ほぼ日 |
戦争が終わって、
また、日本人ってね、
調子に乗りやすいというか‥‥。
紙の次は、
“ジュラルミン”のブームがやってくるんですね。 |
新田 |
この、変わりっぷりは、すごいですよね。
戦時中は鉄が使えなかったので、
いかに、鉄瓶を土瓶らしく陶器で作るのか、
というようなことをやってきたかと思いきや、
戦後になると
ジュラルミンという航空機用の資材で、
生活用品を作っていくという‥‥。 |
ほぼ日 |
これは、要するに、戦争が終わって、
飛行機が作れなくなっちゃったから、
ジュラルミンが余っちゃったというわけですね。 |
新田 |
はい。
あり余っていたジュラルミンで、
いろんなものを作るんですけど、
やっぱり、よほど南部鉄瓶が
好きだったんでしょうね。 |
ほぼ日 |
また作っちゃいました、
南部鉄瓶(笑)。 |
*ジュラルミン瓶 |
新田 |
例の、ツブツブツブっていう、
表面の加工もちゃんとして。 |
ほぼ日 |
ほんとだ!(笑) |
新田 |
この表面のツブツブがあるとないとじゃ、
お湯を沸かす気分が
えらい違ったんでしょうね。 |
ほぼ日 |
それこそさ、普通のやかんでいいじゃないか
っていう気がしますが(笑)。
下駄までジュラルミンですよ! |
*ジュラルミン製下駄 |
新田 |
この下駄、“ジュラ下駄”なんて呼ばれて、
当時、大ヒットしたらしいですよ。 |
ほぼ日 |
おしゃれなものとして
ヒットしたんでしょうかね。 |
新田 |
木で作るよりも、楽に作れたから、
大量生産できたということもあるのでしょう。
しかも、ジュラルミンは、
たくさん残ったんですね。
代用品の後に、余った軍需物資を
再利用するっていう
考え方だったんでしょうけど、
それのいちばん原初的なタイプが、
“砲弾型灰皿”。
ただ単に、砲弾の上の部分を切り取って、
そのまま灰皿にしたものです。
こういう発想から始まって、
ジュラルミン製品が
作られるようになったんでしょうね。 |
*砲弾型灰皿 |
新田 |
あと、“敗戦パイプ”と呼ばれた、
パイプがあるんですけど‥‥。 |
*敗戦パイプ |
ほぼ日 |
負けた戦争のパイプってことですか? |
新田 |
ええ。
銃の、銃弾とか銃身を加工して、
パイプの形にしているという。
これ、何点か展示してありますけど、
こういうのも戦後流行りました。 |
ほぼ日 |
じゃあ、それこそほんとうに、
戦争で実際に使われていたものを転用して
日常品にしていたんですね。 |
新田 |
はじめはそういうものが多かったんですが、
ジュラルミンを加工しだすと、
どんどん加速していって‥‥。 |
ほぼ日 |
自転車とか‥‥。 |
*フレームにジュラルミンを使用した自転車 |
新田 |
ジュラルミンは航空機の資材だから、
自転車にするにも、丈夫で良かったんでしょうね。
この自転車は、
三重県の津市の三菱重工の工場で
作っていたんですよ。 |
ほぼ日 |
かっこいいですね。 |
新田 |
もともと三菱重工業は、
飛行機を作っていた会社なので、
まさに余った資材と技術を
日用品に転用したっていう例です。 |
ほぼ日 |
ところで、この、パン焼き器は、
こんな時代にヒットしたんですか? |
*ジュラルミン製パン焼き器 |
新田 |
戦時中は、食べ物をはじめとする物資は、
配給って形で
なんとか行き渡っていたんですが、
戦後になると、
それまで大陸にいた人たちが、
いっぱい帰ってきて、
都市は、食料不足で、
どうにもならない状態になっていたんですね。
でも、その中でも、
アメリカからの援助物資で、
コーンスターチとか小麦は
比較的手に入りやすかったので、
パンを食べるという習慣が、
根付いたんですよ。 |
ほぼ日 |
パンは、みんな食べていたようですね。
展示室で、年配のご婦人たちが、
「昔、お家にあった」と言っていましたよ。 |
新田 |
パン焼き器に関しては、
このジュラルミン製と、
木製の、電化パン焼き器というのが
流行ったみたいです。
戦後の物資が不足してた時代に、
ガス管がいたるところで断絶していたので、
ガスは使えず、
薪や炭も、前よりは
簡単に手に入らなかったそうですが、
電気は、比較的通っていたんです。
電線を、焼けたトタン板かなんかに
くっつけて、
液体を入れると、
電気が通るじゃないですか。
それで、暖めて
パンを焼くっていうような
原初的な方法をとっていたんですね。 |
ほぼ日 |
そういえば、うちの母も、
その方法のパン焼き器を
アイロンの箱で作ったって言ってました。 |
新田 |
そういう原初的なものも、
徐々に、装飾的で
凝ったものになっていきました。 |
*ジュラルミン製タイピン |
ほぼ日 |
タイピンですか。
ぺイズリー型なんですね。 |
新田 |
ええ。
ジュラルミンって、
遠目だと、
灰色にしか見えないんですけど、
展覧会に展示する物を
検討していたときに、
一番、びっくりしたのは、
この手あぶりなんですよ。 |
*ジュラルミン製手あぶり
*手あぶりの葡萄の柄 |
新田 |
これ、小さな火鉢で、
個人用の暖房具なんですけど、
よく見ると、
葡萄の柄があしらわれています。 |
ほぼ日 |
凝ってますねえ。 |
新田 |
ギリシアあたりの文様でしょう。
ジュラルミンで作った、
ありあわせのものなんだから、
別に、そんなに凝った模様にしなくても
いいと思うのですが、
やはり、何かを表現したいという
衝動があったんでしょうね。 |
ほぼ日 |
これ、いまあったら、アートみたいですね。
軍需物資を転用したものとはいえ、
おしゃれなものが多いですよね。 |
新田 |
そうですね。 |
ほぼ日 |
こういうものが
戦後、だんだんとなくなっていきましたね。
これから先は、戦争がないから、
突然もう何かが起こるってことは
なかったんですよね。
徐々に消えていったり、
何かに取って代わったり
してきたんでしょうね。 |
新田 |
そうでしょうね。
その中でも、江戸時代からつづき、
昭和初期、そして戦後まで残った
ヒット商品もあるので、
最後に紹介しましょう。 |
*貝製のしゃもじ |
ほぼ日 |
貝のしゃもじですね。 |
新田 |
これはけっこう、
戦後まで使われていました。 |
ほぼ日 |
これは、便利だし、おしゃれですね。
いまでも、高級な鍋料理のお店などで、
この貝のしゃもじを見かけますよね。 |
新田 |
この貝のしゃもじなんかは、
代用、すなわち、
ある資源を有効に使おうっていうことの
象徴的なものですね。
今回、紹介してきた、
戦中の代用品から
戦後のジュラルミン製品まで、
この時代は、
ほんとうに、いろんなグッズが
開発されています。
戦中や戦争直後というのは、
物資が不足していて、
貧困で暗い時代っていうふうに
とらえられていますが、
大きな考え方としては、
それこそが真実だと思うんですけど、
その中にも、多様性があったんだなあ、と
今回の展示を通して、思いましたね。
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