江戸が知りたい。
東京ってなんだ?!

ほぼにちわ!
ひきつづき、現在江戸東京博物館で開催中の
「特別展 円山応挙」についての特集です!

今回から5回にわけておとどけするのは、
「幽霊画にいたる、応挙の進化」。
江戸東京博物館の担当学芸員である
江里口友子(えりぐち・ゆうこ)さんに
お話をお聞きしました。



円山応挙展は、3月21日まで開催されていますから
どうぞ、見にきてくださいね。
では、スタート!



なぜ応挙は見えないものが描けたのか。その1

どうやって「龍」に命を吹き込むか。

ほぼ日 今回の展覧会を見ると、
応挙がいかに「目には見えないもの」を
絵に遺そうとしていたかを感じました。
僕らが応挙のことをよく知らない時、
円山応挙と言えば「幽霊」って
ぱっと思ってたんです。
でもなぜ応挙は幽霊を描いたのか、
唐突に何で幽霊が出てくるのかなって
最初は思ってたのが、順番に見ていくと、
幽霊に至る道のりみたいなのが
見えてきたような気がするんです。
見えないもの、感じるしかないようなもの、
あるいは具体的には描きにくいもの、
雨とか風とか氷とか雪とかですけど、
そういうものを描いていった先に、
ひょっとして幽霊があったのかなあ、
なんて思いながら見たんです。
展覧会のテーマにも「虚の写生」
といいう言葉がありましたね。
江里口 そうですね。
ほぼ日 応挙が写生から入ったっていう話を
前回、していただいたんですけど、
「虚」を描くっていうことに行ったような
経緯やら何やらを教えていただきたいなあと
思っています。
例えば、「見えないもの」をどう表現するか、
これもびっくりしたんですけど、
滝を登る鯉。その水の表現が!

『龍門鯉魚図』(二幅のうちの一幅)円山応挙 大乗寺蔵
*東京展では展示されていません。



『龍門鯉魚図』(部分)円山応挙 大乗寺蔵
*東京展では展示されていません。
江里口 『龍門鯉魚図』。斬新ですよね。
これ、じつは、
「何も描いてない」んですよね。

ほぼ日 水の流れに遡って泳いでいく鯉を
描いているんですが、
実はその流れっていうものを
「描いてる」ようで、じつは
「描かないことで表現している」んですね。
印刷用語で言うと「白ヌキ」()ですね。
*白ヌキ=インクをのせないことで
 紙の色をそのまま白く残すこと。

江里口 そうですね。「描かない」。
鯉の全身を描いてから
白い顔料をのせたわけではなく、
はじめからこういうふうに描いているんです。
これは本当に斬新ですよね。
ほぼ日 やっぱり応挙の前にはなかったんですか?
こういうやり方は。
江里口 こういうやり方はないと思います。
もともと、この時代の狩野派にしても、
どちらかと言うと筆力っていうか、
筆の勢いとか、描法の方を
大事にしてますから、
白ヌキにするってことはなかったでしょうね。
ほぼ日 じゃあ、応挙にとっての狩野派の技術は
守り続けるためのものではなくて、
その技術を使って、
自分のやりたいことができる自由を
手に入れたみたいな感じなんですね。
江里口 そうですね。狩野派の技術、
プラス・アルファでしょうね。
応挙にはこういう例が
他にもいろいろあるんです。
たとえば「龍」や「虎」ですが、
当然「龍」とかっていうのは
もちろん中国にもあるし、
狩野派だってみんな描いてますよね。
でも応挙はまた違うんです。


  円山応挙 東京国立博物館蔵(植松家旧蔵)

ほぼ日 あれ? 龍は架空のものですけれど
虎は、実在のものですよね?
江里口 虎は架空の動物ではないけれど、
当時の日本では誰も生きた虎を
見たことがなかったんですよ。
ほぼ日 あ! だから、龍と同じような
ものだったんですね。
応挙の龍や虎は、どう違うんですか?
江里口 応挙はとにかく自分の目で見た経験とか、
本物らしく見えることを大事にしますよね。
すると、架空のものであっても、
現実にあるかのように思わせるような
表現を追求していったんです。
龍の場合、本草綱目や、
中国の書物などにも、
龍がどういうものだっていうのが具体的に
説明されているんですね。
龍の目は鬼の目で、耳は牛の耳、
顔はらくだ、角が鹿の角、
首の辺りは蛇のウロコ、爪は鷹の爪。
そういう記述が出てきたらしいです。
応挙の場合は、
それを自分の近いものに合わせて、
実際にいるものは写生をして、
ないものは探求して創造して、
それを合成したんです。
いかに本当の写実に近付けるか、
という努力をしていたんですね。
ほぼ日 では、応挙以前にあった龍とは
やっぱり違うんですか?
応挙じゃない人が描いた中国の絵の龍とは。
江里口 もちろんどちらも「龍だ」とわかる
描き方になっていますよ。
けれども、応挙の龍は、
パーツを写実に求めていることで、
リアルさ、生き物への近付き具合、
そういうものが、違うと思います。
そこで「リアルさ」っていうのが
出たのではないかと思いますよ。

『雲龍図』(部分)円山応挙(重要文化財)個人蔵
ほぼ日 龍って、題材として、よく見ますね。
これだけたくさん描かれてるってことは
需要もあったんですか?
江里口 そうですよね。もともと仏教では、
龍神は水の神様として、水を司るものですね。
実際にこの応挙の雲龍図も
もともとは京都の「東寺」(とうじ)に
伝わったものだったんです。
実際にお寺の儀式で使われていたそうです。
ほぼ日 あ、そういうことですか!
ありそうですね。

今日はここまでです。
次回は、虎を見たことがなかった応挙が
どうやって虎を描いたのか? というおはなしです。


2004-03-11-THU

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