江戸が知りたい。
東京ってなんだ?!

テーマ8 花柄が流行った!

昭和の家庭は、家中にお花があふれてた!?

今回は1回かぎりで、
ちょっと不思議な流行を追います。
「花柄」です。
花柄というのは、ファッションの世界では
永遠のモチーフなんですけれど
それが「家庭用品」に進出した一時代がありました。
食器、鍋・やかん、魔法瓶、炊飯器など、
台所を中心に、まるでお花畑みたいになっちゃった
時代があったのです。
なぜ花柄があっと言う間に日本中を席巻したのか!?
学芸員の新田さんに、考察していただきました。


ほぼ日 展示のクライマックスに
花柄の洪水がありますよね。
だんだん戦後の
豊かな時代になってって、
家電とかテレビとかが
展示されている先に、
一面、花柄の世界が出るんですよ(笑)。
あれを見て、昭和53年生まれの
うちの松本は
「きれーい!
 今見るとおしゃれですよね」
って言ったんですが、
僕(武井)は昭和41年生まれなので、
おしゃれっていうよりも、
ちょっと嫌な懐かしさがあるんです。
あ、家中こうだったなぁ、って。
新田 (笑)。
ほぼ日 小っちゃいころ、
ずっと疑問に思ってました。
なんでこんな柄ばっかりなんだろう?
って。
糸井も言ってたんですけど、
中国って今これだね、って。
現代の上海とか北京の都会は
違ってきたと思うけれど‥‥。
でも、昭和40年代の東京で、花柄が、
なんでこんなにものすごい
大ブームになったんでしょう?
新田 魔法瓶というのがひとえに、
台所の中を花柄にする
きっかけになったって
いわれてるんです。
ほぼ日 魔法瓶!
お湯を保温するポット。
新田 魔法瓶というのは、
もうそれこそ戦前から
あったものですけど、
だんだん安くなってきて、
家庭に1コどころか、
2コ3コっていう時代に
なりつつあった。
買いたし・買い替え需要を高めるために
ボタンを押すとフタが開くとか、
いろんな機能を付けてた時期なんですけど、
それでもなかなか打ち止まりだった。
そんな時期、昭和41年、
ナショナル魔法瓶って会社が、
初めて花柄のポットを出すんです。
ほぼ日 魔法瓶って専業のメーカーが
あるんですよね。
新田 そうですね。
魔法瓶のメーカーには、
ガラスの加工技術がいるんですね。
職人が魔法瓶作りますんで。
その職人さんたちを抱える町工場が
固まっているのが大阪なんです。
だから、魔法瓶メーカーって、
ほとんどが大阪。
ほぼ日 はぁ!
新田 で、やっぱり関西という土地柄、
他社が1発ヒットを当てたら、
自分のところはもっといい花柄を、
というように競争していくんですね。
ほぼ日 そういう競争の文化、
商売の土壌があるんですね。
新田 で、一気に花柄が流行ったんです。
ほぼ日 東京的っていうよりも、
関西のものなんだ、これって。
新田 ルーツが、もう完全に関西ですね。
ほぼ日 それが日本中を席捲しちゃったんだ。
新田 ええ。はじめは、
着物っぽい柄の花柄でした。
ほぼ日 「エールポット」っていう、
紺地にカトレアの大輪の花が
描かれていますね。
新田 カタログに載せてるなかで
いちばん古いのは、昭和42年の
ジャー「幸」(さいわい)なんですが、
こういうものが、徐々に、
東京の市場にも顔を出してくるんです。
東京ではあんまり花柄って
同時期、同時代的には
ヒットしなかったんですよ。
ほぼ日 やっぱり!
なんかそれ、わかる気がします(笑)。
新田 その頃の広告を見ると、
象印もタイガーも、木目なんです。
木目の、ちょっと北欧調っぽい柄が、
東京の市場では人気があった。
ほぼ日 そっちのほうがセンスいいですよ(笑)。
昭和41年って、ビートルズ来日ですよね。
その前に東京オリンピックがあって、
高度経済成長の世の中で。
そんな時代背景の東京で、
この大量の花柄が、
いきなりブームになったとは
ちょっと考えにくいんです。
新田 ただ、この関西スタイルには、
なにか、強い力があったんですね。
ドーッて東京に入ってくると、
やっぱりメジャーになっちゃうんですよ。
今回の展覧会を開くにあたって、
東京の新聞広告でずっと、魔法瓶の柄を
追っかけてみたんです。
そうすると、昭和43年ぐらいから
東京でも花柄になってきます。
ポットといえば花柄に。
ほぼ日 2年遅れてだけど、ついに。
新田 ジャーといえば花柄。
魔法瓶といえば花柄になった。
ほぼ日 負けた、って感じに(笑)。
新田 『暮らしの手帖』っていう、
商品テストをやる雑誌ありますよね。
ほぼ日 花森安治さん。
新田 昭和43年の冬号に、
ジャーの商品比較の記事があるんですが、
5社のメーカーのジャーが
ぜんぶ花柄なんですよ(笑)。
ほぼ日 あ〜。ジャーって、今ないですよね。
大っきい魔法瓶ですよね? ようするに。
口の広い魔法瓶にご飯を入れとくと、
保温ができるっていう。
のちに、電子式になるわけですよね。
新田 要は魔法瓶っていうのは、
熱をいかに逃さないかが大事ですよね。
半導体を使うことによって、
冷やさないようにするんじゃなくって、
暖め続けるっていうような機能を、
魔法瓶業界が開発したんですね。
で、この電子ジャーっていうものの
登場によって、
花柄のブームの行き先が
変わってくるんですよ。
電子ジャーを開発したのは
象印なんですけれども、
ビン、ガラス容器の世界に、
半導体やセラミックスを使うということで、
魔法瓶業界の業種が広がっていった。
つまり、魔法瓶メーカーが‥‥。
ほぼ日 家電メーカーへ変わっていく。


新田 ええ。そして、従来の家電のメーカーも、
追随するわけですね。
ただ、この象印が、昭和45年に作った
RH16っていう電子ジャーは、
もう、ほんとに、1年も経たないうちに
100万台売れちゃうみたいな
大ヒット商品になったんで、
ジャーといえば花柄という
イメージが広がるんです。
ほぼ日 そっか、電子ジャーの発明と大ヒットとともに
花柄も広がっちゃったんだ。
で、イメージとしてイコールになっちゃったんだ。
新田 だから、家電メーカーが作るジャーも、
花柄なんです。
それまで白っぽい釜とかを作っていたんですけど。
ほぼ日 これは次回、家電についてお聞きしますね。
でも、白いほうが、
現代の目にはかっこいいですね。
レトロ・フューチャーで
こういうものを見慣れているせいも
ありますけれど。
新田 でも、そういうものを作ってたメーカーが
花柄のものを作るようになるんですね。
ほぼ日 花柄って、ファッションだと
素敵ですけれどね。
新田 この図録を作るのに、
もうほとんど泊まり込んでは、
たまに家に帰るっていう生活をしていて、
自分の家に帰ろうとしたときに、
道の向いの横断歩道のところに、
このポットが歩いてる、
と思ったんですよ、夏場で。
したら、図録の魔法瓶そっくりの柄の
ワンピを着たお姉さんが歩いてて(笑)。
ほぼ日 たしかに、ワンピースだったら、
大胆で、レトロモダンです(笑)。
ただ、当時、昭和40年代、
たとえば鍋とか、食器とか、
そういうものまですべてが花柄でしたよね。
新田 なぜ花柄が一挙に流行ったのか?
っていうことを振り返って考えてみると、
そもそも花柄っていうものが
人気があったんじゃないのかなって
思ったんですよ。
昭和30年代の「趣味の百撰会」の
企画商品で、花柄の食器セットが売られました。
そして、新聞を見ていくうちに、
昭和35年のお歳暮の広告で
ヒゲタ醤油の花柄の缶を見つけたんです。
ほぼ日 贈答用醤油缶。
新田 前年の昭和34年は、花柄じゃないんですね。
ですから、このあたりから、
家庭に徐々に花柄が入ってくる。
食器みたいに代わりがきくものとか、
贈答用の商品、あとは洗剤などに
花柄が増えてきました。
ヒゲタの缶は、その後、
昭和39年にデザインを一新するんですけど、
それも花柄をベースにしたものでした。
そして、魔法瓶の世界で大ヒットする。
ほぼ日 新しかったんでしょうかね。
そして、「ほかに選びようがなかった」のかも。
メーカーも花柄一色で。
新田 ええ。
ほぼ日 それにしても、銘仙の、
あの大胆さに比べると、
違うセンスだよなと思うんです。
新田 そうですよね。
あとは、魔法瓶、ジャー、
ホウロウ鍋っていうのが、
ひとつのセットのかたちで
家庭に入ってきますよね。
ホウロウ鍋って、使い手は便利なんですけど、
絶対に汚れますよね。茶色くなるんですよね。
茶色く悲しい姿になった花柄ホウロウ鍋や
花柄魔法瓶や花柄ジャーの記憶が、
なんだか悲しさにつながるのかもしれませんね。
ほぼ日 そして、ホウロウ、欠けるんですよね。
欠けたまま使ってるのが悲しい。
ああ、思い出しました。
確かに贈答品とか、銀行の粗品の食器、
あらゆるものが花柄でしたね。
昭和40年代って、まだまだ、
「洋食器を吟味する」
「家電のデザインを比較して買う」
というようなことは、
なかったんでしょうね。
新田 高度経済成長が終わったぐらいの
時期ですけれども、
まだサラリーマンの文化みたいなのが
きちんとあった時代で、
そのひとつが贈答文化だった。
お歳暮お中元は欠かさず贈ると。
そういう中で、魔法瓶とかジャーっていうのは
好みって部分ももちろんあるけども、
いただきものとかで入ってきた、
っていう部分もあるみたいですね。
ほぼ日 そうなんでしょうね。
「幸」なんてネーミングも、
贈答文化が背景にあるのかもしれませんね。
このあと、魔法瓶やジャーは
どんどん電子化していくんですよね。
新田 ジャー、つまり保温器を電化して
電子ジャーっていうのができましたよね。
それが昭和45年。
で、昭和47年、三菱電機が、
もともと持っていた炊飯器の技術と
保温の技術を組み合わせて、
炊飯ジャーっていうのを作るんですよ。
ほぼ日 おお!
そうか、炊飯と保温は別の機能ですものね。
新田 ええ。それが、
お米を炊いてご飯を保温するという
今の炊飯ジャーの原形になるんです。
1台2役っていうのがうたい文句になって。
ほぼ日 わが家は、電気炊飯器はあったけれど
保温ジャーはずっとあとでした。
おひつのごはんが好きだったので。
文化鍋もずっとあって、少量だったら
文化鍋でごはんを炊いていましたね。
新田 そうですね、好きな人とか、
美味しい御飯を食べたいと思ってる人や、
電化製品を贅沢だと思ってる人は
そうしていたでしょうね。
ほぼ日 でも、両親が共働きだったので、
電子ジャーはやっぱり便利だということで
いつしか花柄のジャーがやってきたんです。
そして、家中が花柄に(笑)。
このファンシーケース、ありました。
これはね、たとえば、
子どもに個室を与えるときに
便利だったと思うんですよ。安いから。
新田 ええ。
ほぼ日 中学生、高校生の子に個室を与えるときに、
タンスは買う余裕はないけど、って。
そんなふうにして、
たぶんヒットしたんじゃないかなあ。
新田 しばらく見ない時期がありましたけれど、
今は、無印良品でありますよね。
ほぼ日 もちろん花柄ではないですけれどね。
あ、ライサーだ、これ。
新田 いまはあまり見かけないですよね。
備蓄と計量をかねた便利用品ですね。
これ、天板も花柄なんですよ。
ほぼ日 うわ、ほんとだ!
徹底的に花柄ですね。
象印さん、徹底してた。
新田 花柄っていうのは大阪から始まって
日本全国のブームになっただけじゃなくて、
象印さんに見せていただいたら、
どうやら海外まで影響していた、
ということがわかってきたんですよ。
ほぼ日 すごい(笑)。
新田 象印は、外国向けのブランドのひとつに
エレファントブランドっていうのが
あるんです。そこに花柄がありました。
ほぼ日 もしかすると、
中国の花柄ブームもそれが発端!?
新田 残念ながらそこまではわかりませんが、
実際に海外で所在調査を
してみたいなと思うぐらいですよね。
ほぼ日 この流行はいつ終わるんでしょう?
新田 花柄がいつ終わるのかっていうのは、
追うことはできなかったんですけど、
たとえば保温機能を保冷機能として使った
アイスペールには涼しげな「竹柄」が出ましたね。
新田 いっぽう花柄はだんだん抽象化されていくんです。
ほぼ日 前に出てきたこれがそうですね。
すごく時代を感じるデザインですよね。
70年代っぽい感じ。
新田 展示室で時系列で魔法瓶を並べているんですが
だんだん抽象的な柄が入ってくるんですよ。
着物調の小紋系の花柄から、
だんだんデザインされた花に変わっていく。
草月流の勅使河原霞さんの生け花を
撮影したものも、あるんですよ。


ほぼ日

おおお。

新田 魔法瓶ひとつでも、
確実に流行と時代というのが
追えてしまうというのが、
面白いところですよね(笑)。
ちょっと前に、iMacで
花柄がありましたよね?
ほぼ日 ありました!
新田 あれなんか、花柄魔法瓶の流れかも(笑)。
まあそれは極端ですけれど。
   

花柄という流行の来歴、今回も面白かったです。
花柄家庭用品が再び流行る日が、来るのかなあ!?

次回からは、今回とも関連する「家電」のお話を
じっくり訊いていきますよ。
どうぞお楽しみに!

2003-10-31-FRI

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