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── |
よろしくお願いします、
「ほぼ日刊イトイ新聞」と申します。 |
雑賀 |
3代目主人の雑賀と申します。
‥‥奥山はごらんになりました? |
── |
はい。冨士さんにご案内いただいて、
いまたっぷりたのしんできました。 |
雑賀 |
そうですか冨士さんと、それはよかった。 |
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── |
あの、さっそくなのですが、
雑賀さんのお仕事のお話を
すこしうかがってもよろしいでしょうか。
浅草にお店を3つお持ちでいらっしゃるそうで。 |
雑賀 |
そうですね、3店舗やらせていただいています。 |
── |
3代目とおっしゃいましたが、そもそもは? |
雑賀 |
明治のころに、父の実家が
浅草で天ぷら屋をやったのが最初なんです。
浅草六区の全盛期に、
芸人さんたちが天丼を食べにくるような店を。 |
── |
へえ〜、そういうお店を、六区で。 |
雑賀 |
ですが戦争がありましたので、
そのあいだは父の姉に店をあずけてまして、
で、復員してはじめたのが「月見草」なんです。 |
── |
シーフードレストランの。 |
雑賀 |
はい、「月見草」は創業60年になります。
その後、父と母は「麻鳥」を開いて。 |
── |
釜飯と串焼きのお店ですね。 |
雑賀 |
ええ。
それともうひとつが、このお店ですね。 |
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── |
炭火焼きと会席の「蔵」。 |
雑賀 |
ここはわたしが初めてプロデュースして、
デザイナーと組んで作り上げた店なんですよ。
それが16年前です。 |
── |
3店舗、すばらしいご活躍ですね。 |
雑賀 |
いやいや、そんなかっこいい話じゃなくてね、
実はわたし「月見草」を一度つぶしてるんです。 |
── |
え? |
雑賀 |
父と母がやっていた「月見草」は、
魚介類を串に打ってね、
こう、バーベキュー的なスタイルで、
当時ヒットしてたんですよ。
20のときにその店を継がせてもらったんです。 |
── |
はい。 |
雑賀 |
いま考えるとうちの父もすごかったなと思うのは
とにかく口を出さなかったんです。
やりたいようにやらせてくれた。
で、やりたいようにやって、つぶした(笑)。 |
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── |
‥‥なにが原因だったんでしょう。 |
雑賀 |
あのね、フランス料理に走ったんです。 |
── |
フランス料理。 |
雑賀 |
みるみるお客さんがこなくなって‥‥。
そのとき、昔っからの常連さんに
こんなことを言われました。
「雑賀さんさぁ、私は有楽町から
食べにきてたんだって、月見草に。
こういうもんなら銀座にいっぱいあるから」 |
── |
‥‥なるほど。 |
雑賀 |
それで、原点に戻しました、昔のメニューに。
そしたら1年も経たないうちに復活です。 |
── |
そうでしたかあ。 |
雑賀 |
おやじとおふくろが積み上げたことを
完全に無視してたんです。
歴史のある店で
1パーセントを変えるのが大革命なんですね。
がらっと変えるのは革命でもなんでもなくて
それは暴挙だったんですよ。 |
── |
なるほど。 |
雑賀 |
引き継いでいくことの大切さを学びました。
そしてそれは、浅草という場所についても
同じことがいえるじゃないかと思うんですよ。
浅草には「槐(えんじゅ)の会」
というのがありまして、 |
── |
雑賀さんが会長だとうかがいました。 |
雑賀 |
はい、今年から会長をさせてもらっています。
そこでもよく話すんです、
「やっぱり浅草らしさを
次の世代に渡すことが大事だね」と。 |
|
── |
そうですか‥‥。
そんな雑賀さんからみて、昔と今とで
浅草の変わった部分というのは、なにか‥‥? |
雑賀 |
それはね、最近わたしが思うのは、
なんで子どもたちが表で遊ばなくなったか
ということなんですよ。 |
── |
ああ、浅草でもそうなんですね。
雑賀さんは表で遊ばれた。 |
雑賀 |
まあ、すごかったですよね(笑)。
ガラス何枚割ったかわかんないです。 |
── |
え(笑)、ガラスを割る? |
雑賀 |
うちの家の前の、あのせまい道路幅でさ、
バット振り回して、 |
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── |
あ、野球を(笑)。 |
雑賀 |
軟球で野球しちゃって、
ガラス割っちゃ逃げ回って、
そんなことばっかりでしたよ。 |
── |
路地でわーっとやっちゃうんですね。 |
雑賀 |
もう鬼ごっこなんて、
最初に鬼になったら最後まで鬼。 |
── |
ぜったい見つからない。 |
雑賀 |
見つかるわけないじゃない、
路地を走り回ってるから。
しまいにゃそのまま家に帰って
みんな飯食ってんの。
鬼がぽつんと立ってる(笑)。 |
|
── |
ははははは。 |
雑賀 |
そういうのは見なくなりましたよねえ。
あと、そう、ガキ大将っていたのよ。 |
── |
はい、はい。 |
雑賀 |
大事だったんですよ、それが。
弱き者を助けるんですから。 |
── |
そうか、大将ですものね。 |
雑賀 |
そう、仲間がいじめられてりゃ、
大将が体張ってでも守るっていうさ。 |
── |
雑賀さんも大将だったんですか? |
雑賀 |
いや、大将にはなれなかった。
すごいやつがいたから。
‥‥今でもそいつとは親友なんです。
事情があって浅草から出ていったんですが。 |
── |
そうなんですか。 |
雑賀 |
うん。だから、そういうこともありますよね、
昔と今をくらべれば。
家を継げなくて、よそに行っちゃうっていう。 |
── |
都内の他の場所にくらべれば
そういうことがすくない印象がありますが‥‥ |
雑賀 |
それはもう、絶対的にすくないです。
だから‥‥それに慣れてないんだね。
寂しいんだよ、幼なじみだもん。
はなたれ小僧のときからいっしょに祭りをやって
兄弟のように育ってきたのに、
いなくなんのかよ‥‥寂しいよ。 |
── |
‥‥‥‥‥‥。 |
雑賀 |
‥‥でも、祭りのときとか、誰かが倒れたとか
なんかあったら飛んでくるんです。
ずーっとやっぱり、浅草の親友ですから。 |
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── |
いいですねえ、そういうの。うらやましいです。 |
雑賀 |
郷土愛ですよね。
浅草、いいところですよ。
いろんな人に来てもらいたい。 |
── |
観光だけでなく、ここに住むという意味でも。 |
雑賀 |
どちらもですね。
でも、これは自分らで気づかないことですが、
商いの人は入りにくいんですってね?
よそから来てお店をやろうとする人は
すごくハードルを高く感じるって。 |
── |
ああ、結束がかたいので、そう思われる。 |
雑賀 |
ウエルカムなんですよ。
むしろ、この先の浅草に必要なのは
そういうかたたちだと思うんです。
だって、浅草が好きで来るわけでしょ? |
── |
はい。 |
雑賀 |
よそに儲かる町はもっとあるじゃないですか。
でも浅草を選んでくれた。
そういう人たちって逆にわれわれよりも
浅草の良さをわかってるんじゃないかな、と。 |
── |
そとの人のほうが、客観的に魅力を。 |
雑賀 |
中にいると見えなくなることもあるんで。
そうやってね、みんなで、
浅草の良さを引き継いでいけたらと思います。
‥‥すみませんねえ、長話で(笑)。 |
|
── |
いや、とんでもない。 |
雑賀 |
よかったら釜飯を召し上がっていってください。
飯屋(めしや)のわたしにできるのは、
味を引き継ぐことなので。
食べてもらって
「こんな料理をつくるおやじなんだ」
ていうのを感じてもらえるとうれしいです。 |
── |
はい、それはもう、ぜひ。
きょうはほんとうにありがとうございました。 |
雑賀さんへのたのしいインタビューが終了した昼下がり、
釜飯と串焼きのお店「麻鳥」で、
ぷりぷりの牡蛎がのせられた釜飯などをいただきました。 |
雑賀さん、ありがとうございました。
月並みな感想ですが、たいへんおいしかったです。
すばらしい素材でほくほくとあたためてくれる、
雑賀さんのおもてなしの心をいただけた気がしました。 |
(つづきます) |