江戸が知りたい。
東京ってなんだ?!

テーマ7 〜戦中から戦後へ〜
代用品とジュラルミン。

その3.そして、戦争が終わり‥‥
    紙からジュラルミンへ!

ほぼ日 戦争が終わって、
また、日本人ってね、
調子に乗りやすいというか‥‥。
紙の次は、
“ジュラルミン”のブームがやってくるんですね。
新田 この、変わりっぷりは、すごいですよね。
戦時中は鉄が使えなかったので、
いかに、鉄瓶を土瓶らしく陶器で作るのか、
というようなことをやってきたかと思いきや、
戦後になると
ジュラルミンという航空機用の資材で、
生活用品を作っていくという‥‥。
ほぼ日 これは、要するに、戦争が終わって、
飛行機が作れなくなっちゃったから、
ジュラルミンが余っちゃったというわけですね。
新田 はい。
あり余っていたジュラルミンで、
いろんなものを作るんですけど、
やっぱり、よほど南部鉄瓶が
好きだったんでしょうね。
ほぼ日 また作っちゃいました、
南部鉄瓶(笑)。

*ジュラルミン瓶
新田 例の、ツブツブツブっていう、
表面の加工もちゃんとして。
ほぼ日 ほんとだ!(笑)
新田 この表面のツブツブがあるとないとじゃ、
お湯を沸かす気分が
えらい違ったんでしょうね。
ほぼ日 それこそさ、普通のやかんでいいじゃないか
っていう気がしますが(笑)。
下駄までジュラルミンですよ!

*ジュラルミン製下駄
新田 この下駄、“ジュラ下駄”なんて呼ばれて、
当時、大ヒットしたらしいですよ。
ほぼ日 おしゃれなものとして
ヒットしたんでしょうかね。
新田 木で作るよりも、楽に作れたから、
大量生産できたということもあるのでしょう。
しかも、ジュラルミンは、
たくさん残ったんですね。
代用品の後に、余った軍需物資を
再利用するっていう
考え方だったんでしょうけど、
それのいちばん原初的なタイプが、
“砲弾型灰皿”。
ただ単に、砲弾の上の部分を切り取って、
そのまま灰皿にしたものです。
こういう発想から始まって、
ジュラルミン製品が
作られるようになったんでしょうね。

*砲弾型灰皿
新田 あと、“敗戦パイプ”と呼ばれた、
パイプがあるんですけど‥‥。

*敗戦パイプ
ほぼ日 負けた戦争のパイプってことですか?
新田 ええ。
銃の、銃弾とか銃身を加工して、
パイプの形にしているという。
これ、何点か展示してありますけど、
こういうのも戦後流行りました。
ほぼ日 じゃあ、それこそほんとうに、
戦争で実際に使われていたものを転用して
日常品にしていたんですね。
新田 はじめはそういうものが多かったんですが、
ジュラルミンを加工しだすと、
どんどん加速していって‥‥。
ほぼ日 自転車とか‥‥。

*フレームにジュラルミンを使用した自転車
新田 ジュラルミンは航空機の資材だから、
自転車にするにも、丈夫で良かったんでしょうね。
この自転車は、
三重県の津市の三菱重工の工場で
作っていたんですよ。
ほぼ日 かっこいいですね。
新田 もともと三菱重工業は、
飛行機を作っていた会社なので、
まさに余った資材と技術を
日用品に転用したっていう例です。
ほぼ日 ところで、この、パン焼き器は、
こんな時代にヒットしたんですか?

*ジュラルミン製パン焼き器
新田 戦時中は、食べ物をはじめとする物資は、
配給って形で
なんとか行き渡っていたんですが、
戦後になると、
それまで大陸にいた人たちが、
いっぱい帰ってきて、
都市は、食料不足で、
どうにもならない状態になっていたんですね。
でも、その中でも、
アメリカからの援助物資で、
コーンスターチとか小麦は
比較的手に入りやすかったので、
パンを食べるという習慣が、
根付いたんですよ。
ほぼ日 パンは、みんな食べていたようですね。
展示室で、年配のご婦人たちが、
「昔、お家にあった」と言っていましたよ。
新田 パン焼き器に関しては、
このジュラルミン製と、
木製の、電化パン焼き器というのが
流行ったみたいです。
戦後の物資が不足してた時代に、
ガス管がいたるところで断絶していたので、
ガスは使えず、
薪や炭も、前よりは
簡単に手に入らなかったそうですが、
電気は、比較的通っていたんです。
電線を、焼けたトタン板かなんかに
くっつけて、
液体を入れると、
電気が通るじゃないですか。
それで、暖めて
パンを焼くっていうような
原初的な方法をとっていたんですね。
ほぼ日 そういえば、うちの母も、
その方法のパン焼き器を
アイロンの箱で作ったって言ってました。
新田 そういう原初的なものも、
徐々に、装飾的で
凝ったものになっていきました。

*ジュラルミン製タイピン
ほぼ日 タイピンですか。
ぺイズリー型なんですね。
新田 ええ。
ジュラルミンって、
遠目だと、
灰色にしか見えないんですけど、
展覧会に展示する物を
検討していたときに、
一番、びっくりしたのは、
この手あぶりなんですよ。

*ジュラルミン製手あぶり


*手あぶりの葡萄の柄
新田 これ、小さな火鉢で、
個人用の暖房具なんですけど、
よく見ると、
葡萄の柄があしらわれています。
ほぼ日 凝ってますねえ。
新田 ギリシアあたりの文様でしょう。
ジュラルミンで作った、
ありあわせのものなんだから、
別に、そんなに凝った模様にしなくても
いいと思うのですが、
やはり、何かを表現したいという
衝動があったんでしょうね。
ほぼ日 これ、いまあったら、アートみたいですね。
軍需物資を転用したものとはいえ、
おしゃれなものが多いですよね。
新田 そうですね。
ほぼ日 こういうものが
戦後、だんだんとなくなっていきましたね。
これから先は、戦争がないから、
突然もう何かが起こるってことは
なかったんですよね。
徐々に消えていったり、
何かに取って代わったり
してきたんでしょうね。
新田 そうでしょうね。
その中でも、江戸時代からつづき、
昭和初期、そして戦後まで残った
ヒット商品もあるので、
最後に紹介しましょう。

*貝製のしゃもじ
ほぼ日 貝のしゃもじですね。
新田 これはけっこう、
戦後まで使われていました。
ほぼ日 これは、便利だし、おしゃれですね。
いまでも、高級な鍋料理のお店などで、
この貝のしゃもじを見かけますよね。
新田 この貝のしゃもじなんかは、
代用、すなわち、
ある資源を有効に使おうっていうことの
象徴的なものですね。
今回、紹介してきた、
戦中の代用品から
戦後のジュラルミン製品まで、
この時代は、
ほんとうに、いろんなグッズが
開発されています。
戦中や戦争直後というのは、
物資が不足していて、
貧困で暗い時代っていうふうに
とらえられていますが、
大きな考え方としては、
それこそが真実だと思うんですけど、
その中にも、多様性があったんだなあ、と
今回の展示を通して、思いましたね。

新田さんもおっしゃっているように、
実際に展示されている戦時中の代用品を見ていると、
これまで持っていた、
その時代に対する印象が大きく変わりました。
ぜひ、みなさんにも、実際に足を運んで、
見ていただきたいなあと思います!

さて、次回は、時代もすすみ、
昭和40年代の“花柄模様”を特集します!
「ああ!昔、家にあった花柄のポットだわ!!」
なんて、なつかしく思われる方も
たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
どうぞ、お楽しみに〜!!

2003-10-29-WED

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