得意な仕事もちがうのだろう。 そして、それぞれの製材所は、 この木材の置き場から、そう近所でもないらしいのだ。 50年前だったら、どうだろう、とぼくは思った。 だいたい、この、材木の置き場、大工さんたちの仕事場が、 彼らの住いからクルマで1時間以上かかる山の中だ。 そして、重くて長い材木を、いろんな製材所に運び、 使うかたちに整える。 昔だったら、考えられないことだと思ったのだ。 クルマがあって、それを走らせる道があるから、 土地の安い所に仕事場をつくれるし、 多少遠い製材所と行ったり来たりすることもたやすい。 ぼくの仕事の性質にもよるのだろうけれど、 流通とかロジスティクスとかいうと、 ついつい、生産から消費への道筋を想像していたのだが、 生産のさまざまな現場の「行ったり来たり」にも、 大きな流通革命が起こっていたんだなぁと、 しみじみ思ってしまった。 人が、つくるための材料が、 クルマに乗って道路を走っている。 いままでだったら、 近所になくてはいけなかった工場どうしが、 地理的には離れていても共同の仕事をしている。 いちばんその仕事を得意とする人のところへ、 材料を運んでいくというわけだ。 「仕事を動かす」ことで、それまで以上に 満足のいく仕事ができるようになっている。 なにをいまさら言っているんだ、と 思われるかもしれないけれど、 あらためて「公害」だの「事故」だの 「エネルギーのムダ」だのと言われている 自動車というやつと、 これまた悪評ばかり耳にする道路というものの すごい力について、考えてしまった。 さらに、もともとの鉄道網だってあるわけだ。 「仕事を動かす」ということを本気で考えたら、 農家のやり方だって、いままでと変わる。 住んでいる家と、仕事をする農園や畑という場所が、 あんまり近くなくてもいいわけで、 「通いの農業」ということを平気にしてしまえば、 もっと農地としての条件のいい、 土地の安いところで仕事ができる。 (もちろん、そうしている人たちもすでにいるけれど) 東京の都心部にある会社に、 千葉や埼玉から通う人がいっぱいいるのだから、 逆に、東京から千葉や茨城の農地に行く人も いてもおかしくないようにも思うし。 インターネットが地理的な距離を超えて、 あらゆるものごとを「隣人」にしてしまうと、 ぼくは思っていたのだけれど、 リアルな世の中のほうも、 さらにインターネット的に、 交通の「編目(あみめ)」を フル活用するようになりそうだ。 |
2004-03-01-MON
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