感心力がビジネスを変える!
田中宏和が、
感心して探求する感心なページ。



第七回
「ご飯が食べれてるぞ感」の正体



佐藤 ぼくはね、記憶力がほんと悪くて。
いろんなことを
どんどん知識として記憶していくのが、
得意な人とそうじゃない人って
やっぱりいるじゃないですか。
で、ぼくは得意じゃなかった。
何も知識として残らないっていうかね。
ま、覚えようという気持ちも、
ないからなんだね。
田中 覚えなくても、
できればいいじゃないですか(笑)。
佐藤 『海馬』にもあったけど、
自分が生きていくために、
それが必要だって思わないからさ、
たぶん知識が入っても
流れていっちゃうんだと思うんだけど(笑)。
あるときね、
知識っていらない、
あ、いらないっていうか、
あの、必要なものは、
自然と自分の中に残っていくんだから、と思って、
なんか楽になっちゃった。
田中 あー。
佐藤さんは、
常にニューラルに自分の状態を
おいておくということが仕事ですから、
ためている知識が少ない分だけ
頭の働きも身軽で、
いいアイデアが出てるんですよ、きっと。
記憶力の話と
今までの仕事の話はつながってますよ(笑)。
佐藤 印刷技術とかってね、
やればやるほどおもしろくなるわけですよ。
この色にどういうもの入れて、
この紙はこういうふうに刷って、
こうやってやるとこういう質感になるとか。
こういう表現をするときには、
この紙がいいんだとか、
そういうのがね、
知識として
通常どんどん蓄積されていくわけですよね。
ところが、僕の場合は、
覚えようとも思わないんですよ。
ほんとにひどいぐらい。
あ、だから、ときどき迷惑はかけるんですけど、
「これ、佐藤さん、こないだ言いましたよ」って、
「こないだやったじゃないですか」って
言われるんですよね。
田中 あまり怒られると困るでしょうけど(笑)、
それは、記憶は自分の仕事じゃないと、
きっと思ってらっしゃるからなんでしょうね。
佐藤 かなぁ。
「誰かに聞けばいいや」っていう
意識があるかもしれない。
田中 そういう知識は
外部化すればいい話ですもんね、
とにかく。
佐藤 あー、そうそう。
外部化することだと思うんですよ。
情報っていうのは、
すべて知る必要はなくて、
どこでこの情報が手に入るかということを
知っていれば、
知っている必要は
ないんだっていうことを
リチャード・ソウル・ワーマンっていう、
アメリカの情報デザインの巨匠が書いてた。
世の中も変わってるんだし、
新しい素材が生まれるかもしれないですか。
田中 そうですよね。
技術も進歩するし、と思ったら、
知識をためても安心できないわけですから。
佐藤 そう。
逆に、できないことを
知っちゃうっていうのは、
とても危険なことですよね。
あるときできるようになってる可能性もあるので。
だから、いつもどれだけ素人でいられるかって
いうところがありますよね。
それがいい、
自分にとってすごくいいんだな、っていうのは、
ま、とりあえずご飯が食べれて、っていう時に
もしかしたら自信になったかもしれないですね。
ご飯が食べれてるぞ、って思ったときから、
「それでいいんだ」と
思ったかもしれないですね。
田中 そう思われたのは、
会社を辞めて、
独立されてだいぶん期間が経ってからですか?
その「ご飯食べれてるぞ感」っていうのは。
佐藤 「ご飯食べれてるぞ感」はですね、
どうなんだろうな。
25才で会社入って、
28で辞めて独立したんですけど。
時代もね、84年に会社辞めたんで、
それからバブルに向かってったでしょう。
田中 ああ、ちょうど、
87年から90年にかけて、
バブルの波に乗られたんですね。
佐藤 だから、みんなご飯食べれてたですね、あの時代は。
だから、力があろうがなかろうが、
なにしろ仕事って山ほど世の中にあって。
だからね、その頃はね、逆に、
「ご飯食べれてるぞ感」っていうのはなくて。
むしろ、バブル崩壊後ぐらいですね。
だから会社を84年に辞めて、
10年近く後くらいですよね。
世の中のデザイン事務所が、
無くなっていったり、
広告費削減とかっていって、
やばいぞやばいぞ、ってなったときに、
商品開発関係の仕事って、
自分の仕事の量って、
ぜんぜん減らなかったんですよ。
メーカーって、
どんな時代でも
物はつくんなきゃならないんで。
で、そのときに、
「あれ?待ってよ?
 ちょっと待ってよ?ご飯食べれてるぞ」
ていうね(笑)。
田中 そのときにはじめて実感できたんですか。
佐藤 世の中がバブルがはじけて、不況になってるのに、
「ご飯食べれてるぞ」って気づいた。
「自分は」というよりも、
クライアントの話をよーく聞いて、
何を困ってるんだろうか、って聞いてね、
それに対してこたえていることが、
「もしかすると
 これはいいことなのかな?
 ご飯が食べれるってことなのかな?」とか
っていうのは、
そのあたりの時期に思いましたね。
田中 景気が良いというのは、
三流四流の人がご飯を食べれることで、
不況っていうのは、
一流の人しか食べれない時代だと
聞いたことがあります。
佐藤 いや、一流かどうかっていうのはね、
自分のことっていうのは、
自分がいちばんわかんないと思うんですよ。
ただ、「ご飯が食べれてるぞ感」って、
独立した人は
どこかで思うんだよね、たぶんね。
田中 よくフリーの方がおっしゃるには、
銀行が金貸してくれるようになると、
「ご飯が食べれてるぞ感」がしたとか、
現象的な話もありますよね(笑)。
佐藤 人によって違うんだね。
「ご飯が食べれてるぞ感」って、面白いね。
なんか、「自分はプロなのかもしれない感」に
近いのかな。

ワンポイント考察

わたくしは、お米が好きですが、
勤め人なものですから、
会社から給料をもらっていると、
「ご飯が食べれてるぞ感」というよりも、
「ご飯の粒をもらってるぞ感」に近いですね。
なんかダイレクトに
「ご飯」を狩猟採取してないような気がします。
働くことと食べることの結びつきは、
動物としての確かさを
確認するようなところがありますね。

佐藤さんの発言に出てくる
リチャード・ワーマンの本は、
どれもお薦めです。
名著『情報選択の時代』は、
いま絶版のようですが、
『それは「情報」ではない。』
『理解の秘密』は、どちらもお薦めですよ。

2004-05-12-WED

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