糸井 |
源内が、お殿様との関係が薄くなってって、
国のお仕事をすると同時に、民間の仕事をする。
その時に、下町に住んでたってことが、
ものすごく大きいと思うんですね。 |
芳賀 |
あ、うんうん、そうですね。 |
糸井 |
武家屋敷の中に、家を構えろって言われたら、
おそらくあの平賀源内はいないですよね。 |
芳賀 |
うん、いない。
トンデモナーイ、とかいってね。
はははっ。 |
糸井 |
(笑)その、大衆の欲望の渦みたいなものが、
見えやすい場所にいて。 |
芳賀 |
うん、そう。で、誰でも入っていきやすい。 |
糸井 |
ですよね。 |
芳賀 |
それで、そっからすぐに
いろんな面白いアイデアの情報が、パッと。 |
糸井 |
うん。で、出したら反応するし。 |
芳賀 |
今の神田駅のすぐ近くですからね。
今川小学校ですか。あそこですよ、
源内が住んでいた神田白壁町は。
今もあの一角だけね、
神田紺屋町とか神田乗物町とか、
古い町名がそのまんま残っていてね。
ただ、残念ながら白壁町はなくなったんですが、
復興するといいですね。 |
糸井 |
今、あの、江戸時代の地図と今の地図、
重ねたような地図帳売ってますから、
あのへんで回ってみてもおもしろいですね。 |
芳賀 |
うんうん、そうですね。
今川小学校の校庭に、源内活躍の地、とか、
なんかそういう碑が立ってますかね?
こんど皆さん、展覧会をきっかけして、
ぜひ皆さん、あの、入場料からね、その碑を
つくっていただきたい。 |
糸井 |
源内碑の旅っていうの、いいですね。 |
芳賀 |
秋田に行き、長崎に行き、天草に行き、
それから秩父の鉄山に行き。 |
糸井 |
面白いですねー。 |
芳賀 |
ええ、そういうのを組織して下さいよ。
源内ツアーという。
源内のお墓はここ(両国)から近いですから。
橋場ですから。今は、総泉寺ってお寺は
なくなって、源内のお墓だけが残ってますね。 |
糸井 |
え、単体でお墓だけが残ってるんですか?(笑) |
芳賀 |
あの、お寺はどっかに移動させられたんですが、
地元の人が源内先生のお墓だけは
ここに置いてくれっていって、残されて。
まあ立派な。 |
糸井 |
高松にお墓が帰らなかったっていうことは、
最後の死に方が良くなかったっていうことですか? |
芳賀 |
いや、高松にも今、お墓があります。 |
糸井 |
両方あるんですか。 |
【平賀源内の2つの墓 左=志度・自性院 右=東京・総泉寺跡】平賀源内展図録より
|
芳賀 |
高松の志度の、いちばん有名な志度寺。
お能で有名な。あそこに、
ちゃんといいお墓がありますよ。 |
糸井 |
じゃ、ある種、分骨みたいな。 |
芳賀 |
ええ、分骨か、あるいは向こうは
お骨がないかもしれませんけどね。
遺髪ぐらい入れてるかもしれませんが。
自分が人を殺めてしまったことを、
ひじょうに申し訳なく思って、
伝馬町の獄で源内はハンガーストライキをして
死んだんだという説も流れてますし。
病気にかかって死んだという説もあります。
あるいは、もう一説は、
実は死んでないんだ、と。 |
糸井 |
必ずそういう説が(笑)。 |
芳賀 |
田沼意次の計らいで、死んだことにして、
伝馬町の獄に穴を開けて、
死んだふりになって運び出して、
田沼意次が自分の領地である吉良に運んで行った。
で、そのまま、もう何年か後に
源内に会ったっていう話もありますよ。 |
糸井 |
それは伝説ですか?
それとも誰かの説ですか? |
芳賀 |
順天堂を始めた蘭学者(佐藤泰然)が、
そんなこと書いてますね。 |
糸井 |
人気者だったっていうことが、よくわかりますね。 |
芳賀 |
昭和15年に芥川賞をもらったの櫻田常久の
『平賀源内』っていう小説があるんですが、
同じ作者が、もうひとつ源内を主人公にした
小説を書いておりまして。
田沼意次の領地で、
80何歳かになった源内と一緒に
その土地の再開発を進めていたのが、
秋田津軽自然真営道の安藤昌益。 |
糸井 |
あ、いいですね。 |
芳賀 |
安藤昌益の、一種の共産社会主義と
源内の国益思想が結びついて、
新しい土地開発をやっていたと。 |
糸井 |
それは、小説ですね? |
芳賀 |
小説です。ひじょうに面白いと思いますね。
いいアイデアだと思う。
安藤昌益と平賀源内って同時代ですからね。
安藤昌益は、いわば、
「働かざるもの食うべからず」
ということをいって、
直耕──直接に耕すことが、
まず人間のいちばん基本の倫理である
ということを説いたんですね。
だから働かない大名とか侍はダメだって。
みんな農民であるということを言った。 |
糸井 |
つまり、空想から科学へ、っていう小説ですね? |
芳賀 |
ああ、まさにそう。
で、科学の方が、源内だね。 |
糸井 |
なるほど。 |
芳賀 |
安藤昌益の空想と、平賀源内の科学が結びついて。
で、田沼意次が最後に失脚するから、
失脚して主がいなくなった土地で、
新しい村興しをという。いいアイデアですね。 |
糸井 |
生かさせたいっていうヒーローだったっていう
源内が、面白いなと思いますね。 |
芳賀 |
うん、面白いですね。
義経とか、西郷隆盛とかと同じだね。 |
糸井 |
そうですね。
生きていさせられる伝説の人っていうのは、
いますね、必ずね。 |
芳賀 |
そうですね。あの人は死んでないはずだ。
あんな面白い、精力絶倫の鬼才が、
そう簡単に伝馬町の牢の中で死ぬものかと。 |
糸井 |
今、単純に思いつきですけども、
その、昔から歴史的に、
地位だとか名誉だとか権力を持った人が、
できるかぎりのことをすると
不老不死にいきたがる。 |
芳賀 |
うんうんうん。そうですね、
秦の始皇帝みたいにね。 |
糸井 |
ですよね。で、徐福(じょふく)を
使いにだしたりみたいな。
そういう歴史がずっとあって、
今の日本でも、大金持ちの人たちって、
独特ななんかこう、
精力剤を集めたりなんかするじゃないですか。 |
芳賀 |
あ、なるほど。サプリメントですか。 |
糸井 |
源内のウナギ、朝鮮人参って流れは‥‥。 |
芳賀 |
あ! なるほど。
あ、これも思いつかなかったことだ。 |
糸井 |
ねぇ。 |
芳賀 |
糸井さんと話してみるもんだな。 |
糸井 |
案外、とろろあたりがもうひとつぐらいあったり。 |
芳賀 |
あ、とろろね。本草学者ですから
そういうことはひじょうに詳しいわけです。
何がバイアグラ系の薬になるかなんてことだって、
源内はちゃんと知っていて。 |
糸井 |
江戸時代の人って、もっとこう、
快楽主義者だったと思うんで。 |
芳賀 |
そうですねぇ。うん。
長く生きよう、
より広く、たっぷりと人生を楽しもう。 |
糸井 |
そういう意味では、
そういうものの需要っていうのは、
すごいあったでしょうね。 |
芳賀 |
源内なんて人は、楽しみながら仕事をし、
仕事をしながら楽しんで。
結局しかし、仕事もしきれず、
楽しみもしきれずに、最後、自滅した。
わたくしは彼のことを、
自分で渦を巻きながら走っていって、
結局、自分が起した渦の中に自分が呑み込まれて、
姿を没したんだっていうふうに考えてますがね。 |
糸井 |
残念なのは下っ端でも侍の生まれだった
ってことでしょうね、きっと。 |
芳賀 |
まあ、でも、侍の生まれだから、
あれだけ学問ができた。 |
糸井 |
そっか、そっか。スタートラインとしては。 |
芳賀 |
それ、ひじょうにいいスタートラインで。
あれが町人だったら、やっぱり、
10歳になるかならないかぐらいから
そろばんをやらされたり、
あちこち丁稚奉公をやらされたり。
で、農民、あの時代はわりあい自由ですからね。
農民が学者になり、商人が学者になり、
俳人になり絵描きになり、というふうに、
いくらでもそういう道はあるけども、
いちばん先頭から出発できたのは、
やっぱり侍でしょうから。
いくら下っ端といえ。別格でね。
侍は学問するもんだということに
決まってますから。 |
糸井 |
そうか。源内は人生の後半に、
国益を考えていたオレじゃないか、と、
大義を意識しながらも、
大衆の欲望の中にいたわけですよね。 |
芳賀 |
うん、うん。 |
糸井 |
やっぱり、欲望が人間を突き動かす。
あんたにやって欲しいんだ、っていう、
欲望の声が聞こえるっていう、
その実感っていうのは、動機として、
国益っていう、いつ何かになるか
わからないような、
集大成のような学問に比べたら、
きっと愉快だったんじゃないかなぁ。 |
芳賀 |
そうでしょうね。
源内が面白い人だ、
いろんなアイデアが沸々と沸き立たせて、
そしてそれを人に無償で
与えるような人だってことは、
たちまち‥‥。 |
糸井 |
広まってますよね。 |
芳賀 |
ええ、江戸の下町では広まって。
ちょっとした知識人、それから物知りの商人、
商家の人、それから薬屋さん。
それはもう、しょっちゅう
出入りしてたと思いますね。 |
糸井 |
きっと、誰かと誰かを組み合わせたり。 |
芳賀 |
で、そういう人たちと話し合いをしながら、
また源内は話し合っているうちに、
またアイデアが生まれてくる。
ただジーッとして考えてるんじゃなくてね。
糸井さんとやりとりしてる間に、
あーっ! そうだ、って気がつくみたいな。 |
糸井 |
キャッチボールの中で。 |
芳賀 |
うんうんうんうん、そういう人でしょうね。
だから、インターネットマンなんだな。 |
糸井 |
そうですね。
|