<「ほぼ日」のカレー部とは?>
カレーの話は、おもしろい。
カレーの話なら、誰でも参加できる。
それぞれみんなが自分の意見を持っていて、
誰かの発言の引用とか、まねでない話ができる。
自分のことばで、なにかを語れるというのは
ほんとうに、いまどき珍しいことなのだけれど、
カレーを目の前に置けば、誰にでもそれができる。
カレーを食ったことのない人間がいないように、
たぶん、カレーをつくったことのない人もいないだろう。
材料を手に入れるところから、最後の仕上げまで、
まるごとぜんぶをやらないとしても、
キャンプやらなにやらの機会に、
カレー作りにあたって、
なんらかの手伝いをしてはいるにちがいない。
カレーと同じように、誰でもがあれこれ語れるものに、
ラーメンという食いものがあるのだけれど、
ラーメンを自分でつくるとなると、けっこう難しい。
おそらく、カレーとは逆に、
インスタントでないラーメンを自分でつくったという人は、
そうたくさんはいないことだろう。
いま、「ほぼ日」では「カレー部」という
部活をやろうとしている。
詳しいことは何も決まっていない。
やると決めたら、何かはやれるだろう。
人が集まって、ボールがひとつあれば、
遊びは始められる。
サッカーなのか、ソフトボールなのか知らない。
ルールを勉強するよりも先に、
ボールを投げるなり、蹴るなり追うなり、すればいい。
ともかく、2005年1月17日、
ぼくは週末につくったカレーを持って出社する。
中くらいの寸胴に入れたカレーソースに、
何人が集うのかはわからない。
昼間に、田中宏和さんが仕事でやってくるし、
日経BPのヤナセさんは、「カレー部」に入部したいと、
もう、この夜に集合しちゃうのだという。
部は動き出したのだ。
これから先、どんなことをするのか、
まだわからないのだけれど、「カレー部」という部活には、
どうやら先輩がいるらしい、ということがわかっている。
あの『ゴスペラーズ』の方々が、ひと足先に、
この部活をやっておられるという情報があった。
先輩が、もう発見されたということだ。
流れによっては、合同の部活などもあるかもしれない。
「東京カリ〜番長」という人たちの活動も注目している。
カレーを軸にしてイベントができるというコンセプトは、
この人たちから、発信されていたのだと思う。
ぼくも、ぼく自身のことを語っておこう。
部活をスタートさせるにあたって、自分が、
カレーとどういう関係でいるのか、
いちど整理しておいたほうがいいと思うのだ。
まず、他のあらゆる趣味と同様、
ぼくはカレーについて、特別に詳しくはない。
これまで、自分とカレーとの関係において、
いちばん大きな出来事は、山梨県富士吉田市にある
『糸力』という地酒の店のおやじさんが作るカレーに、
びっくりしてしまって、
そのレシピをもとにして、レトルトで売り出そうよ、と、
働きかけたことであった。
このカレーは、いまでも
どこかの会社の手でつくられているらしく、
先日は、「糸井重里さん絶賛のカレー発売!」という
メールのご案内をもらってしまった。
正直言って、レトルトよりも、店で食べたほうがうまい。
それは当たり前のことだけれど、
レトルトの味をもとにして、
『糸力』のおやじさんである、宮下さんの実力を
評価されたくないという気持ちもある。
でも、レトルトも、宮下さんのレシピですから、
かなりおいしいんですよ。それは事実。
だけど、思い出すなぁ。
『通販生活』で、最初に、このカレーを売り出したとき、
「最低です」みたいな評価のハガキがけっこう来たんです。
編集部の人たち、けっこうつらかったろうね。
で、もちろん、「おいしかった!」という人も、
当然だけどいっぱいいてね。
ぼくも、ナイスなこと考えついちゃってさ、
おいしい、という人と、まずいという人と、
両方の人たちに集まってもらって、
座談会をしましょう、ということになったのだった。
あれはおもしろかった。
要するに、まずい派の人たちは、
「しゃびしゃび」の、どろっとしてないカレーは、
もうそれだけで嫌いだったらしい。
さらに、スパイスが粒のまま入ってるし、
なんじゃこりゃぁあ、という感じだったらしい。
一方で、好きな人は絶賛してくれちゃうし、
もちろん、結論がひとつにまとまるわけはないんだけど、
カレーのうまさというのは、非常に主観的なものなのだと、
あらためて思った。
人が十人いたら、
10種類の「一番おいしいカレー」がある。
極言すれば、そういうものだと思う。
ぼく自身は、『糸力』の『イトリキカレー』が、
いままでで一番おいしいと思ったカレーだったのだけれど、
(あ、横尾忠則さんも、
この意見には強く賛成してくれてる)
そうでない意見の人がいても、まったく不思議はない。
ぼくは、カレーの研究家でもないし、カレー通でもなく、
そんなにいろんなカレーを食ったことがあるわけでもない。
まぁ、一通り、東京都内で、
あそこはおいしいよ、と言われた店には行ってるかな。
インドでもカレーはさんざん食べたけれど、
本場だからと言って、自分の口に合うとはかぎらない。
その程度のカレー好きだ。
自宅でのカレーは、一所懸命につくると
けっこううまいのができると自負している。
カレーには、スパイスの工夫と、スープの工夫と、
両方があるのだと思うけれど、
ぼくはスパイスについての教養がないので、
スープについてがんばることが多い。
ぼくの考えでは、まず、最も大事なのは、
タマネギを弱火できつね色になるまで炒めることだ。
強火では焦げてしまうし、ねっとりして甘味がでてくるのは
弱火でないと無理なようだ。
炒めるための油は、「ギイ」というインドの油を使う。
それがとても大事なことだとも思えないのだけれど、
『ギイ』という名前のカレー屋があって、
そこのカレーがけっこう本格的でうまかったので、
きっと「ギイ」は大きな役目を
果たしているのだと信じている。
しかし、正直に言うと、紀伊国屋で買える
乳製品でなく植物性の「ギイ」が、
とても効果をあげているとは思いにくい。
それに比べるとタマネギは、重要だ。
これは、永田農法のタマネギに限る。
生で食べてもいやなクセがなくて甘いタマネギを、
細かく刻んで、じっくり炒める。
これさえできていれば、もう成功は目に見えている。
わが家なりのぜいたくな工夫は、
市販の「鶏がらスープ」を、水のかわりに使うことだ。
この方法になってから、ミネストローネも、カレーも、
みんな味が1ランク上がったと思う。
カレースパイスについては、教養がないと言ったが、
いいものがどんなものか知らないので、
売っているセットの能書きを信用するしかない。
単体のスパイスが1種類ずつ小分けされていて、
それをまとめてあるセットが、本格的に見えてしまい、
ついつい、それを買う。
その場合、「8種類のスパイス」と書いてあるものよりも、
「20種類のスパイス」と書いてあるセットのほうが、
いいものなのだと思いやすい。
しかし、そうだろうか?と疑う気持ちもある。
さらに言うと、粉末に挽いてあるスパイスよりも、
できることなら、ホールのスパイスを、
コーヒー豆をグラインドするように、
自分で挽いて調合できるようになりたいものだと、
思っていることも告白しておこう。
以上がこれまでの、基本的なわが家のカレーの作り方だが、
このごろさらに開発されたのは、だしの分野だった。
これまで、「鶏」のだしに加えて、
そのつど「豚」「牛」など投入した肉のうまみがあったが、
これでは、うまみが安定しすぎていて、
味にスリルが感じられないのだ。
うまいに決まっている、といううまさにしかならない。
ぼくが贔屓にしている京都のある料理人が、
遊びごころたっぷりにつくってくれるカレーは、
中心の軸には、フォンドボーを据えるのだと思うけれど、
その周囲を曼荼羅のように、
海老や、鱧(はも)の骨や鯛の頭が取巻いているのだ。
カレーという料理は、おそろしいブラックホールで、
福神漬けであろうが、キュウリであろうが、
塩辛であろうが、コメのめしであろうが、
なんでもかんでも「自家薬籠中」のものにしてしまう。
だからこそ、海鮮カレーやら、納豆カレーというような
臭みのものを取り込んだカレーが成り立つわけだ。
そういうカレーの「自由(フリー)」いう長所を、
もっと活かしてやりたい。
そのために、おいしさの不定形さを生み出したいと思い、
ぼくは、わが家のカレーに、
敬愛するだし食材「あさり」に参加してもらうことにした。
これが大成功したのだった。
昨日のカレーには、「あさり」投入の成功に気をよくして、
さらに海臭さの強い「ホタテ」を入れてしまった。
鶏と豚、という肉で落ち着いていたカレーに、
ある種の意外性が加わった。
ここまでが、ぼくのカレー作りの基本である。
ところが、ここに、もともと不得意だった
「スパイス」が届いてしまったのだった。
インターネットで調べて、本格的そうなスパイスを
注文してみたら、すぐに届いてしまったのだ。
ここから、ぼくは混乱しはじめる。
ひとつひとつのスパイスが、香り高く、
「わたしを使って」と誘いかける。
もうでき上がっていたはずのカレーに、
届いたばかりのスパイスを、目分量で加えた。
自宅カレーの道における「未知の領域」に、
とうとう足を踏み入れてしまったのだ。
もともと、
『カレーとは、作っているうちに、
葛根湯さえ入れたくなる不思議の料理である』なのだ。
スパイスを自由に使うようになったら、
ぼくは、魔法使いに一歩近づいてしまうことだろう。
自分のカレーという物語を編み上げるために、
ぼくはスパイスという言語を使わないでいたのだ。
しかし、もう、スパイスという言葉を、
不器用なくせに雄弁につかう嫌なヤツになるかもしれない。
だって、名前だけは知っている、
しかも香りに覚えのあるさまざまなスパイスが、
もうぼくの目の前にあるのだ。
おそらく、近々、ぼくは合羽橋あたりに行くだろう。
もっと使いやすい寸胴鍋や、
スパイスを擂るための乳鉢みたいなものや、
それを保存しておく瓶の類いや、
タマネギを炒めやすい木ベラやなんかを、
きっと買ってくるにちがいない。
それに、web書店で、カレーに関する本を
何冊も注文してある。
‥‥こんなとこでやめておこう。
とまれ、こんなふうなところにいるぼくが、
「カレー部」で遊ぼうと思っている。
夢中になりすぎるのはよくないということも考える。
食う、というだけでない楽しみ方も想像していきたい。
他のさまざまな仕事の邪魔になるほど
一所懸命にはやりたくない。
あ、言いわすれていたけれど、
ぼくのいちばん好きな料理がカレーだということでは、
まったくありませんからっ!
カレーさえ食べていればゴキゲンというような人でも、
ありませんからっ!
誰がいちばんカレーを愛しているか、とかいうような、
フェチな論争みたいなものには、
まったく参加する意思はありませんからっ!
ものすごいカレーマニアの人から、
「同志!」みたいに扱われると、
きっといずれ「あいつはカレーに命を懸けてない」と、
失望させることになるに決まってますからっ!
とか、思いつつ、「カレー部」発足の朝を迎える。
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