江戸が知りたい。
東京ってなんだ?!

テーマ1 「明治の写真」

その1
明治時代は江戸と地続き?

田中 こんにちは、学芸員の田中です。



ほぼ日 はじめまして。明治時代が専門と聞いて
もっと年配の学芸員さんが
出てくるかと思っていたら、
お若いので驚きました。おいくつですか。
田中 28歳です。
ほぼ日 今回の展覧会は
田中さんが企画なさったんですよね。
田中 ええ、ぼくを含め、
3人の学芸員で企画しました。
今日は、まずは明治のお話ということで
明治担当のぼくが出てきました。
ほぼ日 よろしくおねがいします。
田中 よろしくおねがいします。
まずはこの写真、見てみてください。
ほぼ日 東京の昔の風景ですね。
田中 そうですね。
まず最初に、展覧会のプロローグとして、
東京の街並みって、近代になって
どう変わったんだろうっていうことを
お見せしたいなと思って。
江戸から東京に
移り変わる瞬間をとらえるのに
写真ってすごくたくさんのことを
語ってくれるんです。
ほぼ日 つまり、江戸の街のなかに
西洋風の銀座や築地あたりのムードが、
だんだん混じってきて‥‥。
田中 そうですね。
東京の風景っていうのが
出来上がっていくという感じですね。
ほぼ日 これは銀座4丁目?
和光のところですか?
田中 そうです。ちょうど、
左側が、いまの和光ですね。
ほぼ日 あ、じゃあ、この左手がワシントン靴店、
三越右が手前で、右奥に行くと松屋、
左奥が数寄屋橋。
田中 そうです。いまだと、そういうふうに
ショッピングの街っていう印象ですよね。
でも、もともと銀座って、
明治の初年は、新聞の街、
ジャーナリズムの街だったんですよ。

「日新真事誌」って、
イギリス人のブラックって人が
創刊した新聞社が、
いまの和光のところにありました。
ほぼ日 日本史で習いましたね!
田中 ええ、日本史で出ましたね。
民撰議院設立建白書を載せた新聞ですね。
ほぼ日 そうだ、そうだ。ありましたね。
田中 その新聞社の社屋があったところです
その後、朝野(ちょうや)新聞という
新聞社の社屋になります。
これは、江戸東京博物館の
常設展示室に復元されているので、
いつでもご覧いただけます。
ほぼ日 わあ、それはうれしいですねえ。
田中 ここを明治27年に、
服部時計店が社屋を買い取りまして、
時計塔を建てるんですね。
それが銀座名物になったんですけれども、
その後に、昭和7年に
現在の和光となるんです。
ほぼ日 この写真は、明治の何年頃ですか?
田中 明治5年から8年あたりです。
まだ、鉄道も走ってないんですよね。
ちょうどこの後に、レールが敷かれて、
馬車が引く「鉄道馬車」が
パカパカ走るようになります。
ほぼ日 あ、人力車が写ってますね。
田中 人力車がいっぱい待ってますよね。
この頃は人力車が、
東京の交通の主役でしたからね。
タクシーが出てくるまでは。
ほぼ日 車道と歩道がありますね!
そうか。その当時から、
銀座は、車道と歩道に
ちゃんと分かれてたんですね。
田中 それまで、江戸、東京の道って、
歩道と車道の区別があんまりなかったんです。
それで、相当、交通事故も
多かったということで、
次第にこのように、
車道と歩道に分かれていくわけですよね。

こちらの写真には、馬車が写ってますね。
銀座1丁目です。
ほぼ日 あ、ほんとだ。
田中 この右角の白い建物、伊勢勝という洋服屋さんが
入ってたんですけども、
まだ洋服って、ぜんぜん売れなかった。
着る人がいなかったので。
ほぼ日 特別な人しか着なかったんでしょうね。
田中 そこで店をたたんでしまって、
その後に読売新聞の
社屋になった場所です。
銀座がやはり東京の中でも
中心だった
ということでしょうね。

今日はここまで。
次回は、明治の写真パート2、
「擬洋風建築」についてお聞きしまーす!
お楽しみに!

2003-09-12-FRI

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