ほぼ日 |
田中さん、この写真のこの建物、変ですよ。 |
|
田中 |
第一国立銀行ですね。
これはね、よく言えば和洋折衷ですね。
で、まあ、擬洋風建築なんて言われます。
洋風に似てるんだけどちょっと違う、
似せてるんだけど似せきれなかった、みたいな。 |
ほぼ日 |
これは、こう設計したんですか?
それとも、こう、なっちゃったんですか? |
田中 |
これ、清水建設の元祖の
清水喜助が設計したものです。
彼はやはり、西洋建築を学びたかったというか、
でもまだ完全に西洋建築というものを、
習得していなかった。もともと大工だったので 従来の日本的な建築を織り交ぜて、
西洋っぽく見せた建築になったんですね。 |
ほぼ日 |
なんだろう? 天守閣みたいですね。 |
田中 |
そうですね、お城みたいな。 |
ほぼ日 |
でもこういう写真が残っているってことは
これは名所というか、
名物建築だったんですね? |
田中 |
そうですよね。
このへんの写真っていうのは、
おそらく、まだ、日本人は
あまり写してなかったものなんですよね、
なにしろ写真機材が高価でしたから。
おそらく、こういう写真は、
外国人が撮って、おみやげにしたような
ものだと思うんですよ。
それで、日本的なものの象徴として
こういうのを撮っていたんでしょうね。
たとえばこちらは、新橋ステーションですけれど、
今、汐留に復元されていますよね。 |
|
ほぼ日 |
日本初の鉄道が、
新橋・横浜間で開通したんですよね。 |
田中 |
そうですね、新橋は東京の、
表玄関の顔だったんですね。 |
ほぼ日 |
第一国立銀行、ディテールが和風ですよね。
このベランダのところとかも。 |
|
田中 |
あ、そうですね。
なんか神社仏閣みたいな感じですよね。 |
ほぼ日 |
細部が和ものになっちゃう。
全体を西洋にしたいのに、細かいところが。 |
田中 |
ディテールを見てみると、
和のエッセンスが、
どうしてもちりばめられています。
この建築っていうのも、
明治の後期になっていくと変わります。
帝国大学の建築学科を出たような、
完全に西洋建築の模倣ができる建築家が出現すると
こういう擬洋風建築は、
どんどん取り壊されて、
逆にもう、批判の対象にされるんですよね。 |
ほぼ日 |
まあ、僕らが今見るから面白いのであって、
当時のインテリには
我慢ならないものだったのかもしれませんね。 |
田中 |
インテリの人、西洋建築を、
実際に外国に行って学んできた人が見れば、
なんかヘンテコなもん作りやがって、
みたいな印象だったと思うんですよ。 |
ほぼ日 |
それで消えてくんですね、こういう建築は。 |
田中 |
「擬洋風」という言葉にも、
批判の気分が込められているんでしょうね。 |
ほぼ日 |
ちょっと馬鹿にして。 |
田中 |
そうなんですね。はい。 |
ほぼ日 |
この写真の建物も、
和洋折衷ですね。 |
|
田中 |
右の土蔵造の店は
もともと資生堂が入ってたんですよ。
その左が、三井銀行です。
やはり面白いのは、
この三井の建物、
上にシャチホコが付いてるんですよ。 |
ほぼ日 |
あ、ほんとだ!
洋風建築の上に。 |
|
田中 |
やっぱお城の感覚ですよね。
てっぺんにシャチホコって。 |
ほぼ日 |
パワーの象徴なのかな。 |
田中 |
逆に言えば、西洋に迎合しなかったと
言えないこともないんですが。 |
ほぼ日 |
どうしても、最後にこれを
乗せずにはいられない何かが、魂が、
旧世代の建築家にはあったのかも。 |
田中 |
このシャチホコがあるのとないのとでは、
印象がずいぶん違いますよね。
シャチホコだからこそ、
まだ日本だぞ、みたいな。 |
ほぼ日 |
明治10年代の写真ということは、
江戸に生きていた人のはずだから、
建築家は。 |
田中 |
そうですよ。だから、まあ、
やっぱり完全に西洋に心酔とかは
してないと思うんですよ。 |
ほぼ日 |
してないですよね。江戸時代を憶えてる人が
作ってるんですもんね。そりゃ混じりますよね。
施工したのも、江戸の大工さんですよね、きっと。
でぇく。 |
田中 |
でぇく(笑)。
ちなみに、三井銀行と道を挟んで
三井の、越後屋の店(たな)が
ダーッとこう、あるわけです。 |
ほぼ日 |
時代劇で「越後屋、おぬしも‥‥」の
あの越後屋ですか! |
田中 |
それは時代劇のなかの話ですけど(笑)、
三井の越後屋というのがあったんですね。 |
ほぼ日 |
三井の越後屋‥‥あ、「三越」! |
田中 |
そうです。縮めて三越です。
三井組の三、越後屋の越です。
もともと三井っていうのは、
両替職でお金を扱ってましたよね、
江戸時代から。それの他にも、
呉服を扱う越後屋ってお店があった。
呉服部門と、銀行業務とがあったわけです。
でも、やはり、呉服はそんなに
商品として売れなかったんですよね。
やはり銀行業務のほうがうまかった。
で、営業不振の呉服部門は、
三井の、本家としては、切り離して、
三越呉服店っていうふうに、
別会社みたいにしたわけですよね。
それで三井は、銀行も物産もあるし
営業利益も上がるから、どんどんがんばろうと。
でも、三越呉服店としても、
このままじゃいかん、ということで、
いろんな改革をして、明治38年に
「デパートメントストア宣言」をして、
百貨店へと生まれ変わっていくわけです。 |
ほぼ日 |
はぁ〜! それがいまの三越! |
田中 |
それまでって、お客さんが来ると、
「座売り」っていいまして、
座敷に上がって、奥から反物を持ってきて、
商談をするという商売だったんですが、
それじゃいかん、と。
もっと気軽に来れるように、っていうんで、
ショーウィンドウケースに並べるんです。 |
ほぼ日 |
デパートだ! |
田中 |
そうです、デパートメントストアで、 自由に見て歩いて、
好きなものを注文するという形式に
変えるわけですよね。 |
ほぼ日 |
三越が最初にやったわけですか。 |
田中 |
最初ですね。
そういうショーウィンドウ展示は、
もう、別に、来ても、
買わなくてもいいんですよ。
見て帰って、それでいいと。
今まではそういう座売りだったから、
いろいろ、後ろから持ってきて、
手数料とかかかったわけですよ。
店員さんによっては、
値段もちょっと変わったりとか。
三越ではちょっとそのへんも
改革しようということで、
デパートにしたわけですよね。 |
ほぼ日 |
そうか、それまでは、
アジアから中東的な売り方ですね。
インドに行って絨毯屋さん行くと、
ぜんぶそっち系ですもんね。
商習慣が。 |
田中 |
交渉次第で、安くもなるけど、
人によっては高くなって、
その手数料は自分のものに、
っていうふうに。 |
ほぼ日 |
「定価」という考え方ではなかったんですね。 |
田中 |
お客さんとしては定価のほうが
買いやすいですよね。 |
ほぼ日 |
そうですよね、より多くの人が。 |
田中 |
より多くの人が、多くの商品を
ショーウィンドウで見て
好きなものを買えるわけですから。
そして三越は、流行を自ら作りだそうと、
提案を始めるんです。 |
ほぼ日 |
そうか、ディスプレーができるから! |
田中 |
そうですね、ディスプレーをして、
ショーウィンドウを作って、
これが新しい流行の柄ですよ、
っていうふうにすれば、
みんなが「あ、これが流行ってるのか」
と思って買いに来るわけですよね。 |
ほぼ日 |
呉服屋が、宣伝のためのメディアを
店舗と同時に持ったってことですね。 |
田中 |
当時、出版物とかチラシとか、
そういうものが、まだなかったんです。
なので、どうやって
流行をつくりだしたかというと、
ショーウインドウのほかに、
新橋とかの芸者さんに、
自分のところがこんど新しく
作った着物を着させていたんですよ。 |
ほぼ日 |
ファッションリーダー! |
田中 |
そうそう、ファッションリーダーを
お願いしていたんですね。
それを見たら、
「あ、ちょっときれいないいもの
着てるじゃない?」
みたいなことで。 |
ほぼ日 |
「あれ、どこで買ったのかしら?
まあ、三越ですって」
というふうになるわけですね。 |
田中 |
それでみんな三越に買いに来る、と。 |
ほぼ日 |
それを思いついた人がいたんですね! |
田中 |
三越を改革した人がいるんですけども、
もうやはり、アメリカ式というか、
西洋式でやらないと駄目だということで。 |
ほぼ日 |
学んできたんですか? |
田中 |
学んできて。はい。 |
ほぼ日 |
「広報」とか「宣伝」って考えだよね。
きっと、なかったですよ、呉服屋さんの時代には。 |
田中 |
そうですね、それまで、来たら見せてやるよ、
みたいな感じだったんですけど、
攻めの戦略に変わっていったんですね。 |
ほぼ日 |
三越に日本の流行発信の嚆矢あり。 |
田中 |
時代背景も、よかったんですね。
流行を作りだしても、買う人間と
お金がなくては、
やっぱりどんどん次から次へと
買い替えられないですよね。
このころ、ちょうど日露戦争が起って、
日本もどんどん景気も良くなって。
景気が良くなれば、商品も売れる。
商品も売れれば次々と流行も生まれる。
こういう戦略が、時代にも合ってたんでしょうね。 |
ほぼ日 |
なるほど! |
田中 |
これがもうちょっと前だと、
たぶんなかなか買ってくれなくて、
流行も生まれなかったと思います。 |
ほぼ日 |
そういうものの流れが、
今回の展覧会で
ぜんぶ見れるということですよね? |
田中 |
そうですね、大正になったら
「モガ」(モダンガール)も、
その先の流行へと続いていきます。
ばらばらに見えることが、
じつは、繋がりがあるんだということが
今回の展覧会でわかっていただけるかなと
思いますよ。 |