ほぼ日 |
応挙には、何かそのあと
転機みたいなのはあるんですか?
そのままずっとテクニックを
磨いていく人なんですか?
たとえば弟子を育てたりは?
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江里口 |
弟子は多かったですよ。
最後の方に目を患って、
だいぶ弟子たちが助けた部分も
あるようです。
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ほぼ日 |
ということは、弟子を育てることを
きちんとした人なんですね。
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江里口 |
そうですね。
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ほぼ日 |
応挙派っていうのもあるんでしたっけ。
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江里口 |
ええ。画系図を見ると、
もう、すごいですよ。
円山四条派と言われています。
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ほぼ日 |
円山派と四条派。
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江里口 |
応挙の弟子の中で呉春という人が
四条派の祖となりました。
今はこの四条派の方が優勢ですね。
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ほぼ日 |
(図録の画系図を見て)
上村松園もこの系統なんだ。
川合玉堂も。ああ、はあ。
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江里口 |
だから今の日本絵画の
基礎っていうことですよね。
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ほぼ日 |
いまの日本の絵画の基礎は円山応挙なんだ。
応挙の教え方って、
どんなものだったんでしょうか。
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江里口 |
応挙の弟子は狩野派と違った教え方を
されたようです。
狩野派はちゃんと描き方を教えるんです。
ちゃんと定本があって、
その型通りに習うんですけど、
応挙の場合はとにかく
写生を基本にしていれば、
あとは自分の好きなように
描いていいっていう、
わりと自由なところだった。
それだけにいろんな
個性のある人が出てきています。
例えば呉春は、
写生はきっちりとしてるんでしょうけども、
元は与謝蕪村についていて、
蕪村的な、感情や詩情を表すような絵で、
ちょっとまた応挙のきっちりした写生画とは
違うんですけど、
これも弟子であるということです。
そうやって弟子の精神を自由にするような
広い心っていうのもあったんでしょうね。
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ほぼ日 |
すごいなあ。
あの、孫が多かったんですか?
子供の絵がすごいたくさん
最後の方に出てきてて、
みんなかわいい真ん丸だったんですよ。
これは応挙のお孫さんかなあと。
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『郭子儀図襖絵』(重要文化財)円山応挙 大乗寺蔵
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江里口 |
子供は3男3女いましたけど
亡くなった子もいて、
結局残ったのは3人だけです。
でもやっぱりあれだけの子供を
描けるってことは、近くにいたってことで、
孫かもしれないですよね。
子供の絵も、かわいいですよね。
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ほぼ日 |
ちょっと応挙の肖像画に似てますね。
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江里口 |
あ、そうかもしれないですね。
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『郭子儀図襖絵』(部分)(重要文化財)円山応挙 大乗寺蔵
『円山応挙像』(部分)山跡鶴嶺 個人蔵
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ほぼ日 |
最晩年の作品っていうのは、
金屏風に墨絵を描いたりするのが
そうなんですか?
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江里口 |
そうですね。大乗院客殿孔雀の間の
『松に孔雀図襖絵』が、
亡くなる3カ月前の作品です。
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『松に孔雀図襖絵』(重要文化財)円山応挙 大乗寺蔵
*クリックすると拡大画像が別ウインドウで開きます。
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ほぼ日 |
これ、背景が金箔なのに墨絵なんですよね。
すごく実験的、かつ、かっこいいです。
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江里口 |
実際、佐々木先生も描法研究といって、
どういう描き方をしたかっていうのを
研究なさってますけど、
やはり金に墨を乗せるのって
すごく難しいんですって。
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ほぼ日 |
技術的に難しいんですか?
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江里口 |
難しいんですって。
はじきやすいらしいんですよ。
これだけ墨を乗せるっていうのは
相当な技術で、今、佐々木先生が
解析なさってますけど、
まだ解明できないっておっしゃってます。
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ほぼ日 |
どういう顔料を使って
どういうテクニックでやったら
こうなるのかが分からないんだ。
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江里口 |
ええ。墨も使い分けを
してるらしいんですけどね。
その墨を乗せるのには、
もっとニカワの溶き具合とか
調合の具合をいろいろ試してみないと、
本当にこんなに乗ることは
ないだろうっていう。
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ほぼ日 |
そうですよね。そりゃそうですよね。
金属ですもんね、要するに金箔って。
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江里口 |
ええ。で、墨でもちょっと
種類を変えているので、
幹に使ってるのと松の葉に使ってる墨が
違って、実際に近くで見ると、
というよりお寺の光の中で見ると、
この松が本当に緑に見えるんです。
そしてこの薄い方は
本当に茶色の幹のように見えるんです。
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『松に孔雀図襖絵』(部分)(重要文化財)円山応挙 大乗寺蔵
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ほぼ日 |
遠近感が出ますよね。
この薄いのと濃いので。
手前に枝があって奥に幹があるって
分かるんですよね。
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江里口 |
ええ。で、この角が斜めから見ると
本当に立体感があって見えるんですよ。
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ほぼ日 |
あ、ここ。角で、枝が、
つながってるから。
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江里口 |
ええ。枝が、自分の手前に
伸びてくるんですよ。
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『松に孔雀図襖絵』(部分)(重要文化財)円山応挙 大乗寺蔵
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ほぼ日 |
枝だけが手前に来る。
そしていちばん左手前の1枚は
「描かない」っていう
表現なんですね。ああ、すごい。
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『松に孔雀図襖絵』(部分)(重要文化財)円山応挙 大乗寺蔵
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江里口 |
しかもですねえ、この奥が仏間なので、
この襖が開けるんですよ。
開けるとこの枝がここにまたつながるんです。
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『松に孔雀図襖絵』(部分)(重要文化財)円山応挙 大乗寺蔵
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ほぼ日 |
あ、トリックアートみたいですね!
眼鏡絵にはじまった応挙が、
晩年にそういう作品を残したことが
すごく面白いですね。
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江里口 |
開けてもつながるし、閉めてもつながるし。
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ほぼ日 |
やりますね(笑)。
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江里口 |
やりますねえ。
しかも死の3カ月前にこういうことを
応挙はしていたんですね。
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ほぼ日 |
目もあまり見えなくなっていたと
言いますよね。
弟子の力も借りただろうけど、
この発想はすごいですね。
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江里口 |
すごいですよね、ダイナミックで。
実はこの大乗寺の仏間、
これは応挙が描いた3つの部屋で、
あとはこれは弟子たちが
他の部屋を描いたんです。テーマを持って。
それでここの大乗寺の住職さんが
最近自分で研究した結果ですね、
ここはそれぞれの絵のテーマで
仏像を想定してる。
つまり立体曼陀羅だっていうことを
言ったらしいんですよ。
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ほぼ日 |
はあー。
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江里口 |
よくお寺に行くと四方に四天王がいますよね。
あれを表してるっていうんですよ。
それで四天王は持国天と増長天と
広目天と多聞天なんですけど、
それぞれ方位を守ってるんですよね。
東が持国天。持国天っていうのは
農業とかを司るっていうことで、
仏間の東は「農耕の間」なんですね。
南の増長天は政治とかそういうものを
司るっていうので、「郭子儀の間」。
郭子儀は中国の政治家ですね。
広目天は芸術を司るっていうことで
西の「山水の間」、美を表している。
北に当たるところが「仙人の間」
なんですけど、多聞天は仙人の、
不老不死とか薬を司るっていうことです。
つまり、応挙は、仏像の世界を
大乗寺の襖絵を使って
壮大に表したのではないかという
説なんですよ。
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ほぼ日 |
すごい‥‥
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江里口 |
で、さらにほんとの最晩年っていうか、
絶筆って言われるのものがあるんです。
『保津川図屏風』。
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ほぼ日 |
保津川図屏風。すっごい荒々しい!
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『保津川図屏風』(重要文化財)円山応挙 株式会社千總蔵
*クリックすると拡大画像が別ウインドウで開きます。
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江里口 |
川の流れがすごいですね。
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ほぼ日 |
うねってますね。
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江里口 |
ええ、これが亡くなる1カ月前です。
7月に亡くなるんですけど、
6月頃描いたっていわれてます。
保津川っていうのは、
自分の生まれ育った亀岡に流れてますから、
やっぱり故郷の川を描いたんですね。
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ほぼ日 |
うわあ、かっこいい。
たぶんこれが彼の集大成かもしれませんね。
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江里口 |
そうかもしれませんね。
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ほぼ日 |
すごいです! 応挙という人は、
すべてをやり切って、
亡くなっている感じですね。
「志、半ば」ではない気がします。
きっちり自分の人生に落とし前を付けて
大往生なさったっていう
感じがするんですよね。
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