田中 |
前々からいくつか一緒にお仕事をしてきて、
いつも佐藤さんのデザイン哲学に
感心されられるんです。
かたや世間のひとが持っている
デザインやデザイナーへの誤解ってありますよね。 |
佐藤 |
デザインっていうのは、
ものの上からね、こう、覆い被すような、
「モダンに、
きれいに見せるようなものだ」っていう概念が、
あるわけですよね。
で、ややもすると、デザインって
問題を覆い隠してしまうことになる。 |
田中 |
はぁ〜、
隠蔽工作に使われるんですね(笑)。 |
佐藤 |
本質的なものの問題を解決せずに、
表面的にとりつくろうことも
できちゃうんですよ、
デザインっていうのは。
たとえば80年代のCI
(コーポレート・アイデンティティ)
ブームなんていうのは、
まさにその典型だったでしょ。 |
田中 |
ありましたね、そういうことが(笑)。
どんな会社も漢字の社名をカタカナに変えたり、
ロゴマークを変えたりすれば、
時流に乗って、
世の中からのイメージが上がって、
就職人気も上がるなんて思われましたよね。 |
佐藤 |
中にはほんとの意味で
会社の体質を変えるような
変革を行った会社もある。
だけども、そのブームに乗っかって、
とりあえず表面だけを
きれいに見せてしまった会社が
いっぱいあるわけですよ。
それも、
せっかくの長い伝統を捨てて。
それで、「ほんとにそれでいいの?」っていって、
また元に戻っちゃったところもあったりね。
あれがまさに象徴しててね、
デザインっていうのはね、
下手すると、悪い影響を及ぼすことが、
すごくあるということを
わかんなきゃいけないと。 |
田中 |
それだけデザインという手段には
強い力がある
ということでもありますよね。 |
佐藤 |
自分がやってるデザインっていうのは、
どっちかっていうと、
自分がしたいことを
するということではなくって、
こういうかたちをつくりたいとか、
こんなものをつくりたいとかでもなくって、
与えられた環境や条件においてね、
自分がどんな問題を
見つけられるかということなんです。
どんな問題を見つけられるか、
そして問題を超える良さをどう引き出すか。
どう引き出して、そして、
人と人を、
もしくは人と会社、人と物を繋ぐか。
だからこう、
見つけて引き出して繋ぐことをね、
自分ではやってたんじゃないかな、って
思うんですよ。 |
田中 |
そこには、「自分が」という気持ちは
入らないんですね。 |
佐藤 |
たとえば、
ウィスキーメーカーとお菓子屋さんでは、
ぜんぜん違うものを作ってるわけですよね。
で、その都度、やるべきことを、
自分をニュートラルにして見つけていくのが
デザインなんですよ。
ところが、ある時代は、
デザイナーっていうのは、
「私は私のやり方」、
「私のスタイル」っていうことを、
ま、決めてね、生きてきたんです。
でも、その時代は、ご飯を食べるためには、
ひとつの生き方だったろうし、
デザイナーとしての戦略を
取っていたんだと思うんですよ。 |
田中 |
「俺流」ってやつですね。 |
佐藤 |
そう、「俺」、「私」と看板を上げることによって、
ご飯を食べる。
それはなぜかっていうと、
デザインということ自体が、
まったく社会的に理解されてなかったからね。
その時代においては、
やっぱりそれ必要だったんですよね。 |
田中 |
デザイン料が請求できない、
実費扱いの時代ですね。 |
佐藤 |
「なに?デザイン料は?」って時代が
長々あったわけだから。
「紙代は払うけども、
そのデザインって何なの?」って時代があった。
自分の好きなものをつくる、
それは、まあ、ある意味では
ひとつのデザインになる、
それを否定しているわけでもないんですよね。
でも時代が変わってきてね、
本来、デザイン、デザイナーがやるべきことって
何なのかっていったときに、
やっぱり一元論的に考えたくないっていうのが
自分の中にあってね。
デザイナーが好きなものをつくるばかりが
デザインだって
誤解をされてるところがある。
一方で自分の場合は、
その都度、
自分がそこで何を見つけられるかっていうことを、
自分でリセットして、
つくっていかなければならないんですよ。 |
田中 |
非常にフラットな気持ちというか、
とらわれない心が
大事になってきますよね(笑)。 |
佐藤 |
うん、そうそう(笑)。
ま、言い方が臭い言い方だけど、
「ピュア」っていうかね。
ほんとに真っ白にはなれないけども、
できるだけ、まず自分のこころの中で、
まず白いキャンバスを貼り直すっていうか。
それで、よ〜く、そこで見ていってね、
そこでやるべきことっていうのはね、
当然毎回全く違う、
同じことがあるわけないわけですよ。
同じ会社だって、時が変われば、
会社自体が変化してるわけで、
1年後にやるのと今やるのとでは、当然変わるだろうし、
同じことって2度とないわけですよね。
で、そこで、
「自分のスタイルなんて、なんなの?」っていう。
関係ないでしょ、そんなもの、って。
屁でもないでしょ、っていう。
逆に言うと、その都度そこで、
どんどん自分を変えられる、っていう
必要があるんだと思うんですよ。 |
田中 |
ストックの効かない過酷な労働ですねえ。 |
佐藤 |
で、自分を守るんじゃなくて、
守るものなんか何もなくていいと。
そこで何をするべきかに集中するっていうかね。
そのときに解決方法を、
そのときに見つけていくしかないんですよ。
今まであった引き出しから出してくるっていうのは、
ひじょうに間違いが起きるわけで。
前にこんな解決したから使えるな、って、
けっこう多いと思うんですけど、
そういうことやるから、
間違いが起きるわけです。
それが正しいわけがないと思ってるんです。
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