米原 |
誤訳というのを見ていくと、
だいたいは官僚のやる通訳です。
いちばん大事な首脳同士の会談では、
ほとんどフリーの通訳は雇われないんです。 |
糸井 |
そうなんですか。 |
米原 |
だって、国家機密になるから。
基本的には、フリーの通訳は、
記者会見とか学会みたいに、みんなに開かれていて、
みんなに知ってもらいたいときに雇われるだけ。
誰にも知らせたくないときには、
商社でも、自分の通訳を雇いますし、
外務省とか各省庁でも、自分の通訳を雇うんです。
そのときに誤訳がよく出てくるの。なぜか。
お役人は責任とりたくないんです。
基本的に、あれは、
「責任とりたくない仕事」なんですね。 |
糸井 |
そうですね。
「黙っていれば安全なんだったら、黙っている」
というケースですね。 |
米原 |
そうそう。
で、無難にしたいんです。
無難にしようとしたら、基本的には
字句どおり訳すのが、いちばん無難なんですよ。
でも、日本とほかの国とは
ぜんぜん字句の意味が違うから、
字句どおり訳すと、かならず誤訳になるんですよ。
だから、無難にしようとするがために
誤訳になっちゃう。最終的に責任をとらない、
「庶務課係長の訳」っていっているんだけどね。 |
糸井 |
じゃあ、あれを
「旗を見せろ」って訳したわけですね。 |
米原 |
いや、わからないですけどね。
恐らくそうでしょうと。 |
糸井 |
恐らくそうでしょう。 |
米原 |
そうだと思います。
つまり、
「旗幟を鮮明にせよ」と訳したとなると、
もう1つ別の解釈が入るわけです。
‥‥解釈するということは、
「訳した人の責任」が伴うわけですね。 |
糸井 |
なるほどね。
「俺は旗を見せろといったつもりなのに」
と、あとでいわれちゃ困るということですね。 |
米原 |
そうそう。
でも、「旗を見せろ」って
そのまま訳しておけば、両方あり得る。
例えとしていったというふうに
逃げることもできるし、具体的に
旗を見せろといったという言い方もできる。 |
糸井 |
直訳すると危ない言葉というのは、
相当その言語を知らないとわからないですね。 |
米原 |
そうですね。 |
糸井 |
ロシアならではの言いまわしとか、
山ほどあるわけでしょう? |
米原 |
そうですね、山ほどありますね。
私、ABCD(匿名)さんが外務大臣になった時、
ソ連からロシアになった直後に公式訪問した際に、
記者会見用の通訳として雇われていったんです。
その時、恐らく何にも
会談の成果がなかったんですよ。
でも、政治家ってそういう時も
記者会見をしなくてはいけないわけね。
で、日本とロシアの記者が
会場を埋め尽くしているところで記者会見をする、
ということで、記者会見の原稿を
2〜3時間前に、渡されたんです。
それを見たら、結局本当に
成果がなかったものだから、
「2人はサウナに一緒に入った」
というぐらいしかないんですよ。
で、私に言わせる言葉に、
「文字どおり裸のつき合いをした」とある。
「裸のつき合い」って、日本の比喩でしょう?
肝胆相照らしたとか、つまり、
率直に飾らないで心からの交流をした、
という意味ですよね。 |
糸井 |
それ‥‥直訳はまずいですね。 |
米原 |
文字どおりとすると、
ロシア語には裸のつき合いという
比喩がないんですよね。だから、
「これは肝胆相照らしたみたいな、
そういう意味の
ロシアの慣用句を使ってもいいですか」
と言ったら、
「いや、だめだ、米原さん。
大臣も文字どおりと
おっしゃっているじゃないか。
ここのところが大事なんだから、
ちゃんと文字どおり裸のつき合いと
訳してくれなきゃ困るよ、君」
って外務省の報道官がいうわけですよ。
私としては、記者会見場で
失笑、爆笑の風景が浮かぶんですけど、
「まあ、いいか。本人がいいたいんだから」
と思った。
30分前になってやっぱり心配になって、
報道官に申し上げたんですよ。
「さっきの裸のつき合いなんですけど」
「米原さん、いったでしょう。
大臣がおっしゃっているんだから、
文字どおり訳してくれなくちゃ困るよ、君」
「でも、真実かどうかはわからないけれど、
ロシアではコズイレフ外相というのは
ゲイっていううわさなんですよ」
そう言って。 |
糸井 |
とんちを使ったわけ? |
米原 |
本当にそういうウワサがあったんです。
そういったら報道官はぱっと青ざめて、
「うん、わかった、わかった」
電話をとってすぐ大臣の秘書官に電話を入れて、
変わりましたけどね。 |
糸井 |
それは、例えば
「裸の心と裸の心のつきあい」ぐらいに
ニュアンスを変えても、
やっぱり官僚としては嫌なんですかね。
サウナに入ったという事実があるから。 |
米原 |
つまり、サウナに入ったという事実と
かけ言葉にしたかったのね。
でも、日本語ではかけ言葉になっても、
ロシア語ではかけ言葉にならないわけですよね。 |
糸井 |
違うかけ言葉になっちゃう。
結局のところは、事実を訳す仕事と、
心を訳す仕事と、本当は両方を
重ねながらやっているわけですよね。 |
米原 |
こういう1回限りの記者会見みたいに、
ほとんど15分か20分ぐらいの会見で、
会見が終わったらすぐ飛行場に直行して
飛んで帰るというようなところだと、
本当は通訳が介入しちゃいけないんですけどね。
本当はそのまま訳して笑われればいいわけです。
通訳がクッションになってしまうと、
最後まで本当のつき合いにならないわけですよね。
ああ、日本にはそういうことわざがあるのかとか、
ああ、それをかけておかしかったんだなあとか、
いろいろ笑ったり失笑されたりして
印象に残るつき合いができるから。 |
糸井 |
本当に透明になるって、そういうことですね。 |
米原 |
本当に透明になるなら、その方がいいんですよ。 |