ほぼ日 |
今日は、「東京流行生活展」で
かなり大きな展示スペースをさいていた
「銘仙」についてお聞きしますね。
前に三越の広告の「新案家族衣裳合はせ」で
女中さんの着物に
「銘仙」って書いてありましたよね。 |
小山 |
そうでしたね。これですね。 |
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ほぼ日 |
ということは、カジュアル‥‥
っていうのともちがうけれど、
奥様とかお嬢様とかのところではなくて
お女中さんのところに
銘仙が出て来たということは、
普段着みたいな感じなのかなと
思ったんです。 |
小山 |
ふむふむ。 |
ほぼ日 |
それから、じつはこの間、
「東京流行生活展」を
糸井と一緒に回ったんですけど、
その時にこの「銘仙」に
感激していたんですね。
強いインパクトを残すものって、
「一生懸命やらざるを得なかったもの」
ならではの迫力と面白さがあるって。 |
小山 |
なるほど。 |
ほぼ日 |
糸井の推理では、
このデザインは、銘仙が生まれた
群馬の伊勢崎の人たちが
一生懸命やったんじゃないかな?
って。
デザインソースは外国の流行で、
それを取り入れたんじゃないかって。
とにかく作ろうと思って
一生懸命作ったものが
こういうふうにインパクトを残す
ものになったんじゃないのかな? って。
さて、実際どうなんでしょう!? |
小山 |
コホン、では、実際の話を。 |
ほぼ日 |
ぜひ、してください! |
小山 |
「新案家庭衣裳合はせ」に
載っていることでわかるように、
明治の頃から「銘仙」っていうのは
主要な百貨店の、主力商品だったんです。
お女中さんの第一位に来てるくらいなので、
もう売れていたんですね。この頃から。 |
ほぼ日 |
明治の終わりですね。 |
小山 |
その資料はそうですね。
実際は明治の中頃から
売り始められていたんじゃないかと
いう話なんですけれども。 |
ほぼ日 |
展示してある銘仙は、
どれも強烈なデザインでしたね。
最初から、インパクトの強い
織物だったんですか? |
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小山 |
違うんです。
最初は柄とかも非常に地味で
奥様とかお嬢様が着るものではないと。
いわゆるボロ糸というんですか、くず糸。 |
ほぼ日 |
ダマができちゃったみたいな? |
小山 |
ボツボツになった絹の糸。
絹の糸ってやっぱり、高級なものは
細くてまっすぐで
すごくツヤツヤな感じですよね。
でも初期の銘仙っていうのは
そういう糸じゃなくって、
もう本当にボソボソの糸で
作っていたこともあって。 |
ほぼ日 |
絹は絹でも‥‥ |
小山 |
劣るというか。だから普段着として
着られていたんですね。
そういう意味で女中さん向けだったんです。 |
ほぼ日 |
なるほどね。
「新案家庭衣裳合はせ」の時代、
明治の終わり頃は、
そうだったんですね。 |
小山 |
それが大正時代に入って変わるんです。
だんだん丈夫な糸で
織られるようになったこともあって。
生地自体が丈夫になった。
ちょうどその頃、
女の人たちがどんどん
活発になっていきます。
外に出て行く機会というのも、
もちろん働きに行くようになったり、
女学生なんかは学校に着て行ったりとか、
あとはちょっとしたよそ行きとしても
着られていくんです。 |
ほぼ日 |
そっか! |
小山 |
銀座の街を歩くっていうことを
どんどんみんながやり始めていて、
その歩くっていう行為は
そんなよわよわっとした
本当のおしゃれ着よりも、
ある程度丈夫であるほうがよかった。 |
ほぼ日 |
なるほど! |
小山 |
それでだんだんと人気が出始めて、
大正末期から昭和前期、
戦前まで、非常に多くの人に
着られていたんです。
考現学の今和次郎の調査っていうのが
あるんですけども、
大正14年の5月の銀座で
一番女の人が着ていたのが、
洋服でもなく友禅でもなく
銘仙だったんです。 |
ほぼ日 |
どのくらいの割合だったんですか? |
小山 |
羽織と着物を合わせると
51%という結果が出ています。
で、多分おそらくこの当時、
銘仙っていうのは非常にいろんな
バリエーションが出て来ていて、
生地がフワフワっとした感じのものも
あったんですね。
だから、今和次郎たちが見落としたけれど
実は銘仙だった着物もあるかもしれない。
それを考えると、
たぶんおそらくもっと実数的には
多かったんじゃないかと思うんです。 |
ほぼ日 |
パッと見て銘仙って分かんないけど
実は銘仙だみたいなものが
あったんじゃないかとか。 |
小山 |
そうなんですよ。
というのも、大正の後期から
昭和の何年かまでの10年間の
統計を見たんですけども、
銘仙っていうのがだいたい1億反。 |
ほぼ日 |
ええっ? 1億? |
小山 |
ぜーんぶ合わせて
1億反も売れていたんです。 |
ほぼ日 |
すっごーい!!!
1億反っていう数でびっくりしてますけど、
実際想像がつかない数字です。一億反。 |
小山 |
ユニクロのフリースが
すごく売れた売れたって
言われてた時でも、
1年間に2500万着なんですね。
それを考えたら、
人口が今より少ない時の
1億反っていうのは
10年間でとしても、
1年に1000万反。
凄い数字だと思うんですよ。 |
ほぼ日 |
ひとりの人がたくさん
持ってたっていうことですか?
安かったのかな? |
小山 |
そうなんですよね。
糸が粗くて劣るってことは、
要は値段が非常に安いということで、
一般の人がどんどん
買うようになったんです。 |
ほぼ日 |
あの、ごめんなさい、
初歩的な質問をしますけれど
そもそも銘仙っていうのは
ブランド名じゃないですよね。
カテゴリー名?
一個の会社が作ってたんですか? |
小山 |
いえ、伊勢崎とか足利とか
関東地方を中心とした
あの地域で作っていた平織り、
普通に織った絹織物のことを
「銘仙」って言うんです。 |
ほぼ日 |
そのことを言ったんだ。
じゃあ別に登録商標って訳でもないし、
例えばエルメスみたいな
意味ではないんですよね。 |
小山 |
ないんですね。そうなんです。 |
ほぼ日 |
どっちかっていうと
「フリース」、みたいな
生地のことを言ってる訳ですね。。 |
小山 |
生地ですね。そうです、そうです。
で、まあその中でも一番多く生産してたのが
群馬県の伊勢崎だったので、
今回は伊勢崎にスポットを当てたんです。 |
ほぼ日 |
小山さんが集めてきたんですってね。 |
小山 |
いきなりお電話をかけまして、
今度「東京流行生活展」っていう
展覧会をやるので、
何かそちらに着物とか
そういったものはありませんかって。
で、びっくりされちゃって、
「ええっ? うちにそんなのあるかなあ」
とかって。 |
ほぼ日 |
ちょっと忘れられかけてたんですね。 |
小山 |
でもまあとりあえず
古いものはあるから来るだけ来なさいっ、
ていうふうに言われたので、
伊勢崎に行ってみたらですね、
一番最初に見せられたのは
今回、いっぱい展示してある
布見本なんです。 |
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ほぼ日 |
標本みたいでした。 |
小山 |
あれ、見本帳なんです。
もともとは本になっていて、
素敵な生地がいっぱいあるので、
ばらばらにして展示することに
なったんですよ。
あれは私の、
一番最初に見せてもらったときの
感激をそのまま展示しているんです。 |
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ほぼ日 |
迫力ありますよね!
お客さんの様子を見ていたんですが、
高齢のおばあさまに近いおばさまたちが
「母が着てたわ」とか
「祖母の着物の柄でこういうの覚えてるわ」
とかね、話してましたね。 |
小山 |
懐かしがっていただけたかな。 |
ほぼ日 |
あとね、
「今考えてもモダンよね」
ってびっくりしてました。
たしかに、今ないデザインですね。
ちょっと独特ですよね。 |
小山 |
そうなんです。 |
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ほぼ日 |
あ、でも、
ちょっと待ってください。
ってことはこういうデザインって
最初からじゃなかったってことですか。
最初は地味だったって。 |
小山 |
そうなんですよ。
やはりこういうデザインっていうのは
昭和のモダンな時期に作られた
デザインなんです。
明治の時は地味な感じだったんです。 |
ほぼ日 |
ちょっと質が落ちるけど
丈夫で地味な着物だったんだ(笑)。 |
小山 |
もちろん昭和の頃も
そういった渋めのものも
作られていたんですけれども、
若い女性とか中年の女性くらいまでは
こういった華やかなものが
流行してたんです。 |
ほぼ日 |
これ、分かった!
ジーンズだ!
ジーンズって最初は労働着ですよねえ。
西部開拓時代の炭坑夫の。 |
小山 |
はいはいはい。 |
ほぼ日 |
で、当然丈夫ですよねえ。
最初はおしゃれじゃなかったんですよ。
でもあれもどっかで転換が起きて、
今でも作業着でありながら、
おしゃれなものになったじゃないですか。
それだ! 大正昭和の
女性のジーンズだ、これ。 |
小山 |
なるほど(笑)。
おもしろいです。
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