「美しき日本 ― 大正昭和の旅」展
江戸博学芸員新田さんと小山さんのさらにくわしい解説
清洲橋、夜景だけど灯りがとっても綺麗ですね。
ちょっと古っぽいものを入れたりするのが
川瀬巴水の特徴というか、
新しいだけじゃやっぱり嫌だというか。
水に映る表現なんかもすごくいいですね。
今回調査していったら、試し刷りがすごくいっぱい
どの作品にもあって。何回も何回も試して
ようやく作品にしていったんだなあっていうのが、
ほんとにわかりました。
この清洲橋なんですが、アメリカのニューヨークで
展示しているのを、ロバート・ミューラーっていう人が
たまたま見つけたんですね。そしたら、その人、
ほんとうに気に入っちゃって、これ絶対欲しいって思って、
巴水のコレクターになっちゃったんです。
昭和15年に日本にやって来て、
伊東深水のお家に遊びに行ったりしています。
これはそのときの記念写真。
前列右から渡邊庄三郎、笠松紫浪、
後列右から伊東夫妻、ミューラー氏夫妻、川瀬巴水です。
最終的にはミューラーはニューヨークにあった日本版画店を
全部買い取ってしまって、その版画はすべて
スミソニアンに寄付してるということなんです。
関東大震災によって、川瀬巴水も、版元の渡邊庄三郎も、
写生帖、版木、これまでの作品などすべてを失ってしまいます。
しかし彼らは制作をあきらめず、
これまでに刊行した作品の複製をすることはしませんでした。
渡邊は巴水に、翌月には写生旅行を薦め、
新たな作品が作られていったんです。
震災後の巴水の作風はより浮世絵に近いといわれ、
以前に見られた太い描線やバレンの摺痕を強調したもの、
構図が極めて斬新なものなど、
実験的なものは見受けられなくなります。
けれども、「東京二十景 芝増上寺」は
3000枚を越える驚異的な刊行枚数に達し、
鉄道省からは日本観光を宣伝するポスターの依頼を受け、
海外からは愛好者らが版画を買いにやってくるようになり、
日本を代表する版画家となりました。
これは昭和15年の「東海道風景選集 日本橋(夜明)」。
東海道の起点の日本橋を描いた作品です。
これは昭和2年の「大坂天王寺(彩色下絵)」。
巴水の作品は、彫師、摺師が別にいて、
作品のイメージを伝えるために彩色下絵が使用されました。
彩色下絵は色見本の役割を果たし、
作品をどのように仕上げるかの指標となったものです。
(小山)
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