巻上 |
今までトゥバとかモンゴルで
ボロットさんのような低音を出す
歌唱法は知ってたんです。
似たような歌唱法はあるんだけど、
ボロット・バイルシェフみたいに、
いろんなレベルでの低い声を
何種類も出す人ははじめてだった。
それに、ほんとに驚いて。
たぶんそれは僕だけじゃなくて、
会場中がシーンってしちゃって(笑)。
彼自身にもシャーマニックな力があるんですよね。
みんなすごい感動してましたね。 |
田中 |
はぁー。
で、感動されて、
「友だちになろう」と申し込んだ(笑)。 |
巻上 |
すごい人だったんで、
これはもう、そばにいて話をしなきゃって、
ずーっと一緒にいました。 |
田中 |
ロシア語会話(笑)。
あー、そうですか。
で、ボロットさんも
巻上さんが歌われたのは聴かれたんですか? |
巻上 |
いや、知らないですよ、そのときには。
「この日本人は何物だろう」
とか思っただろうね(笑)。 |
田中 |
「スパイかな?」とか(笑)。 |
巻上 |
で、アルタイ語教わったりしてね、
楽しんでたんですよ。
ボロットさんも奥さんと来てて、
ま、僕も妻を連れて行ったから。 |
田中 |
あ、家族ぐるみの
交際が始まったわけですね、そこで。
それで、最初に出会われて、その後どうなったんですか? |
巻上 |
「世界口琴フェスティバル」
って長いんですよ。
5日間ぐらいやるわけ。 |
田中 |
5日もやるんですか(笑)。 |
巻上 |
うん。
その3日後ぐらいに、
フリー・ステージがあったのね、誰でも出れるやつ。
僕もいろんな人と組み合わせでやったんだけど、
「ボロットとやらなきゃっ!!」って思って、
「一緒にやらないか?」っていったら、
「うん、やろやろ」ってやったんですよ。
彼の声をちょっと物まねでやったのね、ステージ上で。
そうしたら、だんだん入り込んでって、彼の世界に。
それで、その世界を崩したりしてったら、
彼自身が面白かったらしくって。
なんかこう、一体感がすごくあったんですよ。
んー、ま、妻によると
「涙が出るほど良かった」って、言ってくれたのね。
で、僕自身はもう、ほんと感動して。
またボロットがすごい興奮してて、
テントの楽屋の裏のほうに来たら、
「一緒にコンパクト・ディスク作ろう」って。 |
田中 |
いきなりコンパクト・ディスクを(笑)。
CDがアルタイにあるんですか!? |
巻上 |
「コンパクト」って言うんですよ。
「いやー、そんなにすぐ作れないよな」
って思ったんだけど。でも、確かにね、いい
なと思ってね。
それで、次の年、日本に呼んだんです。
レコーディングするために。 |
田中 |
調子いい人ですね、
ボロットさんもそういうところは。
で、すぐ来られたんですか? |
巻上 |
すぐ来た。 |
田中 |
でも、アルタイからここまで、大変ですよね(笑)。 |
巻上 |
呼ぶの大変なんですよ、僕が。
だから、
僕が一生懸命やんないと呼べないんですよ。 |
田中 |
大使館通じて招待状とか、そういう話ですよね。
はじめて来られたのは一昨年ですか? |
巻上 |
そうですね、
最初に来たのが、2000年ですね。 |
田中 |
そのときにコンパクト・ディスク作りの
ためだけじゃなくて、
公演もされたわけですか? |
巻上 |
んーとね、1回か2回。
そんなにしなかったんですよ。
あとは、BSの番組に出たぐらいでしたね。 |
田中 |
今度のコンサートのチラシを見ても、
ボロットさんが「アルタイのスター」って
書いてあったんですけど、
「アルタイのスター」って、
どういう状態なのかなと思って(笑)。 |
巻上 |
わはははは!
そうだよね。 |
田中 |
テレビ、バンバン出てるとか。 |
巻上 |
出てる、出てる。 |
田中 |
あ、アルタイのテレビに。
えっ?
アイドルなんですか?
言ってみれば。 |
巻上 |
ポップ・スターですね。 |
田中 |
わ、ポップ・スターなんですか!
へぇー! |
|
巻上 |
いっぱいヒット曲があるわけ。
最初のヒット曲っていうのは、
自分の故郷のことを歌った歌で。
兵役に行ってたときに書いたんです。
それを録音したのがね、
ラジオで流行ったんだって。
大ヒットしちゃったの。
それで有名になって、
それから何曲もいっぱいカセットをつくって。 |
田中 |
今ではもう「スター」ってことになってるんですね。 |
巻上 |
そう、はじめはノボシビルスクのスタジオで、
前衛的なエレクトロニクス使った曲を
出したりしてたんです。 |
田中 |
へぇー、はじめは民謡調じゃなかったんですか? |
巻上 |
そう、それから、
「この歌手は伝統的なものやったらいい」と思った
演出家の人がいたんですよ。
ノホンさんって人なんだけど、
ボロットにアルタイの伝統的なものを勧めてね。 |
田中 |
もともと伝統芸の人なのかなと思ったんですけど。
最初はアルタイのポップ・スターだったんですね。 |
巻上 |
そうです、そうです。
というのはね、アルタイのポップ・スターのときには、
ロシア語のものを歌っている。
ところが、アルタイ語のものを
歌うようになったんですね。 |
田中 |
英雄叙事詩が2000年続いてるっていうのが、
凄いなって思ったんですが。
それって、楽譜とか無いわけですよね。 |
巻上 |
そうそう、口伝ですよね。
で、なんでそれ出てきたかっていう
理由があるんですよ。
それはペレストロイカですよ、やっぱり。 |
田中 |
あっ!
ゴルバチョフのお陰ですか。へぇー。 |
巻上 |
ソ連邦の崩壊が、
伝統音楽を各民族ができるようになった
きっかけなんですよね。
だからモンゴルのホーミーであるとか、
トゥバのホーメイであるとか、
アルタイのそういった歌唱が出てきた。 |
田中 |
あー。
あっ、音楽の自由化も
ペレストロイカで起ったわけですね(笑)。 |
巻上 |
カザフスタンとかも、
まだロシア連邦の中にあったんだけど、
独立してったりとか。
10年ぐらい前から、
また各民族が自分たちの伝統を
見直す動きが起ったわけですね。
で、そういう人たちがだんだん世界に出ていった。
そのへんはね、知られざる世界だったわけ。 |
田中 |
なるほどなー。
暗黒地帯だったわけですね(笑)。 |
巻上 |
そう。
ブラジルの音楽は知ってます、
ペルーの音楽は知ってます、
アフリカの音楽は知ってます、
だけど、わりと共産主義の世界っていうのは、
あまり知られてなくて。
むしろ古いかたちで温存されてたとも言えるわけ。
手付かずで。 |
田中 |
あっ!
冷凍されてたみたいな感じなわけですね。 |
巻上 |
そー、そうそうそう(笑)。 |
田中 |
「ソビエト」ひと山いくら、みたいな感じの
扱いをされてたけども、
実はしっかり冷凍保存されてたわけですね。 |
巻上 |
いっぱいあるんですよ、それが。
バシコルトスタンとかね。
カルムイックってとこにも喉歌みたいなの、あるし。
それから、ウクライナにもね、独自の音楽あるし。
けっこういろいろね、
聴くべきところがいっぱいあって。 |
田中 |
ソビエト共産党時代は、
あんまり自由に表現できなかったけれども、
それを伝えていってた動きが着実にあったわけですね。 |
巻上 |
その中でやってた人がいるんですよね。
だけど、あんまりおおっぴらにできなかったと思います。 |
田中 |
じゃあ、ひっそりと隠れたところで、
「ウ〜」と唸ってた人がいるわけですね、倍音で。 |
巻上 |
いたんでしょうね。
ま、そういった民族の強い力ってね、
途切れないんじゃないかって思うんですよ。
例えば、ボロットが言ってたんだけれど、
アルタイって、
シャーマンが多いところで有名なんですよね。
で、シャーマンがね、
全員焼き殺されちゃったんですよ。 |
田中 |
はぁー、ロシア革命以降ですか? |
巻上 |
ソビエトの共産党によって。
で、もうほぼひとりもいなくなったと
言っていいんだけど、
今、新しくほとんどのことを知っているっていう
シャーマンが、現われてきてるんですって。 |
田中 |
えーっ。
それは、誰かから、受け継いで? |
巻上 |
教わったわけじゃないんだよね。
シャーマンっていうのは、
なんかもう知ってるわけ。 |
田中 |
あ、いきなり(笑)。 |
巻上 |
いきなり知ってるわけ(笑)。
だからね、いくら全員殺しても、
生きてるんですね。
凄いなと思って。 |
田中 |
根絶やしにできないわけですね。
ボロットさんっていうのは、シャーマンなんですか? |
巻上 |
自分ではシャーマンって言ってませんよ。
うん、でもやはり歌を歌う人には、
どこかしらシャーマニックなところがありますよね。
彼の吸引力から見てね、
凄い力を持った人だと思いますね。 |